筆が進まない。


いろいろと書いていかねばならんことがあるのですが


なんとも筆が進まない。






一隅を照らす、これすなわち国宝なり







天台宗開祖の最澄が説いたとされる一言です。



どういう意味かというと




一人一人が小さな灯火のような弱き力でも、その場所で一生懸命に頑張ることがとても大事であり、その頑張りこそが国にとってかけがえのない宝である。一人一人が頑張れば、その一隅を照らす小さな灯火はやがて国全体を明るく照らす大火となりうる。



的なもの。




僕がこうやってせっせとブログを書いてるのも


家の片隅のホコリがたまったあたりくらいは


照らせているんじゃなかろうかと


自分を鼓舞しながら書いとるのですね。





そして、また1人ブログ仲間が出来ました。


当院をご利用頂いてる飼い主様であり


チワワのティムちゃんの成長日記を書かれております。


ティムちゃんはひょうぺが大好きっ子でありますが


僕もティムちゃん大好きっ子であります。


大好きおじさんですね、はい。



↓ワンコの飼い主あるあるがたくさんあってとても面白いです✨シェアさせて頂きます。


ティムちゃんの成長日記








昨日は昨日でですね



恩師とお会いしてですね



ペット業界についてたくさんお話をすることが出来ました。



恩師は今後の仕事について少し悩まれてるようでした。


自分の方向性を見定めている最中のようでした。



どうすればもっと飼い主とペットの暮らしが豊かになるか、気持ちを楽に過ごすことができるか、そのように真剣に考えておられたのです。



僕は特に何かをしてあげられる訳でもなかったのですが




というか餃子の王将をご馳走になった上に


僕の子供の遊び相手にまでなってくれて


いろいろして頂いて本当に感謝した次第。





みんな一隅を照らしているのだな、と。



まさしく国宝だなと思った次第。





僕もそんなみんなに負けないように



一隅を照らすため


頑張りたいのですが



今日は筆が進まない。





















































白州もらったから。






ティムちゃんママたちから白州もらったから。













普段2時間くらいは残業して帰るけど















今日は定時ピッタリに帰ることにしました。



















僕を照らす、これすなわち白州なり







ありがとうございます😭




いま三ノ宮駅あたりだけど



早く家に帰りたいよー❗️


ちょっと閑話休題で・・・



明日から新トリミング室がオープンします〜。














今まで2階だったのが


3階に引越しになりました!






ちょっと面積が狭くなりましたが



まぁその分オシャレになりましたので


よしとしましょう!



個人的には3階カウンターで飼い主様とおしゃべりできるのもポイントが高い😊


まだまだ工事の途中なので


とっ散らかっており


ご不便をおかけしますが


楽しんでいただけるサービスを考えておりますので


ぜひご期待くださいませ🤲



大変いまさらなのですが、いつもブログを読んで頂きありがとうございます!



最近、よく「ブログを読んでるよ」というお声を頂けてとても嬉しく思います!





その反面


もう今後、下品なことは書けないなとすこしセンチメンタルになってます。






さて、今日は



ペットの終活について。






死とはなにかについて書いていこうと思います。







自分ごときがこんなこと書いちゃっていいのかと思う気持ちもありつつ



しかし何かしていかないとと焦る気持ちもありつつ



複雑ではありますが少し心が軽くなるお話をしていきます。





今回はのっけから宗教要素まるだしで恐縮なんですけど




仏教には空(くう)という思想があるんすよ。






空って




僕の数少ないボキャブラリーで表現するならば















真理











あるいは宇宙









あるいは世界










あるいは全










あるいは一










そして・・・





俺はお前だ。










ってこれ鋼の錬金術師じゃねーか!




数少ないボキャブラリーでしかもパクりとはな。










まぁでも



当たらずとも遠からずで



そんな感じなんですよ。





空とは「なにもない(あるいは実体のないもの)」と訳されたりします。




なにもない。


何もないから僕もない。


僕もないからあなたもない。


あなたもないし、世界もない。


世界もないし宇宙もない。


これが空。



よーわからんすね笑





般若心経で有名な言葉があります。





色即是空




しきそくぜくう


といいます。








色(しき)とはなにか。



空とは反対に「かたちあるもの(実態あるもの)」と訳されています。



形があるから僕がいる。


僕がいて、ということはあなたもいる。


あなたがいて世界がある。


世界があるのだから宇宙もある。



僕がいてあなたがいて世界があり宇宙がある。


これが色。






般若心経の色即是空とは



色すなわちこれ空なり







かたちあるものって実はなにもないんだよ。


ってことを言ってます。

















いや意味わからん( ̄◇ ̄;)






ちなみに





クレヨンしんちゃんの、しんのすけの家の寝室には「色即是空」と書かれた掛け軸があります💡



だからなに🤪





色即是空とはどういうことか



例えば






ここに一杯のラーメンがあります。


あとギョーザ4個とスーパードライ。


ゴキゲンな晩飯だぜ😋







いま、たしかにここにラーメンがある。




このラーメンを僕がペロリと平らげたとします。



目の前のどんぶりは空っぽ。





さて、ラーメンはなくなりました。












 

本当に?










