否定から始める人 | 10月の蝉

10月の蝉

取り残されても、どこにも届かなくても、最後まで蝉らしく鳴き続けよう

本人はたぶん無意識なんだろうと思う。まあ、中には意図的にそういう戦法を選択している人もいるのかもしれないが、おおむね、条件反射的にそういうやり方をしているんだと思う。

相手が言ったこと、提案したことを、まずは否定するところから自分の話を始める人がいるのだ。
もちろんそれは、あからさまな否定ではないことが多い。しかし、受ける印象としては、「なんだか、いつも、私が言ったことは打ち消されてるよなあ」という拒否感が強いのだ。

「こういうアイデアはどうかな」「いや、それはこれこれの理由でできないと思う」とか。
「こんなふうに思うんだよね」「いやそれはおかしいだろう」とか。

こっちの個人的体験や感覚、気持ちなどを話しているのに、まず最初に「いや、それは」と否定する。
これって、地味にダメージが蓄積するよ。
ああ、私の言うことや思うことってこの人にとっては取るに足らないものなんだなあと、無意識の内に何度も何度も思い知らされるわけだから。

しかし、実際の会話では、否定だけで終わることはない。
否定から始めた人も、その続きでは、こうだったああだった、こうなんじゃないか、ああなんじゃないかと、肯定的なことも言うから。
まあ、それだって、肯定しているのはその人に意見、感覚のみなんだけど。

相手の話を否定するところから始める人は、その後もその相手の価値観や感覚を認めたり、肯定したり、賞賛したりすることは少ないように思う。しょっぱなから否定してんだから、そりゃそうだと思うよ。


会議などで、「なにかいいアイデアはありませんか。なんでも提案してみてください」という場面がある。
ブレーンストーミングという手法からいくと、出てきたアイデアはとりあえず評価はしないものだ。玉石混交で、くだらないと思えるものからナイスアイデア!と思えるものまで、全部列記する。そうしてその中での化学反応を待つわけだ。
しかし、これって実際にやってみると案外難しいものだ。
このやり方に慣れてないせいなのかもしれないが、出てきたアイデアを、その場で一つ一つ検討したくなるのだ。
たとえば「マスコットキャラクターを作る」というアイデアが出たとすると、すぐさま、「予算が」「二番煎じじゃないか?」「誰がやるんだ」などなどの、感想が出る。
「どうやって募集するんだ」「現実的でない」という、すでに実施に向けての検討作業にはいっているかのような意見が出てきて、じゃあ、これは却下かな、という感じになったりする。
一つ一つのアイデアの検討は、全部出揃ってからでもいいと思うんだがな。なぜかその都度検討したくなってしまうようだ。
そういうときに、その人の性格がにじみ出てしまうことがあるのだ。
出席者全員からアイデアを募る、と言いながらも、他人のアイデアは出るそばからケチを付けて却下してしまい、最終的に自分のアイデアを採用に持っていく、というタイプ。
こういう人と話すと消耗するし、次からはもう何も言いたくなくなる。
子供じみているとは思うが、「どうせ人の意見は採用しないんだから、自分一人で決めればいいんじゃないの」と思ってしまうのだ。
いろいろ検討した結果として、たまたまその人のアイデアが採用されるのだとしたら、議論を尽くしたという思いがこちらにもあるから、なんの不満も抱かないだろうが、初めにその人のアイデアありきで、他の人の意見は当て馬程度の扱いしかしない、という態度が常になってしまうと、アイデア会議も先細りになりがちである。


上記のようなオフィシャルな場面ではなくても、日常会話の中で否定から入る人はいる。
あれは、そこで話が途切れてしまうから、その人も損してると思うんだけどなあ。そういう人は、他人を否定することで自分を守っているんだろうなと思う。

少し前に即興劇を見た時にも、似たようなことを感じたことがある。
お題をもらって、二人で掛け合いの即興劇をやったのだが、あれはそのお題がピンと来なかったせいなのかなあ、片方の人がやたら否定に走ったのである。
片方がそのお題に関連した話題を振るのだが、「いや、違いますよ」と全部否定してしまうのだ。
否定されると話を振った方は困惑する。その困惑した姿に一瞬笑いは起きるのだが、芝居の方は全然発展していかない。展開もしないし、オチもなかなかつけられないようで、見ているのが若干しんどかった。

