最近でこそ、メルセデス・ベンツは日本国内でよく見かけるようになりましたが、50年代、60年代は本当に珍しい存在でした。ヤナセが発表した資料でも、現在とは比較にならないくらい輸入台数は限られていました。190(W210)が誕生する80年代初頭までは今のEクラスに相当するタイプが最も小さいモデルでした。

 何しろ当時の物価を考えるととんでもない高価な車でしたから、元首相の吉田茂ですら、当時にドイツのアデナウアー首相とのベンツ購入の約束を果たすまでしばらく時間を要したくらいです。メルセデスは50年代の大事故で死傷者を出してからしばらく自動車レースから撤退していました。撤退する前のレース黄金時代を象徴する市販車が300SLで、日本では俳優の石原裕次郎やプロレスラーの力道山のような超大物スターの乗る車として憧れの的でした。この車は後に北海道小樽の石原裕次郎記念館に展示されたようです。

 ガルウイングの独特なスタイルに加え、キャンバストップのロードスターもありました。ガルウイングはフランス映画「死刑台のエレベーター」(Ascenseur pour l'échafaud)では、お金持ちの老人夫妻が運転する車として登場します。私が好きなのは、二代目SLの通称パゴダです。エレガントで上品な佇まいは、今見ても新鮮です。オードリー・ヘップバーン主演の映画「いつも二人で」(Two for the road)にも彼女が乗って登場しますが、本当に惚れ惚れします。この頃からSLは着脱可能な屋根とキャンバストップを装備するようになります。

 高速道路で車を走らせることが目的のドライブで、父の運転で走ったのが第三京浜国道です。ユーミンの「中央フリーウエイ」がリリースされる前の時代です。

 世田谷から横浜に抜ける黄昏時のドライブにはときめきがありました。当時第三京浜に似合う車と言えば、私の好みで言えば国産ならいすゞの117クーペ、日産の初代シルビア、トヨタ2000GT、フェアレディSR311、ブルーバード1600SSSといったところでしょうか。その頃の父の車はブルーバード1300で、1600SSSにしてくれればなあと思ったものです。

 輸入車ならばポルシェ911、912(ナロー)、メルセデスSL、シボレーコルベットやカマロ、BMW2002など。

 ポルシェと言えば神奈川県警がパトカーとして導入して、直線区間で新幹線を追い抜いたという噂を聞きたことがあります。

 

 オート三輪は80年代以降に生まれた方は、ほとんど馴染みがないかと思います。50年代、60年代はお米屋さんや工事関係業者などがさかんにオート三輪を導入しました。郵便車もありました。構造上、狭い道での小回りが得意でした。マツダとダイハツがその両横綱でした。両者共に当時の軽自動車の規格の360ccのエンジン搭載のものと2000ccクラスの大型のものを生産していました。当時、浜田光夫と吉永小百合主演の青春映画や、三国連太郎主演の「飢餓海峡」など多くの邦画に登場しました。比較的近年では、「稲村ジェーン」や「ALWAYS 3丁目の夕陽」にダイハツ・ミゼットなどが登場したかと思います。

 
 戦争直後のヨーロッパでも、三輪自動車が作られた時代がありました。メッサーシュミットやハイケンル・バブルカーなどが有名です。戦闘機のように前後に2人が着座するタンデム式のメッサーシュミットは、東京の街角でも時々見かけました。英国ではリライアント・ロビンという三輪自動車が比較的近年まで生産されていました。