 

いや、ラーメンはなくなっていないという考え方もできます。






何故なら








いま、目の前にあったラーメンは僕の胃袋に移動しただけだから。





その証拠にほら






僕は空腹感から満腹感に変わり





ビールによって僕の肝臓の血液数値はさらなる高みへと上昇し









僕の口からはそこはかとなく






というかガッツリとにんにく臭を漂わせ







僕の思考は「明日仕事あるけど大丈夫かな・・・?」という不安に苛まれています。









これでもラーメンをなかったことにできるだろうか。








食べた後どれほど「やっぱ、やめときゃよかった」と悔やんだことか。










そう



ラーメンの姿形は変わっても確かにいまも存在し続けているともいえる。







形はなくなっても存在としてたしかにそこにある。




そういう考え方もできる。



しかし「それはラーメンの定義の違いだろう。ラーメンはどんぶりに注がれた食べ物を指すのであって胃袋に入ったものをラーメンとは呼べない。そんな風に解釈できるなら俺が今朝に済ませたトイレは昨日飲んだビールじゃねえか。サッポロに謝れ。」というのもまた事実。



ではですね





夢をかなえるゾウ4死神とガネーシャに

このようなユニークな例え話が出てきましたので引用させて頂きます。









岩と石と砂の境界線はどこか







岩のイメージってなんでしょう?


大きくてゴツゴツしたものですよね。


車と同じくらいの大きいものは間違いなく岩といえます。




では自分と同じサイズは岩でしようか?




まあこれも岩かな?




じゃあ握り拳サイズだとどうです?





いや石?



じゃあ親指サイズなら?


いやそれはもう石だよ。



では爪先くらいの小さいものだと?


んー小石じゃね?



その小石を細かく細かく砕いて1000等分くらいに分けたら?


それは砂だよな。












じゃあ










その境界線は?















どこからどこまでが岩で






どこからどこまでが石で








どこからどこまでが砂なのか?

 






その答えを般若心経ではこう結論つけています。



























そもそも岩も石も砂も存在しない。空なのだ。と。











どういうことか。





岩と石と砂。その境界線はどこか



明確に答えを突き詰めていくととても曖昧になっていきます。




この疑問に対するもっともシンプルな答えは、「そこに境界線は存在しない」ということになります。




岩や石の呼称は普遍的なものではなくて我々が普段の生活において区別するための便宜上の表現に過ぎない。



普遍的でないのだから人によって岩と石と砂の定義は違う。


人々が砂と定義しているものでも蟻からみれば石と答えるかもしれない。


であるならば、石という絶対的な存在はないのかもしれない。




同じく絶対的な存在はないのだから


岩と石とか、自転車と自動車とか、人と動物とか、電車と新幹線など


似て非なるものだけど区別した方がより伝わりやすいからそう呼んでるに過ぎないということになります。




ペットの問題行動だってそう。



トイレでオシッコをすることは適切で


布団でオシッコすることは問題行動という。



どちらも同じ排尿という行為は変わらない。



そしてこれらを区別しているのは我々人間側。



つまり物事や事象や境界線とはすべて人間の思い込みが作る幻想(実体のないもの)なのだ。




ということが書いてあるのですね。




つまり色即是空ということ。



この後にはこう続きます。



空即是色


くうそくぜしき


と読みます。



これは先ほどの説明を逆転させたものになり「かたちないものってかたちあるものと一緒だよ」ということになりますが


僕はこれを循環を意味しているんじゃないかと考えました。


色は空であり、空は色になっていく。という考え方です。




これが正しければ



認めたくはないけれど



やはり今朝トイレで出したものはビールだったということになります。



もっというと



今朝トイレで出したものはいずれビールになるということになります。



さらに言うと



俺はそれをいつか飲むということになります。







考えただけでおぞ気が立つ推測はひとまずおいて



食物連鎖という考え方があります。



プランクトンやちっちゃい微生物は小魚の餌となり、小魚はより大きな魚に食われ、その魚は鳥に食べられ、鳥は地上の動物に食べられ、地上の動物はやがて土に還り、それらのミネラルが栄養源となりまた微生物に還元されていく。



ここには自然界の命のやりとりが表されているけれど


食べられたプランクトンや魚は餌食になったらそれでおしまいなのか。


さきほどのラーメンの考え方のように食べた者の血となり肉となり、あるいは排泄され土となりまた新たな生命を宿す手助けをしているのではないか。



昨日飲んだビールは翌朝、排泄されてトイレに流れていき浄水されて海に放流して、気化して雲になり、雨となって田畑に麦を実らせ、やがてビールになっていくのと同じく。


ただただ循環しているだけではないか。



循環におけるその変化の過程の断片を切り取って、僕たちは岩とかラーメンとかビールだと認識しているに過ぎないのではないか。





これが空即是色なのではないかと考えてます。








































そうなってくると















自分とはどこからどこまでが「自分」なのか?


































犬はどこからどこまでが「犬」なのか?



















死とはなにかについて



いまのところ



「死は存在しない」



になってきつつあります。



何故なら「死」も人が引いた境界線になるから。





つづく。