能登の大地震は大変でしたが、どうやら連休も明けました。皆様またお忙しくなられるのでしょうが、花入噺の続きを始めます。

 いろいろな素材の花入がある中で、使い勝手の上で一番ワリを食っているのは、籠の花入ではないでしょうか。籠の花入は、どの流儀でも、使用するのは風炉の季節の間だけと規定され、他の素材の花入と違い、一年の半分しか登場の機会がない。

   人類が籠を生活容器として使うようになったのは、恐ろしく古い時代からだそうですが、花をいける容器に用い出したルーツは、やはり仏器からなのでしょうか。正倉院にある華籠も仏器の一つです。室町時代になると、大きくて精巧な籠が中国から多く輸入されて、書院飾りに用いられるようになり、その流れが、茶の湯でももっぱら広間で使われる唐物籠花入になるわけです。丸く膨らんだ形で手の付いた牡丹籠、南京玉を組んだりする種々の手付籠や耳付籠など、唐物籠といえば、籠花入の中でも、やはり別格とされます。もっとも他の茶道具と一緒で、唐物といっても、本当の唐物は美術館あたりにしかなくて、古い写しの日本製が唐物として通用しているのが現状だといいます。唐物籠に対して、和物籠というのは、他の用器を見立てで使うことから始まったようで、記録では、武野紹鴎の時代の茶会記に「なたのさや」というのがあるそうです。これは鉈の鞘ということで、木こりが、商売道具の鉈を腰に提げる藤蔓で編んだ籠の見立てだとされ、鉈籠と呼ばれるのが普通です。見立てでで有名な話は、利休が桂川の漁夫が使っている魚籃(びく)を貰い受け、花籠入にしたという桂籠です。こうした生活用具の籠からヒントを得て、茶人が創作した、いわゆる好みの籠というのは、千家系歴代宗匠に、かなりの数があります。多分一番有名なのは、久田宗全好みで、高い手のついた宗全籠で、茶会でよく見かける籠です。宗全は、母が千宗旦の娘で、宗旦の外孫であり、宗全の子が表千家の養子になった覚々斎原叟です。宗全は器用で手造り茶碗や好みものも多いのですが、籠花入では、もう一つ蝉籠があります。茶会でよく見かける籠花入(勿論写しを含めて)には、表千家の如心斎好みの鮎籠、裏千家竺叟好みの唐人笠、玄々斎好みの末広籠などがあります。

 籠花入だけは、畳床に置くときも、薄板に載せませんが、これは古田織部が発明したやり方で、それを見て感心した利休が「これは私がお弟子になりましょう」と言い、それから一般的にこのやり方に定められたという有名な逸話がありますから、それより前は、薄板に載せていたのでしょうか。確かに、堂々とした唐物籠などは、載せても違和感はないかもしれません。

 籠花入は竹花入と違って、無名の工人が作ろうが、作者不明だろうが、あまり気にされないところが取柄(?)で、我が家などは、妻が池田瓢阿氏の竹芸教室で習って作ったものを、恐れげもなく席で使っていますが、お笑い草までに、その写真を。実は3点の内、1点は妻の作ではないのですが、お分かりになりますか?

  唐人笠。

 虫籠。

 宗全籠。以上です。

    萍亭主