ドラマ「難尋」
第7集
<第7集>
南枝苑を留守にする赫連曦に替わり、琴桑はかいがいしく鳳鳶の世話を焼いた。仕事だからというような義務感は、彼女に感じられない。
「琴桑、どうしてそんなに良くしてくれるの?」
琴桑がほほ笑む。
それは、あなたが優しく接してくれたからですよ。
「あなたは霖川の少夫人ですから」
赫連曦から過去を彼女に話すなと命じられている琴桑は、そう答えて即答を避けた。
「それはそうと、赫連曦はどこへ行ったの? 訊きたいことがあったのだけれど」
「少主なら、永照国です」
「永照国?」
しまった、と琴桑が口をつぐむ。申し訳なさそうに、口止めされている旨を話した。
「少主が帰ってくれば、きっと少夫人は記憶を取り戻せますよ」
外から雨音が聞こえてきた。激しく降り出す。
「刑場で降った雨みたいに、酷い降りようですね」
琴桑は、鳳鳶が磔刑を受けた夜のことを話しているのだ。けれども鳳鳶には豪雨だった覚えがない。
「そんなに降ったかしら?」
「ええ。傘の下なら濡れませんよ」
嘘ではない。琴桑は刑場に赫連曦がいたことを匂わせた。
世子妃の居室を片付けていた東籬は、小箱に入った石榴の簪を見つけた。ちょうどやってきた昔旧に見せる。
「涼蟾の具合はどうだろうか」
「琴桑姑娘が、もう大丈夫だと知らせてくれました」
昔旧は簪に視線を落とした。三年前の出来事がありありと思い出される。
鳳鳶との出会いは、三年前の狩り場だった。昔旧は、河辺で倒れている彼女を見つけて世子府に連れ帰った。
三月後、記憶を失っていた鳳鳶だったが、怪我が治ったのでこれ以上迷惑を掛けられないと、世子府を出る話を昔旧にする。昔旧はまだ体が弱っているのだからと言って引き留めた。
それまで名前が無かった鳳鳶に”涼蟾”という名を付けたのは、この時だ。秋の夜空を見上げた昔旧は、鳳鳶の瞳が漢詩の世界で秋の満月を表現する”涼蟾”のようだからと、彼女にその名を付けた。
そして、その時だ。昔旧が、突然胸を押さえて倒れた。息が出来ない。
昔旧の胸元には大きな赤黒い内出血が出来ていた。二か月前、落馬した時には無症状だった。
鳳鳶は躊躇する阿笙から短刀を奪い、内出血した箇所に突き立てた。おかげで昔旧は息を吹き返し、今に至っている。
朔雲の街なかで、手配書の男が見つかった。仮面の男の部下、雲暮である。
地下牢へ連行された雲暮は、昔旧や雲衛から拷問を受ける。頃合いを見て、雲暮は任務を遂行し始めた。
”涼蟾”が永照国公主の鳳鳶であり、夫である赫連曦は三年前の永照国政変の際に王族鳳氏を惨殺したと話す。
雨はいつまでたっても止まず、永照国へ出かけた赫連曦は帰って来ない。
じっとしていても仕方ないので、鳳鳶は現状分かっていることを書き出してみた。
赫連曦は霖川少主で、彼女は妻の少夫人だ。そして赫連曦は彼女のことを鳳鳶と呼ぶ。
では、少夫人となる前の鳳鳶は何者だったのだろう。
琴桑なら知っているかもしれないと思い、鳳鳶は彼女を捜した。捜して、河に架かる橋へ出る。この橋は南枝苑の門へと通じている。雨に煙る橋の向こうに人影が見えた。
傘を差した人影が近づいてくる。その姿が、かすかに覚えている刑場で見た人物の姿と重なった。
赫連曦だ。彼が鳳鳶の頭上に傘を差し、雨から守ったのだ。
橋の上で出会った赫連曦は、両手に納まるほどの大きさの木箱を鳳鳶に見せた。
この小箱には千年の時間を経て固まった神樹の樹液、樹魄が入っている。三粒あったが、今はこのひと粒しか残っていなかった。
あらゆる病に効果があるという樹魄だが、記憶喪失に効くかどうか分からない。あまりに貴重な薬なので、鳳鳶は遠慮した。
不意に、赫連曦の手から樹魄が掏り取られた。
「涼蟾、こいつの勧める物を口にしてはいけない!」
昔旧だった。彼は以前よりも激しい敵意を赫連曦に向ける。
「涼蟾の友人として、南枝苑に泊めてもらう。これは毒見をしてから返す」
「返せ。貴様と遊んでいる暇は無い」
昔旧が剣の柄に手を掛ける。また諍いだ。業を煮やした鳳鳶が怒った。
「私の記憶なのだから、口にするかどうかは私が決めるわ!」
阿笙の調べで鳳鳶の身元が判明した。雲暮の言う通り、霖川少夫人となる以前の彼女は永照国公主だった。
三年前、霖川族が謎の滅亡をし、当時の永照国国王が病没した。その直後、長子である鳳垠が大殿で何者かに殺害され、彼の妹の鳳鳶は失踪する。
だが、霖川少主の赫連曦は生き残っていた。彼は失踪した鳳鳶を見つけ出し、記憶を取り戻そうとしている。
霖川と永照国のあいだで問題があったことは確かだ。もしかしたら、赫連曦は記憶を取り戻した鳳鳶を殺害するのではないか。
雲暮の言葉に乗せられた昔旧は、鳳鳶を守るために南枝苑へ押しかけ、ありとあらゆる場所に護衛兵である雲衛を配置した。
赫連曦と昔旧の仲は悪化している。三人での食事は気まずかろうと思い、鳳鳶は赫連曦の居室へ夕食を運んだ。
一度、廊下から声を掛けたが、返事がないので引き返す。すぐ近くで琴桑と出くわした。
まだ眠っているはずはないと琴桑が言うので、再び鳳鳶は赫連曦の居室へ行った。やはり返事が無いので、勝手に中へ入る。
「何をしに来た?」
暗がりのなか背後から声を掛けられて、驚いて鳳鳶は飛び上がった。
「あの、金木犀の香りの石鹸や、傘のお礼に…」
鳳鳶が盆に乗せた食事を赫連曦の目の前に差し出す。
盆の上のろうそくが赫連曦の顔を照らす。赫連曦はろうそくの火を吹き消し、鳳鳶を居室から追い出した。
琴桑の働きで、昔旧が仮面の刺客を捕えたことが判明した。昔旧は三年前に起った永照宮の変について調べているらしい。
結局、赫連曦と昔旧、鳳鳶は三人で食卓を囲んだ。
昔旧が毒を調べるため、銀針を火で炙る。すかさず赫連曦は、銀針で混入が分かる毒はヒ素だけで、針を炙ることは通常しないと指摘する。
一触即発状態で、食事どころではない。
茶を淹れようとして、鳳鳶が席を立った。段差に気付かず、足を踏み外す。
体勢を大きく崩した彼女の目の前には、火が灯った大きな燭台があった。
<第8集に続く>