10年も居た君だから、

別に新しい発見があるわけじゃない。


君のおっぱいが或る日、3サイズ大きくなるわけもないし。


皮肉屋な僕が、とてもまっすぐな目で君に愛を語るわけもない。



どうやっても合わない、

凹みも窪みも、

時には、肌を刺し肉を破ることだって知っているのだけど、


それなのに、

”一緒に暮らそう”

君がそう言った時、


心の奥底に、まだ知らない自分の感情が在るのを見つけた気がしたのは、


僕と君に、まだ知らない明日があるからなのかな?



きっと、


花もうらやむ二人が、


満を期して、つがいになった時みたいに、

自然と足がステップを踏んでいるような、


そんな盛り上がりなんてなんにもなくて、


二人の明日は永遠だよね、


そんな浮ついた言葉の代わりに、


きっと僕らは一緒に暮らしても、

喧嘩もするし口論もするんじゃないかなって、


ごく冷静に思ったりもする。


どうやっても埋まらない溝は、

時間をかけて埋めていくよりも、

あるがままにしておく方がいい気がする。



それなのに、

10年たった今でも、


代り映えのしない日常に起こった、

ささいな変化を、誰かに伝えたいと願うときは、

いつも君の顔が浮かぶのは、


なんでなんだろうね?



君が地球で、

僕が月で、


拮抗してるかに見えるけど、


宇宙と違って、この大地には、

隕石も降れば、ブラックホールだってある。

世界は、フレアで溢れ返ってるし、

きっと今年の終わりごろには、

地表で超新星でも爆縮するんじゃないだろうか?


それでもやっぱり、


僕と君は、奇妙な距離感を持って、


世界の終りの日が来たとしても、

二人でのんびり、縁側で茶でもすすってそうな気がする。


だから、次の週末には、


君の問いかけに、返事もしないで、

”どこに住む?”って切り返してみよう。


10年かけて、二人が作ったラグランジェの法則が、

どういう定理で破れるのか考えながら。




あなたはそこにいますか?


