WINE STREET EXPRESS
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シャトー・デ・ジャックの長熟ボジョレー

ボルドー出張から帰国した翌日、ボジョレーはムーラン・ア・ヴァンの銘醸蔵元、シャトー・デ・ジャックの試飲会に参加。正確にいうとブロガーの方々を集めたイベントのナビを頼まれたのだが、試飲会の主役であるシャトー・デ・ジャックの醸造長、ギヨーム・ド・カステルノーさんがしゃべる、しゃべる。1つ話題を振ると30分は話し続けるのでさながら独演会となってしまった。ま、それはそれでいいんですが。

ボジョレーというとヌーヴォーに代表されるとおり、軽くて、フルーティで、早飲みの赤ワインが通り相場。しかし、シャトー・デ・ジャックのワインは違う。グラスに注がれた瞬間、ボジョレーとは想像もつかない濃いめの色調にまず目を奪われる。思い起こせば10年少し前。ボーヌのルイ・ジャドを尋ねた時のことだ。当時の輸出部長フレデリック・ビュリエさんの案内でカーヴの中のコルトンやミュジニーまで試飲した後、最後の最後に1本のワインがブラインドで出された。私は不覚にも村名ジュヴレ・シャンベルタンと答えてしまったのだが、それこそシャトー・デ・ジャック・ムーラン・ア・ヴァン・クロ・デ・トランだったのだ。話が前後するが、シャトー・デ・ジャックは1995年以降、ルイ・ジャドの傘下に納められている。

カステルノーさんによれば昔のボジョレー、とくにムーラン・ア・ヴァンは今よりもずっとパワフルで長熟なワインだったという。この地方のワインはブドウを房のまま仕込むのが伝統で、しかも醸し時間が今よりもずっと長かったから梗のエグ味が出て若いうちは非常に飲みづらいワインに仕上がった。それもあまり問題にならなかったのはワインは仕込んだ後に樽詰めされ、レストランや酒屋にも樽詰めのまま長く置かれたので、そのうちにワインのタンニンが丸みを帯びるようになったからだ。

WINE STREET EXPRESS-元軍人のカステルノーさん

しかし20世紀に入り、ブドウが炭酸ガス下に置かれると酵素の作用でブドウの糖分がエステルに変わるマセラシオン・カルボニックが発見され、これがボジョレーの醸造に活用されるようになった。この方法を用いればワインを短時間で醸すことができるので、以前のようなエグ味をもたずにすむ。その一方、かつての長命さは望むべくもない。

シャトー・デ・ジャックのムーラン・ア・ヴァンはボジョレー古来の姿を復活させたものといえる。ただし、いくぶん現代的にアレンジしていて、すべてのブドウを房ごと醸すのではなく、ほとんどのブドウは除梗され、その分、長めの醸し時間を設けている。おかげで昔ほど長期間、樽熟成をかける必要はない。

WINE STREET EXPRESS-シャトー・デ・ジャック

試飲に供されたのは2007年ムーラン・ア・ヴァン、2006年ムーラン・ア・ヴァン・クロ・ド・ロシュグレ、そして極め付きが1989年クロ・ド・ロシュグレの3種。シャトー・デ・ジャックには5つの単一畑があり、クロ・ド・ロシュ・グレもその1つで、畑名のないムーラン・ア・ヴァンは5つの畑のワインをブレンドしたもの。当然ながら単一畑ものには最も優れたワインが選ばれているはずだから、畑名の付かない”素”のムーラン・ア・ヴァンはそれなり・・・と思いきや、これだけでも普通のムーラン・ア・ヴァンと明らかに違う。色は濃いし、体躯はしっかり。ブラインドで出されたら、やはりガメイから造られたボジョレーとは答えられないだろう。

WINE STREET EXPRESS-89年はデカンタージュ

89年のクロ・ド・ロシュグレに至っては言葉が見つからない。色はオレンジ味を帯び、香りも熟成がかって紅茶の葉や革を思わせる複雑さとスパイシーさが出ているのだが、口の中ではまだタンニンが残り、さらなる熟成を受け付けてくれそうなのだ。89年はルイ・ジャドによる買収前のワインだから、房のまま長時間醸しをかけていたのかもしれない。

カステルノーさんの話では、シャトー・デ・ジャックの他にもマセラシオン・カルボニックに頼らない、旧来の長熟なボジョレー造りに回帰した造り手がいくらかいるそうだ。軽くてフルーティなボジョレーを完全否定するつもりは毛頭ないけれど、長熟タイプのボジョレー、なんとも好奇心をくすぐってくれる存在ではある。

VieVinum

オーストリアワインの祭典「VieVinum」に参加するため、27日からウィーンに来ている。
VieVinumの会場はゴージャスにもハプスブルク家の王宮ホーフブルク宮殿で、ここにオーストリア中のワイン生産者がブースを出展、来場者にワインをふるまう。カタログの数字を追っただけでもその数500以上あり、3日間かけても、とてもじゃないが全ブース制覇は難しい。

