また行きたいな | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

先日、講演会を聞きに、掛川城公園まで行ってきた。場所は公園内にある報徳社の大講堂。
えらく歴史のある、しゃれた建物だった。二宮尊徳像があちこちに設置されてたなあ。
薪を背負いながら書を読む。あの書物をスマホに変えた像を作ってみたい気がする。
やってることは同じだよねえ。スマホで電子書籍読んでる未来の二宮金次郎。

掛川城は初めて行った。ずっと行ってみたいと思っていたんだけど、なかなかチャンスがなくて。
この日も時間があまりなかったのと、なぜかパラパラと雨粒が落ちてきたので、ゆっくり見ることができなかったのだが、かろうじて、写真だけ撮ったのでアップしてみる。


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手前に標識の支柱が写ってしまってるが。
手前の黒い屋根がなんか見張り櫓っぽい。奥の方に見えてるのが天守閣なのかな。
これがお昼ごろに撮ったもの。


こちらは帰りに撮ったもの。もうちょっと暗いかと思ったけど、案外明るく撮れてるね。

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通路が四つ目垣で区切られてて、とても風情のある公園だった。

そうそう、珍しい木があったのだ。

「エノキモチ」
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奥に見える建物が、報徳社の大講堂。
この「エノキモチ」と名付けられた木は、「エノキ」と「モチノキ」が合体してるんだそうだ。
左右両脇にあるのがモチノキだったかな。で、真中ちょい奥の方にあるのがエノキか。
途中で融合しちゃってるんだそうだ。だから枝が2種類重なってる。エノキの枝の下にモチノキの枝、みたいな感じ。

私は植物の、こういう「生きてくためにはどんな融通もきかせるよ」という感じが好きだ。
異質なものを排除するだけでなく、取り込めるものなら取り込み、巻き込み、包み込み、お互いに得をするように共存する感じ。自己犠牲じゃなく、思いっきり利己的な行動なのに、結果的に利他的になってる、協力体制が作り上げられてるって感じ。

植物は、大きな音を立てたり、移動したりしないから、とてもおとなしくていいもの、というイメージを持たれがち。「自然」というだけで、やさしい、とか、体にいい、なんて勝手に思ったりする。
とんでもないよね。植物はそれぞれが、自分(の遺伝子)をつなげていくことに必死なのだ。だから毒だってあるし、一気に勢力範囲を広げることもある。
よく、アスファルトの隙間から芽を出して、花を咲かせたり実をつけたりする植物が話題になる。ポピュラーな花や野菜なんかだと、みんなやけに感動して「奇跡の○○」とか言ってもてはやすけど。

いわゆる「雑草」だって、すごい生命力なんだよ。
でも、そっちは徹底的に破壊しようとする。
人間はほんとに身勝手な生き物だ。
私は「オーガニックだから良い」とか「自然のものだからよい」っていう考え方があんまり好きじゃない。

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春に来たら枝垂れ桜がきれいかもしれない。

またいつか、時間を作ってゆっくり見て回りたいな。