夢を追うのなら | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

少し前に「他人の夢」というタイトルの記事を書きました。

映画「イン・ザ・ヒーロー」を見た後の感想で、夫の夢に振り回される妻のことについて考えたものなんですが、昨日もまたそれに関連することを考えさせられることがありました。


昔一緒にお芝居をやった子(大石敦士くんといいます)がテレビに出るというので、昨夜テレビの前で待ち構えていました。
「有吉SP」。ふだんは見ない番組なんですけどね。
出演するのは再現ドラマのパートだということでした。
TEAM NACSの戸次重幸さんのお話で、再現ドラマ部分で戸次さんの役をやってました。

知ってる人が画面に映ってて芝居をしてるのを見るのって、なんか不思議な感覚なんですね。
敦士くんはなかなかいい感じで映ってました。お芝居も自然だったと思います。

それはいいんですけども、再現していた話は、「どうして戸次重幸は結婚できないのか」というお話でした。
番組内のそのパートでは、結婚したいのに結婚できない男性のお話を紹介してたんですね。
戸次さんは、家事が完璧にできすぎてしまうので、なかなか恋愛が続かないとのことでした。
ラーメン大好きな男性は、恋人や妻が作る手料理は時間の無駄(なぜ素人の料理なんか食べなきゃいけないんだ、という意味)と断言し、女より料理の方が大事とまで言い切っていました。


それはそれでいいと思うんですよ、私は。
グルメを気取ろうが、潔癖症で病的なまでにきれい好きであろうが、それは自分の人生なのですから、満足のいくように生きればいいのです。プロの料理人が作ったものしか食べたくないというなら、それが可能である生活を維持していけばいいし、きれいでなくては気がすまないなら、とことんきれいにして生きればいいのです。

問題は、にも関わらずなぜ結婚したいと願うのか、ということなんですよ。

別に結婚しなくてもいいじゃないかと思うんですよね。
その「結婚」が、いわゆる「同居して子どもを作り、家族として生きていく」というような性質のものであるなら。
ひな壇にいた女性タレントさんたちは口々に、「結婚はそういうものじゃないんだ」とか「家族は大事だよ」と抗議されてましたけども、そもそも、「結婚」というものを生活の手段として考えていない人たちに対しては、その抗議はあまり意味を成さないんじゃないかなと思ったんですよね。
結婚が生活の手段である、とは、男性の場合は身の回りの世話をしてくれる人を確保することを意味することが多いです。特に日本ではそうですよね。家事は女の仕事であるという認識がまだまだ強い。だから女性だけが、食事の支度であるとか、掃除洗濯の能力を問われるわけです。
ところが、グルメの男性や潔癖症の男性の場合は、まさにその部分は自分でやりたいわけで、むしろ女性の手出しは無用だと思っているんですね。素人の手料理を食べるなんて時間の無駄、と思ったり、女性が掃除や洗濯したあとに、どうしても自分でやり直したくなったり、そもそも自分の居住空間に他人(恋人といえども他人ですから)がいること自体が耐えられなかったり。

そういう人が、どうして無理してまで結婚しなくちゃいけないんだろうと思うんですよ。
別に一人で生きていられるじゃないですか。なぜ周囲が結婚を勧めたり、本人もそんな願望を抱いたりするのか、不思議でなりません。


私は、結婚とは単なる制度である、と思っています。
対になって生きていくほうが都合がいいから、法的な後ろ盾を得られるように届けを出して、婚姻関係を結ぶ。
そこに愛情があればとてもラッキーだけれども、まあ、そんなに強い情熱がなくても、愛着だけでもなんとか続けていくことはできます。子どもを育てる上では、婚姻制度に則ったほうがいろいろ面倒がなくていい。そういうことだと思っています。
だから、それとは全く違った局面では、むしろ「結婚」がじゃまになることもあると思うんですね。
それが、「夢を追う」ということ。

男だろうと、女だろうと、一人の人間が自分の夢を追求しようとすると、時には家族が足手まといになることもあると思うのです。
男性の場合だと、妻が振り回されて消耗する、子どもが放置されて歪む、などの悪影響が出ます。
女性の場合は、まず夢を追う事そのものを阻害されることが多いんじゃないですかね。なにしろ、家庭運営の責任を負わされてますから。未だに女性だけが、仕事と家庭を両立させなくてはならない、とされています。結婚してる男性にはそんな発想はまったくないのに。
そして、家庭を顧みない男性は「仕事熱心」と褒められたりするのに、女性が同じことをしたら周囲からは当然のごとく非難轟々ですし、自分でも自分を責めてしまったりするんですよね。
なんという不公平。これもみな、結婚なんかしてるからですよ。
独り者ならそういうことは起きないわけですからね。


結婚制度に意味は無いとまでは思いませんが、他人と暮らすことにどうしても向いてない人や、自分で追いかけたい確固たる夢がある人などは、もしかしたら結婚しないほうがもろもろ好都合なんじゃないかなと思うことがあります。
というか、ありきたりの結婚観を一度きちんと考えなおしてみる方がいいのかもしれません。
同居しなくてもいい、と言い放った男性に「えー、じゃあ、なんで結婚するのよ」とブーイングがあがりましたが、制度としての結婚と同居は、必ずしもイコールではないかもしれません。
心の結びつき?とか、そういうものがあるのかもしれない。
でも、そうなったら、現状での法律婚を選択する意味はないですよね。

女性の場合は、生物学的に出産にリミットがあります。
だから、出産したい人は早いほうがいいんですが、まだ社会制度が整っていないために、みんな結婚制度に集中してしまう。ここを整備できたら、もう少し出生率もあがるかもしれませんねえ。
ここにおかしな道徳観念を持ち込むから話がややこしくなっちゃうんでしょう。


なんにしても、自分の夢を追い求めようとするなら、結婚とか家族なんてものは望まないほうがお互いのためなんじゃないですかね。
他人の夢はどこまで言っても他人の夢。自分を犠牲にしてたら、いつかそれは恨みに変わりますわ。

ちなみに、「寂しいから結婚する」っていう理由もよく聞きますけど、結婚したって寂しさはなくならないと思います。よほど幸運な人以外は。
なまじ人がそばにいるからこそ、孤独が際立つということだってあるんです。
孤独を癒やすのは、別に結婚してなくてもできるものです。