「賢さ」ってなにかね | 10月の蝉

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「賢い子に育てるには」という内容の講演会に行ったんですが。

こんなことをすれば子どもが勉強するようになる、成績があがる、テストでいい点がとれるようになる、そのためには親はこんなことをするといい、というような内容だったんですけどね。

「賢い」ってなんなんだろうなと改めて考えてしまいました。
私が子どものときは、いわゆる「詰め込み教育」全盛期でした。
とにかく暗記、暗記、暗記。知識を大量に詰め込み、そしてテストで高得点を取ることが良いこと、学生のあるべき姿とされていました。

ま、今となっては、それも別段悪い事ばかりじゃなかったなと思ってますよ。
知識は、たぶん、ないよりはあった方がいいです。
基礎がある上に積み重ねていくことは、まったく土台がないところに新たに積み上げていくよりはハードルが低いと思うし、いろんな方向へ思考を広げるためには、基礎となる知識があったほうがいい。
一生であんなに勉強に時間を費やしたことはないな、と思えるくらい勉強漬けになった、というのも、いい経験だったと思っています。

それがなぜか反省されて、「ゆとりをもった教育」にかわりました。
ちょうど私の娘がその教育制度のどまんなかにいましたので、私から見ると娘の知識量は圧倒的に少ないです。まあ、本人も勉強向けの性格ではなかったこともありますけども(笑)

そして今は、「反ゆとり」ですわね。


「賢い」っていうのは、テストの点数が高いっていうことなんですかね。
自分の頭で考えることって、一般的にはいいことのように言われていますが、いざ子どもが自分の頭で考えて、大人にとって都合の悪いことや耳の痛いことを言い出したら、手のひらを返したように「生意気」だの「こまっしゃくれてる」だの「頭でっかち」だのって文句を言うんじゃないですかね。
この場合は、周囲の大人の気持ちを考慮していない、という問題がありまして、「ほんとうに賢い子」ならそこまで読み切るものだ、という言い方もできなくはないんですけども。

「賢い子」が成長したら、「賢い大人」になるんですかね。
「賢い大人」ってなんでしょうね。