どうする、千鳥
コロナ禍の中、濃茶の飲みまわしも控えられていますが、もう一つ、やられていないものは、懐石での千鳥、盃のやり取りでしょう。 一昨年のコロナ流行が起こり、一段落した頃、ひっそり始まったカルチュア教室系の稽古茶事などの様子を漏れ聞くと、もちろん、千鳥は行わず、八寸も取り分けなどせず、銘々皿で配るといった状態だったようです。多くの流儀では、懐石で、まず初献は亭主が注いで周り、二献は注いで廻った後、酒器を客に預け、三献は八寸の肴を配ると共に注いで廻った後に正客の盃を請い、千鳥が始まるわけで、今までは、これが懐石の中の重要なポイント、古来伝統の盃事だったわけですが、これがなくなってしまった。実は、なくなっても、この変化は濃茶の場合と違い、茶事の進行には、それほどの支障はなく、進行時間が早まるだけとも言えます。でも、懐石が種々の約束事の中で進められ、それは一つの儀式であって、それに参加することが日常を離れた世界へ遊ぶ面白さを主客共有しているわけで、それが日常の会食と違う大きな点、だとすると、盃事を軽々に省略していいのか。私は、やはり、省略するならするで、これも家元などの指導者層が、きちんと指示すべきではないかと思います。勿論、コロナなんていつか終わるから、それまでは各自適当にやっとけと済ますことも可能でしょうが、前回も書いたように、それは流儀の意義の衰退に繋がると思うのです。 例えば、私案ですが、千鳥の最初は、亭主が正客に「お流れ頂戴」と請い、正客が「別に盃をお持ち下さい」「持ち合わせがございませんので、是非」「それでは」と、盃を渡すのが、正式の段取りですが、この時に、別盃を請われたら、亭主は「それでは」と、別盃を持ち出す、あらかじめ懐紙で包み懐中しておくのもいい、それに正客から酌をしてもらい、八寸の肴は次客が取ってあげる。飲み終わったら、亭主は正客に「今一献」と、正客の盃に注ぎ、正客は飲み終わったら「これにてお納め下さい」と挨拶し、お湯を請うという段取りにすれば、儀式としての部分は残りますし衛生上も問題はないでしょう。勿論、客への八寸肴は、海山両種を一度に取り分けます。もともと裏千家には、酒に弱い亭主のために考えられた略式の千鳥の方法があります。正客とのみ献酬をして済ませるもので、私案はこれを変化させただけです。この略式、どれくらい公式のものかわかりませんが、何かのテキストだか雑誌記事かに載っていたように思うので、家元承認の手順なんだろうと思います。 余談ですが、コロナ禍のカルチュアの稽古茶事では、他人が手に触れたものには触れない方がいいということでか、飯器の取り回しはせず、亭主方でお替わりも付け、焼物や香の物も、鉢ではなく銘々皿で付けたとか聞きましたが、これは用心のし過ぎでしょう。入席前に手の消毒が常識の今、鉢の手渡しくらいに目くじらを立てたら、亭主や半東の手に触れた品に触っていいのかという話になります。懐石の間、会話せず黙食でというのも味気なくはありますが、禅宗の食事は完黙が伝統ですから、禅に縁の深い茶の湯のこと、これに準じるのは、まあ仕方ないと諦めますか。 萍亭主