叔父さんの旅立ち | りゅーき@釣行日和

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【設立2013年03月】シーバス釣行記ですが日常の徒然も。【更新2021年12月】故郷横浜を離れ大阪に移住。


叔父さんが亡くなりした。こうゆう話題もどうかと思いましたが、僕にとっての徒然なブログですから、思いを書き留めててもいいかなと。


親戚の中では、一番親しかったですね。叔父さんは父の弟で、父とは10歳離れてました。僕か小学校低学年の頃まで一緒に住んでましたので、よく遊んでもらいました。



近年は体を患ってて、ここ数ヶ月で3度も手術を。残念ながら経過も思わしくなく、最近になって主治医から『万策がつきまして』と、家族は告げられたそうです。


コロナの影響で病院は面会謝絶、家族も会えない状態にありました。しかし、主治医の宣告を受けて、家族は面会ができるようになり、そこでお見舞いに行こうとなったそうです。


そして、家族みんながお見舞いに行ったその日に、叔父さんは亡くなりました。もしかしたら、家族が来るのを待ってたのかもな?などと、考えてしまいます。


妄想上の叔父さん/ランバ・ラル


叔父さんは豪快な人でした。親分肌で、曲がった事が苦手なタイプで。あえて美化すれば、ガンダムに登場する『ランバ・ラル』でしょうか(苦笑)。


叔父さんとの事で、好きなエピソードがあります。はっきり覚えてませんが、幼少の僕を自分の職場に連れてったそうです。


電車で30分ぐらいの職場に、甥っ子の散歩がてら遊びに行ったそうです。どうも、職場の仲間に見せに行ったらしく、それだけ可愛がってくれたんだと思います。


帰りにオモチャを買ってくれました。僕がディスプレイされたオモチャを気に入ったらしく、それを買ってくれたんです。かつて一世を風靡したブリキのオモチャ。



↑こんな感じじゃなかったかと(笑)。コレ、電池で歩くんです。ある程度歩くと、胸部が左右に開いて大砲らしき物が現れます。すると『ババババッ』と激しい音と共に光るんですね。


これに僕は驚いて、ギャ〜ギャ〜泣き出したそうです。ギミックまで知らなかったんでしょうか。しばらくは、ブリキのオモチャに近寄らなかったらしいです(笑)。

そんなエピソードを、大きくなってから聞きました。始めは黒歴史に思ってましたけど、僕も人の親となり子供たちを想うと、叔父さんの行動が分かる気がします。今はただ『そんな事をしてくれてたんだ』と、嬉しく思います。

余談ですが、ブリキのオモチャは1980年代まで盛んで『堀川玩具工業』という会社が有名らしいです。おそらく、上記画像のオモチャも、この会社の商品じゃないかと。色々と検索しましたが、詳細は見付かりませんでした。


ランバ・ラルの名言


叔父さんには、ホント世話になりました。『たまには一緒に飲もう』なんて話もありましたが、実現しませんでしたね。


僕も社会人になり、毎日あくせく働き詰めで。転勤したり生活環境が変わったりで、忙しさを言い訳に時間を作る工夫をしなかったかなぁと。


今になって色々考えたって始まりません。やはり、元気なうちに出来る事をしてあげないと、どこか気持ちに引っかかるものがありますね。


でも、叔父さんには立派な息子たちが居ます。僕の従兄弟ですね。それに、可愛いい孫も居ます。今や、叔父さんを原点にした大家族が形成されてます。



僕はな何もできなかったけど、最後に家族みんなに囲まれたのかな?と思うと、ちょっとホッとします。叔父さんは意外に寂しがり屋ですから。

脱サラして起業して、タバコも酒も止めないで。豪傑者が居なくなりましたけど、スマートな息子たちが健在です。叔父さん、あっぱれでした。