絵画の多様性 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

絵画って、いろんな方法、様式、表現形式があるもんなんですね。

今日の午後、少し時間が空いたので、展覧会を3つはしごしてきました。


23日まで静岡の松坂屋の美術画廊にて開催されている展覧会2つ。
一つは「滝浪文裕油彩画展」

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卓越した描写力によって描かれた静物画と人物画が展示されています。
私は、ガラスの描写に魅了されました。
ワイングラスやロックグラスが描き込まれているんですが、この質感が絶品。
透明感はもとより、ガラスの冷たく硬質な感じ、弾いたときのピンという音まで聞こえてきそうな感じがなんとも素晴らしかったです。
花の描写も素晴らしかったですね。うっとりと見とれてしまう絵でした。

おとなりでは、また全然違った画風の絵が展示されていました。
「ノブ・サチ油絵展」

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これはもう、大変にメルヘンチックで、ほのぼの、ほんわかした画風でした。
特に私が惹かれたのは、色。
アドカードにも使われているこの作品の、群青色の魅力的だったこと。
ほんとに私はこの色が好きなんだなあと改めて思いました。
会場には、この方の作った絵本も販売されていたので、思わず衝動買い。
子どもたちに読み聞かせをするため、というよりは、自分が絵を見て楽しみたい、と思うような絵本でした。


そして、もうひとつ。
これも23日までで、なんとか行きたいと思っていた「山本二三展」
静岡市美術館は松坂屋のすぐ近くにあるので、あまり時間はなかったのですが足を運びました。

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アニメーションの背景画が、一つの芸術の域に達している、という奇跡を目の当たりにしてきましたよ。
会場は、平日の午後にも関わらず、けっこうな賑わいで、どこかの学校の生徒さんたちが集団で訪れていたりしました。
会場の2箇所で、作業風景の映像が上映されていたんですが、とても勉強になりました。
私も、雲を描くのが好きで、空と雲をどう表現したらあの空をつなぎとめておけるのだろうといつも思っているのですが、ああ、なるほど、こういうやり方をするのか、と、深くうなずく思いでした。や、まあ、あたしなんぞがこんなことを言うのは大変おこがましいのですが。


それにしても。

絵、ってなんなんだろうな、とまたしても思ってしまいました。
精密に、緻密に、極限までリアルに描くことも絵であるし、画家の想像力で奔放に展開されるものもまた絵であるし。
色の選択、その塗り方、形の捉え方、筆の使い方、ありとあらゆるバリエーションが存在します。何を「いい」と思い、何を「よくない」と思うのか。それは見る方の感性や力量に委ねられているのかもしれません。

滝浪さんという方は、最初に5年ほどアニメーターのお仕事をされていたんだそうです。
そういう知識を入れて、山本さんの絵を見てから振り返ると、あの緻密さと、山本さんの緻密さには、なにかしら共通するものがあるような気がしてきます。

描かれたものがあまりにリアルであると、ふと不安になります。
思わず目を近づけてまじまじと見つめ、そこに明らかな筆の跡や、絵の具の存在を確認するとほっとしてしまうのです。「ああ、絵だった」と。
それってどういう感情なんだろう、と、いまだに自分でもわかりません。
ものすごくリアルなんだけど、写真ではない、実物でもない。明らかに絵なのです。でもありありとその実在を感じ取ることができる、というのはどういうことなのか。

だからこそ、時に、正反対の「ノブ・サチ」さんのような絵に惹かれるのかもしれません。
リアルかそうでないか、という不安を引き起こすことのない、完全な「絵」の世界に浸っていられるから。

私は、ノブ・サチさんのようなタイプの絵を描きたいと願いつつ、でも結局は描けなくて、滝浪さんや山本さん側の(側のって変な言い方ですけど)緻密細密超リアルな絵の方へ行ってしまう傾向があります。
だからなにってんじゃないですけど(笑)


絵ってほんとに不思議なものですね。


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会場入口にあった「シシ神の森」の立体パネル。この中に入って写真撮影ができるようになってます。