哀しい男たち | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

観てきましたよ、「るろうに剣心 伝説の最期編」。
朝イチの上映は、あっという間に満席になってました。

前半が静かな雰囲気で進むんですが、ちょうどお腹が空いてまして、グーグーぎゅるぎゅる、音が鳴り響いて困りましたわ。
クライマックスの死闘の場面は、ほんとに、呼吸をするのを忘れてしまうほどに見入ってしまいました。美しい型どおりの殺陣というよりは、リアルに戦ってる感じ。
そして、眼を見張るほどのスピード感。
まったく素晴らしいものを見せていただきました。
健くんには、また感動させてもらいました。顔が違う、目が違う、声が違う。
人の顔って、ほんとに変わるんだなということをこの映画で知りました。
福山雅治さんも、途中で目つきが一変しまして、鳥肌がたちました。

「煉獄」っていうんですね、あの黒船。
あの中で、志々雄と剣心、四乃森蒼紫、斎藤一、左之助が戦ってるシーンを見ている内に、志々雄がたまらなくかわいそうに思えてきました。
決して安易な同情は受け付けないでしょうが、ああいうふうにしか生きられなかったんだなあと思うと、時代やら政治やらに翻弄されてしまう人間の哀しさがひしひしと伝わってくるのです。

ラストで剣心が微笑むんですけど、なぜか私には、剣心がとても悲しそうに見えました。
二度と人を殺さないと誓い、平和を望んでいたはずなのに、いざ平穏な日々に落ち着いてしまうと、それはそれで物足りなく感じてしまうような。

ぎりぎりの、追い詰められた状況でしか、生きている実感を得られないのかなあ、と。
あの映画に出てくるのはそういう男たちばかりのような気がして、どうしようもなくやるせない気持ちになりました。

「京都大火編」は大きく動いていく感じがしましたが、「伝説の最期編」では、哲学や、人の生き方について、深く考えさせられるところがたくさんありました。

午後に「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」を見たので、余計に、東西の違いを感じましたね。

善と悪の間に明確な境界線はなく 善はときに悪につながり、悪はときとして善にもなる。
誰にとっての善なのか、誰にとっての悪なのか。一つの命が存在していくというのはどういうことなのか。
「るろうに剣心」を見ていると、そんなことを考えさせられます。

出演者のすべてが素晴らしかったですけど、やはり佐藤健くんの存在は大きいですね。
先が楽しみな俳優さんであります。