男の料理、女の料理 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

24時間テレビのドラマについて、私のツイッターのTLではけっこう盛り上がってました。
事前の番宣では、芦田愛菜ちゃんが演じる女の子がお母さんから料理を教えられて、毎日かつお節を削って味噌汁作ってるというあたりを推してたんですが、私はそれを見て、うっすら嫌な気持ちになってたんですね。
そのあたり、同じように嫌な感じを持った人がけっこういたようです。

何が嫌だったのか。
それは、ごく当たり前のように、娘の方に料理の手ほどきをしていった、ということ。
実話だそうですが、娘さんってまだ子どもだったんですよね。
父親はなにしてたんでしょうか。

このあたりにね、「家族の食事を作るのは、年齢の如何を問わず、女である」という大前提というか押し付けを感じてしまうのです。

ただ女である、というだけで、年端もいかない子どもが父親のためにご飯を作らなくてはいけない(たとえ本人は望んでやっていると思っているとしても)、そして父親がそのことになんの疑問も感じない、という作りが、なんとも嫌な感じだったのです。

「料理は女がするものである」というならそれでもいいんですけど、そのわりには、板前ですとか、料理人と呼ばれる人たちの世界には女は入りづらいじゃないですか。
「女の握った寿司は食えねえ」だの、「板前の世界に女は無用」だの。
そういう話のときは、「料理は男がするもの」という考え方が主流ですよね。
おかしな話です。

金をとって人様に食べさせる、「仕事」としての調理は男にしかできないが、家庭で毎日食べるものは女が作るべきものである、という考え方。

そこがいつもひっかかるのです。

家庭の厨房には入らないけど、料亭やレストランや食堂の厨房には入るってことですかね。
そこで作ってるものっていったいなんなんでしょう。


そもそも、「女なら」とか「男なのに」とか、そんなふうに単純な性別で振り分けてしまうこと自体がおかしいと思うんですよね。
男でも女でも、自分で料理することが好きな人はいるし、逆に言えば、男女問わず、苦手な人やあまり重きを置かない人もいるはすなのです。
それなのに、女の場合は、「女なら料理ができて当然」とか、いろんな料理が作れるようになるとすぐに「これでいつでもお嫁に行けますね」なんて言われてしまう。
嫁って、食事製造機ですか。

役割分担という言い方でうやむやにされてしまうことも多いんですが、本当に分担制なのだとしたら、各人の適性に合わせて分担するのが本筋だと思うんですよ。
問答無用で「女だから食事当番」て決めつけてしまうのはいかがなものかと。
男性が食事担当だと色眼鏡で見てしまうというのは、「女は食事当番が当然」という考え方の裏返しです。

進路を変更してまで部員たちのためにおにぎりを握った女子マネージャーは、勉強よりもそうやって人の世話を焼くことが好きだったのかもしれません。だとしたら、進学先のレベルが落ちたことを心配するのは余計なお世話というものでしょう。
しかし、同時に、これが女子じゃなくて、男子が同じことをしたときに、やっぱり同じように美談にできるかどうか。
人の世話を焼くのが大好きな男の子がいたとして、その子がマネージャーとして、甲斐甲斐しく部員たちの世話を焼いていたとしたら、いったいどんな反応が起きたんでしょうね。
今回の女子マネージャーと同じような反応が起きるのならいいんですよ。役割分担、適材適所、好きでやってるんだからいいじゃないか、と言えます。

24時間テレビのドラマだって、あれはまあ、元が実話だそうですから変えようがないでしょうが、娘が最初に教えてもらったとしても、それを父親も一緒になって学び、二人でご飯を作っていくようになればいいのに、と思います。
聞くところによればけっこう手間暇のかかる食事を作っていたようですし。

私は自分が料理好きではないせいか、どうもこういう話題には引っかかります。
特に、「一流の料理人」と呼ばれる人たちがいる世界がはっきりとした男社会であり、そこでは女は排除されているという話を聞くと、納得出来ない気持ちになります。


育児とともに、炊事は時におかしな具合に美化されやすい家事だと思います。
「家族の健康を維持するのが妻の、母の仕事であり、誇りである」みたいな言い方。
「育児は素晴らしい仕事です」と持ち上げられるときの、居心地の悪さによく似ています。
ほんとに素晴らしい仕事なんだったら、そういう名誉に敏感な男性はどうして手を出してこなかったのか。
「母親には敵わない」なんて薄笑いを浮かべて後ずさりしてるイメージがあるんですよねえ。
家庭の食事もそう。素晴らしい仕事なのだとしたら、男性が横取りしたっておかしくないのに、そこは女に押し付けて、さらには見下す。
できて当然であり、できなかったら失格の烙印を押す。

な~んか釈然としないんですよね。

美化したり、賞賛したりしなくていいから、男女のどちらが担当してもいい、というふうに考え方が変わっていってほしいです。
好きで、得意な人がやったほうがいいに決まってるんですから。