あとで即興劇のテキストを読んだら、「否定するのはやめよう」と書いてあった。
即興劇というのは、文字通り即興で、シナリオがない。相手が何を言い出すのか、何をしだすのか、まったくわからない状態で、ある程度まとまって人に見せられる作品にしなくてはならない。
そういう時に、相手から提案されたアイデアをしょっぱなから否定してしまっては、話が進んでいかないのは明白である。
どうなるかわからないが、相手の言うことにとりあえずは乗っかってみないと、次に相手が何を言うかわからないし、どういうつもりで最初の言葉を発したのかもわからないのである。
これは、とても怖いことではあるのだ。自分の読みが合ってるか間違ってるかが瞬時に判明するし、ピント外れなことを自分が言ってしまって、場がしらけたりしたらどうしよう、と不安になるから。
だから、まず相手を否定して自分が主導権を握ろうとするのである。


人生というのは、すべてが即興劇である。
日常生活にシナリオはないし、事前の稽古もない。
だから、一瞬一瞬、アンテナを張り巡らせて、周囲の状況を読み取っていかなくてはならない。
ただ、日常生活には観客はいないし、物語として完結している必要もない。
だから、否定から入る人がいても、「芝居が成立しないじゃないか」と怒ることはできない。
ただ、相手が次第に困惑していくことは確かだと思う。
自分というものを持っていない人だと、いつもいつも相手に否定されることで、だんだん自尊心がすり減っていくことだろう。だって、何を言っても「いや、違う」と言われてしまうのだから。
そうして、自分の意見というものを持たなくなり、常に他人の判断に依存するようになることもある。そういう人ってけっこういると思う。じっくり腹を割って話をすれば(つまり否定しないところから入れば)ちゃんと自分の感情、意見、感覚を持っているんだけど、通常はそれが表に出てくることはない。出したら否定されてしまうと思っているから。

あるいは、今度は自分が否定する側に回ろうと思う人もいる。自分の意見を否定される前に、相手の意見を否定してしまうのだ。そうすることで自分を守ろうとする。
このタイプの人と話すのはしんどいなあと思ってしまう。だって最優先されてるのはその人のプライドだから。
そういう人と話すときは、私は自分の意見を引っ込めるし、否定されたらそれをそのまま受け入れる。「そうか、あなたは違うと思うのね。じゃあ、どんなふうに思うの?」と。
関係を続けていきたいと思っている間はそんなふうに対応する。
これ以上無理だと思ったら距離を置くけれども。

そこは「来る者は拒まず、去る者は追わず」という方針を採用している。
こんな言い方をするとかっこいいような気もするが、つまりは、ヘタレなんだよな、とも思う。
去っていくものを追いかけて説得しようと思うほどの熱意はないんだよなあ。



即興劇でもそうだし、日常生活においてもそうなのだが、相手の話はまずは一度受け入れた方がいろいろ面白いと思う。
どんなとんでもない話でも、自分が聞いたことのないような話でも、理解に苦しむような話でも、すぐに「嘘だあ」とか「そんなはずはない」とか「そんなこと聞いたこともない」と拒否してしまうのではなく、「へえ、そうなんだ」と乗っかって言ったほうが楽しいと思う。

そんなことしたら、すぐに騙されてしまうじゃないかって?
それは相手の言うことを常に100%信用して鵜呑みにするからだ。
受け入れることと、100%信じることは、似ているようで全然違う。
人のいうことには常にその人の主観が混じっているわけで、どんなことだって、100%純粋に真実だけ、ということはない。科学や数学の世界ならいざしらず、人の見聞きしたこと、考えたことには必ず主観が混じるのだ。

だから、8割、あるいは9割信じる。常に1割~2割は、疑いを残しておく。完全に信じこまないために。その上で、相手の話に乗る。相手のアイデアを受け入れる。
そうしたほうが、話もはずむし、自分の世界も広がるんじゃないかなあと思う。



読み返してみて思ったのだが、この「否定しないところから入る」というやり方は、対子どもという場面でも有効だよね。
というか、現実には、しょっちゅう子どもの言うことを否定している親が多い。
親は、親であるというだけで先輩感覚になるから、子どもがやることなすこと、なっちゃいない、と感じがちである。私が指導教育しなくては、と思うのかな。自分の方が世間を知っているんだぞと思うからか、子どもが言うことを頭ごなしに否定する人は多い。
それが正当な場合もあるから難しいんだけど、でもあまりにもしょっちゅう子どもの言うことを否定していると、子どもは自己評価の低い人間になってしまうんじゃないだろうか。
だれだってねえ、のべつ幕なし「お前はダメだ。間違ってる」って言われてたら自信なんか持てないものね。
でも親の方はそうやって間違いを指摘することで改善するだろうという気持ちがある。なぜか親になるとそんなふうに思ってしまうことが多いのだ。
だから、ほめて育てましょうと言うと「うちの子には褒めるところなんてない」なんてことを言うわけで。

子どもの話を鵜呑みにするとか、過信するというんじゃなくて、それでもまずは子どもの話を受け入れるところから始めてみたらいいのになあ。


                  ブーケ1