$WINE STREET EXPRESS-会場のホーフブルク宮殿

空港からホテルまで乗り合わせたオランダのワインジャーナリストから面白い話を聞いた。
「ワグラムのベルンハルト・オットが去年からアンフォラでワインを造ってるんだよ」
ワインのルーツをたどればユーラシア大陸のコーカサス地方。グルジアでは今なお素焼きのアンフォラでワイン造りをしている。それでオットもいわば古仕込みに挑戦しようと考え、グルジアから500リットル容量のアンフォラを11個購入し、グリューナーフェルトリーナーを仕込んでみたという。昨年、実際に仕込んだ量はアンフォラ6個分で、ブドウを除梗後、無破砕のままアンフォラに入れて軽く蓋をしただけ。もちろん酸化防止剤の亜硫酸は一切使用していない。発酵が終わると想像していた以上にワインは若々しく、5ヶ月の後、上澄みだけをタンクに移して、今はまだその中にある。生産量は1500リットル。ブースに用意されたのはタンクからのサンプルだ。

$WINE STREET EXPRESS-ベルンハルト・オットさん

ベルンハルトさんに「ヨスコ・グラヴナーの影響?」と聞いてみたところ、「いや、彼のは過激すぎる。むしろヴォドヴィヴェッチのほうが好み」と返って来た。正直、どっちもどっちという気がしますが・・・。
その貴重なワインを試飲させてもらった。オットの他のワインと比べて線が細いというか、果実の豊満さに欠けている感じは受けたが、亜硫酸ゼロとは思えないほど健全。後口に修練性のタンニンのようなものを感じたのは、5ヶ月も皮と果汁がマセレーションされたせいかもしれない。
日本からの来場者の一人、中濱潤子さんにこのことを話したら、「もっとすごいのがシュタイアーマルクにあるよ」と教えてくれた。ゼップ&マリア・ムスターの「エルデ」というワイン。行ってみると、そやつは素焼きのボトルに入っていた。ヴィンテージは2007年。シャルドネとソーヴィニヨン・ブランのブレンドで、オットと異なるのは除梗せずにブドウを房のままアンフォラに入れてしまうことだ。

$WINE STREET EXPRESS-ゼップ・ムスターのアンフォラワイン

こちらのワインは色が既に琥珀色。どんよりと濁っていて世のビオワインファンがいかにも好みそうな雰囲気。香りを嗅ごうとグラスに鼻を近づけた瞬間、思わずたじろいだ。硫化水素系の香りが強烈に漂う。でもその手のワインが好きな人ならば必ずや歓喜するに違いない。自分の好みかと聞かれれば、ノーと言わざるを得ないけど・・・。

あと2日間。今日は日曜なので混みそう。午前中の招待客向け特別公開時間に集中し、午後は美術史美術館にフェルメールを観に行こうと思う。

Dom Pérignon 2002

昨日は都内某所でドン・ペリニヨンの新ヴィンテージ、2002年の発表会。
受付を済ませ、真っ暗な控え室で現行の2000年を味わいながら、メンバーが揃うのを待つ。
ヴィノテークのY編集長、ワイン王国のM編集長、ワイナートのO君、それにうちの奥さんなど馴染みの面々。午前中はソムリエさん向けに同様のセッションがあったようだ。
2000年はこのところとても良い進化をしている。「偉大なシャンパンほどデゴルジュマン後に進化する」が持論の私としてはとてもうれしい。
そうこうしているうちにドン・ペリニヨン醸造最高責任者リシャール・ジョフロワが登場。メインルームに移り、いよいよお待ちかねの2002年がグラスに。

$WINE STREET EXPRESS-グラスに注がれたドン・ペリニヨン'02

2002年は当初順調に生育が進み、夏の気温も高めで偉大な年になることが約束されていたのだが、9月に雨が降り、シャンパーニュの人々に文字通り冷水を浴びせかけた。しかしながらその雨も長くは続かず再びブドウは成熟を始め、むしろ「例外的な年」と言ってよいほどのヴィンテージになったという。一部のシャルドネでは過熟さえ見られたそうだ。

「2002年を観察していると、当初はふっくらとしてクリーミーな82年を想起させたが、ある時から96年のような緊張感をもち、閉じた状態になった。今は密度の詰まった感じを残しながら、肩が丸くなってきたようだ。これは90年を思い起こさせる」とリシャール。
私の印象ではまだ緊張感が優っていて、角が取れた状態までには至っていないと思えたが、口に含んでじっくり待つとその密度の高さが舌全体に伝わってくる。聞けば、デゴルジュマン後15ヶ月とのこと。2002年が正式リリースされ始める今年の秋頃にはさらにクリーミーさがのってくるに違いない。



じつはこの後、さらに別室に移動してもう1種類のドン・ペリニヨンを試飲する機会に恵まれたのだが、そちらのリリースは来年。というわけで、解禁までしばし情報は封印なのである。

$WINE STREET EXPRESS-エノテーク'96