子どもに対する愛情って | 10月の蝉

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「おなかを痛めて生んだ」という表現がある。
おなかを痛めて生むから子どもに対する愛情が生まれるという意味で使われてるんだけども。

ずっとそれが疑問だった。

ほんとにそうなのかなって。

苦労したから、痛い思いをしたから、苦しんで産んだから、だから生まれた子どもに愛情が生まれるっていうんだけど、どうもそこが納得いかない。

まあ、苦労した結果に対して、なにがしかの感情は生まれるだろうけれども、それは、愛情というよりは、執着だったり、所有欲、独占欲だったりしないだろうか。
「こんなにつらい思いをしたのだから、私の思うとおりに動いて当然」みたいな気持ちにはならないのかしら。
いうならば、それは、「お返しを期待する気持ち」みたいなもので。

自分の子どもだからかわいい、我が子だから大切、っていうのは、それを分析してみると、「自分の遺伝子を受け継いだ=己の分身」という思いってことなんじゃないだろうか。

だいたい、身体的苦痛を愛情の前提にしてしまったら、絶対その苦痛を味わうことのない父親には愛情が生まれないことになってしまうじゃない?

母親の愛と父親の愛は違うってこと?


読み聞かせを始めてから、たくさんの子どもと出会う機会が増えた。
子どもっていうのはつまり、まだ生きてきた時間が少ない存在ということで、でも、「人間としての権利」はみんな持ってるはず。ただ発展途上にある、というだけのことで、基本的な価値は大人と何も変わらない。いや、むしろ、大人より未来がたくさんある分、もっと大切な存在であるような気がする。

抽象的な言い方をするならば、「どの子もみんな愛おしいし大切である」と言える。
そこに、「自分のおなかを痛めた子だけがかわいい、大切である」という価値観を持ち込むとしたら、それは単なる執着であるし、我欲であると思う。

本質的な感情としては、自分に直接つながる存在を貴重だと思うのは無理もないことなのだろうけれども、「人間として」という大仰な形容詞を使おうとするなら、あまりほめられた態度ではないような気がする。


正直に言うと、私は出産のとき、一瞬本気で子どもの存在を憎んだ。私にこんなにも多大な苦痛を与える存在である子どもが憎いと思ったのだ。
そして、こんなにも苦しい思いをさせられたのだから、多少は私に対して従属的であるべきだ、とも思った。つまり、「この子は私のいうことを聞くべきだし、私に従うべきだ」と思ったのだ。

そういう感情があったからこそ、生まれたばかりの弱弱しい存在である子どもの世話を、一生懸命やった。
それは、義務であり、権利であったから。


そういう気持ちが、子どもがある程度大きくなって自我が芽生えてきたときに「反抗を許さない」という気持ちにつながるんじゃないだろうか。



「子ども」という存在を、社会から預けられたものとして考えたら、自分の思い通りに動かそうとか、自分の利益のために使おう(たとえば老後の面倒をみさせるとか)というふうには思わないはずなんだけど。


でも、通常、「我が子への愛情」というと、「おなかを痛めて生んだのだからかわいいのだ。大切なのだ」というふうに理解されてる。

そこは関係ないんじゃないかなあと、いつも思う。

「子ども」は未来へ続く大切な存在なのだ。
だから、誰が生んだ子どもであっても、みな等しく大切にする、というふうになるべきなんじゃないか。


そもそもさ。
出産の苦しみを、愛情の前提にすること自体がおかしいと思うんだよね。
そんなふうに規定しちゃってるから、帝王切開や、無痛分娩に対して非難がましい目を向けてしまう。

私も苦しんだんだから、ほかの人だって同じように苦しむべきよ、というのは、苦痛の連鎖、虐待の連鎖だと思う。
心情的にはわからなくもないけど、でもやっぱり、ちょっと器が小さいと思うんだよな。
出産の苦痛と愛情には、実はたいした関係はなくて、昔はその苦痛から逃れる方法がなかったから、そんなふうに話をすり替えて、「そういうこと」にしてしまっただけなんじゃないか。


すごく苦しい思いをしたのに、もったいないじゃん、っていう考え方がどこかにある気がする。
その苦しみを取り返す、あるいは、その苦しみに報いてもらうためにも、生んだ子どもを自分のものにして、思い通りに育てていけばいい、みたいなさ。


望まない妊娠をして、困惑の果てに、産み捨てしてしまう人たちがいる。
そういう人に対して、「おなかを痛めた子どもを捨てるなんて信じられない」と非難するけど、痛い思いをすることと愛情の間には実はなんの関係もないから、そういうことが起こりうるんだと思う。


っていうか。
どうして、女にばっかり、そういう苦痛を強要するんだろうなあ。
妊娠だって、その前の行為だって、出産だって、そのあとに延々続く育児だって、どうして女ばかりが悪いことにされて、女ばかりがその苦痛や負担を担わなくてはいけないんだろう。

今、社会で問題になってる、話題になってる、「結婚時における姓の選択」にしても、「活躍社会」にしても、「三世代同居」にしても、結局は、女のほうにしわ寄せがきてる。
なんだかなあ。