あの頃の悩み | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

先日録画した「青春舞台2014」をようやく見ました。
7月の末に行われた高校演劇の全国大会の模様なんですが、地区大会を勝ち上がってきた各校の演劇部が激突してました。
放送では、最優秀賞をとった久留米大附設高校の「女子高生」という作品のみオンエアされていたんですが、これを見てしみじみ時の流れを感じてしまいました。

作品はとても面白いものでした。
長年女子校だった高校が共学に変わり、全校生徒1000人中14人が男子生徒になった、という設定。それまで部員は女子だけだった演劇部に、一人の男子生徒が入部してきます。
面白かったのは、女子生徒を全部男子が演じていて、たったひとりの男子生徒を女子が演じているという点。
どうしてこんなふうになったかといえば、そもそもこの久留米大附設高校は男子校だったのですが、共学化に伴って女子生徒が入学してきたわけです。そして男子ばっかりだった演劇部に女子が一人入部してきたんだそうです。
生徒たちのとまどいを見た顧問の先生が、これをお芝居にしたら面白いんじゃないかと思いついた。しかしそのままでは面白くない。そこで、設定を元女子校、今共学というふうに変えて、その女子生徒を男子が演じたらどうか、と考えたんだそうです。

演じていた男子たちは、なんだかとても楽しそうでした。また、非常に巧みに「女子校の女子生徒」を演じていたんですね。
ちゃんと「元女子校だった高校の女子生徒」に見えたんですよ。

ストーリー自体はそんなに飛び抜けて珍しい話ではなかったんですが、その分とてもリアルな感じでした。
進学の悩み、将来への不安、恋愛の悩みなど、10代ならたいてい感じるようなことが、「演劇の地区大会の稽古」という物語を通して描かれていました。

その悩みがねえ。
なんとも、懐かしく、そして自分の中でセピア色の思い出になってしまっていることにちょっとした衝撃を受けてしまいました。

そうだった、あのころって、数年先のこともはっきり思い描けなくて、いろんなことがよくわからなくて、でも、手が切れそうなほど鋭い不安や怒りだけは山ほどあって、いらいらしたり、泣きたくなったり、そうかと思えば、周囲が眉をひそめるほどにはしゃいでみたりしていたっけ。
自分がどんな人生を歩むのか、世間やら親やら先生からの押し付けや、決めつけの中で途方にくれていました。
大学進学で、死にたくなるほど悩んだり、異性の気持ちがわからなくて眠れない夜を過ごしたり、雨の中を走りだしたり(笑)しながら、毎日を過ごしていたのでした。

高校生活をモチーフにした芝居では、そういったものが何気なくにじみ出てくるんですね。

私は、親に公立(もっと言えば国立)大学しか行かせないと言われていました。最初は国立単願でいけ、と言われていたのを、高校の先生が説得してくれて、とりあえず私立を2校受けることができました。でもこれだって、受けただけで、そこへ入ることはできないという暗黙の了解があったんですね。
だから、本質的には「国公立単願」と同じ。しかも浪人不可。まったくの一発勝負だったわけです。もし落ちたらどうするんだろう、という不安は常にありましたが、じゃあ、ほんとに落ちたらどうするのかということを具体的に想像することもできていませんでした。
ほんとにあのころの私ってぼんくらだったんですよねえ。
とにかく、失敗できないというプレッシャーだけがひしひしとのしかかってくるような日々でした。大学に入ったらどうするのか、さらには卒業したらどうするのかなんて、まったく想像もできていませんでした。
恋愛だってねえ、わかんないことだらけ。本能的な衝動として、誰かを「好きだ!」と思うことはあっても、その気持ちをどう扱えばいいのか、相手とどう関わればいいのか全然わからなかったものです。その結果、あっちにぶつかり、こっちに転がり、満身創痍でした。
でも、そういうのが、10代の恋愛ってものなのかもしれません。


そういった思い出はもはやセピア色となって、輪郭すらぼやけ始めていたんだなあと、現役高校生たちの芝居を見ていて気が付きました。
全国大会レベルまでくると、いわゆる「高校演劇臭さ」と呼ばれるような独特の癖はほとんど見られなくなります。高校の演劇部という、「部活」であるということすら忘れてしまうような、見応えのある芝居ばかりです。
だからこそ、生々しく、鮮烈に「10代の悩みや気持ち」が伝わってくるんだろうと思います。


今の私が思い悩む将来なんて、「年金はどうなるんだろう」とか「病気にならないだろうか」とか「意に反して生きながらえたりしないだろうか」とか、そんなことばっか(笑)
同じ不安でもずいぶん透明度が違いますわねえ。
それが歳を重ねるということなのかもしれませんな。