イケメンというのはよくわからない。 | 陽炎の帯の上へちらりと逆まに映る鴉の影―どーすかΩ

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この部屋の中にいるヤツに会いたいのなら もっと、寿命をのばしてからおいで

本稿は以下の記事の続きです。

おヒマならぜひ見てね。


□どうして君はイケメンになれないのか?

http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10527913234.html


□ぼくはきみに話してるんだぜ。

http://ameblo.jp/hyorokun/entry-10539493122.html


* * *


イケメンについて語ることはむつかしい。

それは、イケメンとはなんなのかが、ぜんぜん

わからないからだ。


みんな「イケメン、イケメン」とやかましいのに、

誰もイケメンとはなんなのか、肝心なそのそれを説明する

ことができない。


何かがおかしい。


きみは何でだと思う?

ほらね。

そして、もうひとつ。


何かがヘンであることは明らかであるようなのに、

誰もそれをヘンだとは思っていないようなんだ。

それが、これまたヘンである。


そんな二重にヘンな事態。

ヘンなことがあり、また、それについて語る人間がまわりに

いないということは、人まねをすることもできないわけだから、

ぼくがそれを語ることもまたやはりむつかしい。


ぼくたちはそんなアンパスにはまり込んでしまったようだ。


こういうときにはどうしたらいいのか。


「目の前の事態を語ることは、同時に目の前の事態を語る者

について語ることを一部含みこんでいる」という目眩のしそうな

状況を突き放して見つめることだ。


「うまく言えないんですけど、でも、その「うまく言えなさ」に、

ぼくはいつも助けられてきたように思います。」


ここでもいつものようにすればいいだけだ。


半ばくじけていたけれど、もういちどがんばってみることに

しよう。


* * *


まず、みなさんも、人々が「イケメン、イケメン」とやかましい、

というところまでは同意してくださるだろうと思う。


ここから取り出せることは、

「イケメンという言葉には重力がある」ということだ。


みんなそれに引き寄せられる。

あたかも、あの妖美な羽で夜風をかく蛾が、

揺れる炎に吸い込まれるみたいに。


次、イケメンという言葉が本当は何を指し示しているのか、

それがわからない、ってこと。


ここまで考えてきたことだけれど、ぼくやきみが「真なるイケメン」

ではない、ということはわかるけれど、でも「真なるイケメン」「である」

ということがどういうことなのか、実はわかっていないのだ。


たぶんイケメンにはふたつあるのだと思う。

相対的なイケメン、そして、絶対的なイケメン。


たとえば、キムタクがイケメンであることはまずはみんな納得する

だろう。

でも、キムタクファンには悪いのだけれど、難癖をつけようと思ったら

いくらでもつけることができるんだ。


「あたしはもう少し鼻が低い方が(!!!)好きだわ。」

贅沢言うんじゃないよ、とは思うけれど、そうなのだ。

美というのは、本来、人によって点でばらばらな概念なのである。


これは人間の生物としての生存戦略上、とても合理的な話で、

各々の個体にとっての「私の思う美しさ」、すなわち「自分の子孫を残すに

あたってふさわしい相手の条件」は、ばらけていたほうが、種全体としては

生存確率が上昇する。

「二重じゃなきゃヤダ」と全ての女性が思っていると

一重はもうその時点で「全滅」である。

(性別やまぶたの形状について、もちろん逆でもよいが。)

これは大変に「もったいない話」である。


「キムタクはイケメンだ」と言うときの「イケメン」は「相対的なイケメン」

である。

このイケメンはそんなにむつかしく考えなくともよい。

共同的な、普遍的な「イケメン」ではないものの、好きに使っていい。


ぼく「きみね、イケメン、イケメン、とうるさいけれど、じゃあきみの言う

「イケメン」ってほんとうのところ、一体なんなのか説明できるかい?」


きみ「もちろん!たとえばそれはキムタクであり、ゴロウちゃんが

それよ!」


ぼく「そういう風に、具体例でしか説明できないイケメンは相対的な

イケメンなんだよ。問題は、ここでぼくが食い下がったときに、

それでは「イケメンとはなんなのか」それそのものとして説明してよ」

といったときに問題として現れてくる「イケメン」のほうなんだよ。」


きみ「それは鼻が高いことよ!」


ぼく「でも鼻がもう少し低い方が格好いい、イケメンだ、ということだって

あるだろう。」


問題は、つまりぼくたちを悩ますあのややこしい「イケメン」というのは、

絶対的な、純粋な、真正な、イケメンの方なんだ。


そちらのほうは、「鼻が高いこと」「凛々しいまゆげ」「二重であること」

などなど、といったような、「性質の束」をいくら集めても届かないだろう

ということだ。


「鼻が高いほうがいい!」

「もっと低い方がいい!」

「まゆげが濃いほうがいいわ!」

「薄くしろ!」


こうしてみると、みんながあれやこれややかましく言うから、

イケメンとはなんなのか、よくわからないように見える。


ぼくもそう思っていた。

それでそこからいろいろ考えたものの、よくわからない。


それでやっとわかった。つまり、「自分がぜんぜんわからない」

っていう状況を目の前にして、反ってわかった。

この説明は、たぶん原因と結果が転倒しているんだと思う。


ここがこの文書のミソだ。


みんながあれやこれややかましく言うから、

イケメンとはなんなのか、よくわからなくなったのではなく、

イケメンとはなんなのか、よくわからないから、

みんながあれやこれややかましく言うんだってこと。


イケメンという言葉の持つあの「重力」は、

「それがなにかよくわからない」という性質によって

もたらされたものではないか。


ヘンな説明だね。

うん、ぼくもびっくりした。


だって今思いついたんだよ。


あーそうか、そういうことだったのか。

これは使えそうだ。


続きます。