パン・アメリカン航空(PAN AMERICAN WORLD AIRWAYS)は60年代当時、名実共に世界最大の航空会社でした。日本では「兼高かおる世界の旅」を初め、多くの民放テレビ番組のスポンサーに名を連らねました。「表彰状!」で一躍有名になったデビッド・ジョーンズ氏も同社の元極東地区広報担当支配人です。

 映画やテレビドラマにもよく登場しました。加山雄三、星由里子主演の青春映画、東宝の「若大将シリーズ」では、当時の花形ジェット旅客機ボーイング707で若大将が世界所狭しと飛び回ります。「アルプスの若大将」では前出のデビッド・ジョーンズ氏が出演しています。記憶が定かではありませんが、佐分利信。岸恵子主演の「化石」(原作 井上靖の同名小説)も同様だったように思います。テレビドラマでは平幹二朗、小川真由美主演の「愛と死の砂漠」(原作は松本清張の「砂漠の塩」)など、特に世界一周便(東回りは001便、西回りは002便)が背景に使われています。当時の大手航空会社は競って世界一周路線を開設しました。日本航空も1967年に開設し、記念切手が発行されています。

 パンナムは50年代後半にジェット機路線を開設し、1970年のジャンボジェット機(ボーイング747)を初就航させたことでも大きな話題となりました。ジェット機自体は、英国のコメット機(英国航空の前身、BOACが初就航させた)が先駆者でしたが、就航間もなく大きな事故を起こし、後発のボーイング707が事実上のジェット機時代を開いたと言えます。「ボーイング・ボーイング」(Boeing Boeing)というタイトルでマルク・カモレッティによる戯曲が作られ、後にハリウッドで映画化されています。

 ボーイング747は2階建ての客室で300人以上の乗客を運べることで、空の大量輸送時代の先駆者となりました。当時のボーイング747の2階客室はファーストクラスの乗客用のラウンジになっていて、1階の客室とは螺旋階段で結ばれていました。 
 当時のパンナムについて、日本語で書かれた名著のひとつが下記です。当時パンナムの日本人スチュワーデスとして青春時代を送った高橋文子さんの筆による、夢のような時代の物語です。ご一読をおすすめします。


消滅―空の帝国「パンナム」の興亡/講談社
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 聖路加と書いて「セイルカ」と読みます。現在の聖路加国際病院の建物は90年代中頃に新築されたものです。前の建物は昭和初期に建設された歴史的建築物で、その後一部が保存され聖路加看護学校の校舎などに利用されています。当時病院の廊下を歩いていると、何桁かの数字を表示する電光表示板が目につきました。これは病院の先生の呼び出しシステムで、それぞれの先生に数字のコードが割り当てられていました。スピーカーのアナウンスに比べると、静かでスマートなやり方だと思います。

 医師の家系だったこともあり、子供の頃にここで「甘えの構造」で世界的に著名な精神科医の故土居健郎先生にお目にかかった事があります。子供ながらに、その落ち着きと存在感を強烈に感じた事を今だに忘れられません。

 今でも皇室関係者をはじめセレブリティ御用達の産院が麻布の愛育病院です。

 昭和30年代の愛育病院の建物は、有栖川公園に隣接したこじんまりとしたものでした。車寄せから玄関を通ると、左手に売店と会計の窓口があったと思います。右手の廊下左右に診察室などが並び、外来の患者さんはこの廊下のベンチに腰掛けて診察を待ちました。急患も受け付けていたので夜中も人の出入りがありました。さらに右奥には入院病棟があり、有栖川公園を見渡す明るい作りだったように記憶しています。


 西麻布から広尾にかけて地域が、交通の便が悪いのは、駅の建設で住環境が悪くなることを心配した住民が反対したからと言われています。