演劇人? | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

演劇人とはなんぞや。

 

演劇に関わっている人、のことなのかなあ。

だとしたら私もその「演劇人」の一人になるわけであるが。

 

どうにもそんなふうに思えない。

なんていうかな、「演劇人」という言葉が醸し出すものって、がっつりと演劇にたずさわり、演劇のことを考えている、なんなら演劇界のこと(主に自分が住む地域のことだろうけど)を考えている人っていうイメージがある。

劇団を主宰してたり、演出やってたり、脚本書いてたり、時には行政と手を組んでいろいろ活動してたり。

演劇という場をメインにして活動している人、っていうイメージがあるのだ。

 

とすれば、私は全然そういうのじゃないし。

ただの、お芝居好きなおばさんにすぎない。

いや別にそれがいやというわけじゃない。いやといってもしょうがないことでもあるし。

ただただ、「私は演劇人、というがらじゃないな」と思ったというだけの話。

 

先日、大学生の卒論の参考にするということでアンケートに答えたのだが、そのとき「いつから演劇をやっていますか」という質問に頭を抱えてしまった。

私の演劇歴の一番最初は、おそらく小学5年生くらいのときの、春の予餞会での出し物だと思う。

クラスごとに行う3学期最後の行事で、私がいるクラスはお芝居をすることになった。

そのとき、私は脚本を書き、演出の真似事をやり、さらには出演する、という、今思うとすごいことをやらかしたのである。

内容はほとんど覚えてないけど、終盤でマヨネーズを使ったしょーもないギャグシーンがあり、そこが盛大にすべったため、ものすごく焦ったという記憶だけがある。黒歴史ダ。

 

その次は中学2年のときだったか、やっぱりクラスの出し物で作演出を手掛けた。

その年の出来事をつづる、というような形式だったと思うのだが、ある役の男の子がどうしてもうまくできなくて、私が「こんなふうにやって」と指示を出していたら、別の男の子が「だったら自分でやれよ」と言ってきて、えらくへこんだ覚えがある。

指示や指導、批判だけをする人に対して「だったらお前がやれよ」というのはある種定番の文句なのだが、あれはきつかったなあ。できるもんならやりたいわ、と思ったものだ。私じゃできないからほかの人がやってるわけでね。でも、私も演出の仕方、指示の仕方なんててんでわかっちゃいなかったから、傍から見ててイラッとしたのも無理ないかと、今になって思う。

 

そうして、高校の演劇部に至るわけだ。

それだって最初は気後れして入部できなかった。ほんとはすごく入りたかったのに、自意識やらなにやらが邪魔して踏み出せなかったのだ。

友達が先に入部したので、「じゃあ、照明を手伝います」とかいってぬるっと入部してしまった。

あのころから私は、こういう「知人の口利き」枠を利用する、こずるいやつだったのである。

 

ずーっと続けて演劇をやっていたのであれば、胸を張って「演劇歴は○年」と言えたんだろうけど、ちょっとやっては離れ、またしばらくして舞い戻り……みたいなことをやってきたので、延べ年数だけは多いけど、実質はとても薄い、という演劇歴になってしまった。

人生の悔いは何かと問われたらそれです、と答えたくなるくらいである。

もっとちゃんとやってくればよかったなあ。でもたぶんできなかっただろうとも思う。

何か一つに集中して取り組むということが苦手だから。苦手というか、怖かったんだな。何か一つのことに賭ける、というのが。できなかったときの言い訳ばっかり考えて生きてきてしまった。

 

あと何年くらい芝居がやれるかわからない。極端なことを言えば、明日できなくなるかもしれない。

だから、できるうちにいっぱい手を出していこうと思う。

ダメかダメじゃないかは、相手が決めることだし、ダメなら次行こう!っていうスタンスがいい。

チャンスがあれば、そしてやってみたいと思ったのであれば、躊躇せずに手を出していこう。

演劇人、ではないかもしれないけど、芝居好きを窮めていくよ。