前回の続きですが、繭山龍泉堂の席は、道具はほとんどが、茶の湯用語で言えば、見立てのわけですが、一級の美術品だけに、迫力が違います。

 よく、水指だけとか、花入だけとかを西洋骨董や民芸品の見立てを使うというのは、見たことがありますし、いわゆる近代アートの器でまとめた立礼席も見た覚えがありますが、どうもあまり感心したことがなく、何だか薄っぺらな印象を受けたものですが、今回は実に感心しました。さて、前回ご紹介した他に、どんな道具が使われていたかというと、まず花入は、青銅の觚(こ)が使われました。本来は酒の器ですが、花入としての見立てに無理がありません。美術用語で言う饕餮文(とうてつもん)がある、しまった小ぶりの感じのものです。こともなげに「殷時代のものです」というご説明ですが、殷王朝と言えば、紀元前10世紀くらい?私が茶席で見た一番古いものかも。隣に座られた連客の美術館の方に「觚って何時ごろまで作られていたんですか?」とお伺いしたら、「西周時代くらいまでですかね」とのご返事。いずれにしても紀元前です。話が少しそれますが、実は我が家にも「觚」と称する品があります。花入にしているのですが、元々そう大したもんでもあるまいと思っていたのですが、こうして本物を見ると、やっぱりあれは近代の模作だなと納得しました。下が、我が家の觚と称するものです。

 さて、香合は、大ぶりな灰色がかった青磁の奇怪な形の器を使われました。「何の形かわかりますか」と言われ、客一同首を捻ったのですが、梟なんだそうです。三国古越瓷盒というもんだそうで、副葬品なんだそうです。梟は、暗闇を守り悪を退ける縁起の良いものだとか。触らせて貰うと、ずっしりと相当に重い。茶器は、こちらはやや青味が勝るかという感じの、西晋古越瓷盂というもので、香合より少し若い時代(と言っても3〜4世紀)ということでしょうか。形は蛙なのですが、翼があるのが神獣っぽい、やはり副葬品だそうで、広い口に古そうな象牙の蓋を合わせられました。重さは香合と同じくらいの手重い感じ。茶杓は、拝見に出されなかったんですが、通常の茶道具の象牙を使われたようで、無理のないところです。茶道具といえば、釜もれっきとした茶道具で、大きな布袋地紋の芦屋釜、赤星家伝来といいますから立派なものです。蓋置も青竹。建水は 唐時代の青磁の見立てだったようですが、残念なことに見そびれました。水指が、茶人が絵高麗と呼ぶ、北宋磁州窯白地黒掻落し七宝文で、くっきりとした文様で、形も実に端正な感じ、大きさも水差にぴったりで、そのために作られたみたいに感じますが、無論見立てで「元々も水を入れる器ではあったでしょう。磁州窯は水指に使えるものが、結構多い物です」というお話でしたが、茶道具商が文句なく飛びつくだろう品です。見立て道具といえども、馬鹿に出来ない。これだけの斬新で迫力のある茶席が作れるのですから。全く初めて味わうワクワクする面白い経験でした。ただ正直、私には、床の現代アートだけは、良さが理解出来ず、もしあそこに、馬遠だの趙昌だのといった唐画でも掛かっていたら、もっと感激したかも知れません。それじゃ古い茶の湯に戻ってしまうと言われるかも知れませんが、東山時代の唐物茶の湯と共通するような美が生まれたかとも空啜るわけです。ともあれ、十分満足させていただいて、草雷庵を退出、不昧軒の方に向かいました。続きは次回。

   萍亭主