天才のはなし | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

恩田陸さんの「蜜蜂と遠雷」が直木賞を受賞したそうで、大変おめでたいことでございます。

 

本屋さんで見かけたときは、「うーん、クラシックで、ピアノコンクールの話かあ」と、ちょっと二の足を踏んでいたのですが、ネットの書評で「これは、『いつもポケットにショパン』へのオマージュだよね」という一文を見つけて、急に気になってきました。

で、本棚から「いつもポケットにショパン」をひっぱりだしてきて、久しぶりに読み返しました。

くらもちふさこさんの音楽をテーマにした作品がとても好きで、久しぶりに読んでもやっぱりいいなあと思いました。

そして、急いで本屋さんへ行って、購入してきました。

(余談ですけど、その本屋さんではまだ、直木賞受賞の体制をとってなくて、「候補作」と書かれた帯のついたものが2冊あるだけでした)

 

読み始めたら一気に引き込まれてしまい、とうとう読み切ってしまいました。

 

天才のはなし。

そう思いました。いろんな意味で、突出した才能を持った人たちの話で、すごいなあ、素晴らしいなあと思い、自分もこんなふうになれたら、感じることができたらどんなにいいだろうと思いました。絶対ありえないってことも同時にわかってて、そこがかすかな哀しみとなって残るわけですが。

 

「蜜蜂と遠雷」は音楽における天才たちの話ですが、恩田陸さんにはもうひとつ天才ものがあって、それが「チョコレートコスモス」です。これは演劇における天才たちの話。そしてこれは「ガラスの仮面」を想起させる作品です。

もう何度も読み返してますが、また読もうと思っています。

 

音楽も演劇も、一瞬の芸術です。そのとき、その場にしか存在しないものなんですね。

でも、恩田さんの小説を読んでいると、ふとその一瞬を体感しているような気持ちになります。

クラシックにくわしかったら、ピアノにくわしかったら、もっとよくわかったんでしょうね。そこはとても残念です。クラシックのコンサートにも行ったことがないので、本当はどんな感じなのかはわかりません。恩田さんは長年、浜松の国際コンクールに通って、現場の空気を感じていたそうです。だからこそ、私のように、知らない者でも、あたかもその場にいるかのような感覚を味わうことができたのだと思います。

 

あんまり上の方の景色を見ちゃうと心が折れるんですけどね、凡人は。

まあでも、めげずにコツコツと歩いていこうと思います。