多分ずっと前に、僕が投げた問いかけは、


めぐりめぐって、君に届いたんじゃないだろうか。



好きとか、愛してるとか、


多分そんな簡単な言葉じゃなくて、



僕は君が、大事です。



多分、

自分の事より、ほんの少しだけ、


君は大事な存在です。



だから、


目を覚ました時、最初に飛び込んでくるのが、

君の寝顔ってのも、悪くないんじゃないかな。



さあ、しあわせになってみようか。



















まあ、仕事で疲れて、

告白してみたくなったという、


それだけの話。

つまり、鐘楼に登った銀ギツネが、

真っ赤になった月に向かって問いただす。


「昨日、僕の毛皮とそっくり同じ色をした、キツネに出会ったんだ。


彼は僕を、仲間だなといって、笑いかけた。


やっぱり、彼と僕は仲間なのかな?」



月は唸り声みたいな笑い声をあげて、

銀ギツネをかえりみもしなかった。



あくる晩になって、


銀ギツネは再び月に吠える。



「真っ黒い色をしたキツネが、


僕を面白いやつだと言ったんだ。


でも、毛皮の色が違うから、きっと彼は嘘つきだね?」



月はやっぱり、唸り声をあげて、

キツネとは向きあいもしなかった。



それから一季節の間、

銀キツネは、同じ毛皮のキツネと狩りをしたり、

寒い夜には、身を寄せ合ったりした。


それなのに、ある夜、

寝がえりを打った、銀ギツネの爪が、

彼のほほにほんの小さな傷を作った翌日、


彼は何も言わずに、なわばりから彼を追い出した。



銀ギツネの中には、

怒りやら、悲しみやら、申し訳なさやら、虚無感やら、

なんともたくさんの感情が渦巻いていたのだけど、


最後ににこりと笑みを張りつかせて、


遠くの森に旅立つことにした。


その森には鐘楼が無かった。


鐘が鳴らなくなった森の中では、

銀ギツネは、いつ狩りをして、いつ寝ればいいのかもわからなかった。



すると、いつかの黒キツネが、


銀キツネの前に、狩ったばかりのウサギのもも肉を放ってよこした。


「あいかわらず、おまえはおもしろいやつだな。」


やっぱり、銀ギツネの中には、いろいろな感情が浮かぶのだけど、



「ありがとう。」


そういって、血の滴るもも肉に牙をくいこませることしかできなかった。


鐘が鳴らなくても、

ウサギのもも肉が美味しいことを、銀ギツネは初めて知った。



鐘楼から見上げなくても、

やはり真っ赤な月は、溜息をつきながらそんな様子をみていたのだった。

何年かぶりに誰かと喧嘩した。


何年かぶりに電話で口論した。


”ふり”じゃなくて、

相手の領域に踏み込んでいって、

陣地を奪いに行くような喧嘩。

相手の陣地に旗を立てて、

”僕はここにいるぞ!”という喧嘩をした。


別に僕は、その人に対して日常的に不満を溜めていたわけじゃない。


だから僕は、どうして僕の中に、

収まりのつかないジグソーパズルのピースみたいに、

ふつふつと怒りが沸いてきたのかは判らないけど、


例えば、その人と知り合ってからの、

10年だか11年だかの歳月が無駄にもなっていいと思えるくらいには、

不愉快になっていた。


僕の喧嘩は、いつも時間に負ける。


時間だけが解決できる問題だってあるだろうに、

僕はいつだって、ほんの1日とか2日の間に変わっていく自分に耐え切れなくなって、

何らかの不具合を抱えていた自分に蓋をする。


蓋をすることで、日常を生きていける事が良いことなのか悪いことなのか、

無責任なのかいい加減なのかも知らないけど。


とにかく要約すれば、

僕はその人との関係を疑っていた。


他人との折り合いに疑問を持っていた。


多分、僕にとっての人間関係は、

崖の上から飛び降りるようなものだった。


降りてしまえば、自力では這い上がれない、

1秒前の自分には戻れないもの。





だった。



でもきっと今は少し違うんだと思う。


おなかが空いたら、

何かを食べたくなるし、


もっとおなかが減れば、

きっとセロリだって、段ボールいっぱい僕は食べるのだと思う。


きっと、餓死しそうな時、

嫌いなものしか目の前にないからといって、

そのまま餓死する人はいないんじゃないかなと思うし、


仮にそれで死ねるなら、

高潔か我がままのどちらかなんだろう。


ともかく僕はそうやって、

10年くらいの価値観を放り投げた。


夜が過ぎ朝になる。


24時間経った後も、

今回僕は時間に負けることはないのだけど、


曇り空に、小さく月が浮かんでいた。

ほんのちいさく月が浮かんでいた。


転んだ三日月みたいな格好の月が、

なんだか笑っている様に見えて、


僕は、その子にすぐさま電話して、

ねえねえ、月が面白いよって報告したくなった。


3歩進む間、

僕はにこにこと君がなんていうかを想像して、

4歩目を踏み出したとき、

そういえば昨日10年分を放り投げたことを思い出す。


思い出したついでに理解した事といえば、

僕の文章には月がよく出てくる。

どうして月ばかり書いていたのかなと考えると、

きっと、初めて僕の文章を見た君が、

まるで月みたいな文章だねえ。

そう言ったから、僕はきっと月を書き続けたのだ。



そこから数十歩、僕は考え事をしながらアスファルトを見るのだけど、

もう一度月を見て考えようと、空を見上げた時。


雲とビルに遮られて、

ぼんやりとした暗闇のどこにも、


もう月を見つけることはできなかった。


いやね、なんというか、

誰かのコメントみるまで、


ああ年明け記事すら書いてなかったんだなあとか、


穿いた後に、実は穴があいてることを発見した、

というか、スースーするので気がついたパンツを、

それでもそのまま穿いたまま、


冬のウォシュレットってのは、

温水が出るか、冷水が出るかってのは、

下手なおみくじよりもスリリングなわけで、


やっぱり冷水かーって、

ほんの3cmくらい便座から飛び上がった僕は、


うんうんそうそう、

あけおめも言ってないんだなとか、


そんな感じの記事なのです。


や、もう340日くらい寝るとお正月ですねとか。



また、こうやって更新してると、

どっかの誰かにまだ居たんだっけ?とか言われるような、

言われさえしないような。


どっちでもいいんだけど、


やっぱり、ときどき思いついたように、

言葉を書き遺す場が残っていてもいいんじゃないかなあとか。


模型や絵を描いたり作ったりは、

時間と道具がいるのだけど、


文字を垂れ流す分には、

なんの感性も、時間も、場所もいらないで、


ほんとに便利ねって、

そんなblogも気がついたら2年目?あれ?3年目とか?

まだ見てくれてる人に、


今年もよろしく。

多分、深夜3時だか2時だかそんな時間。


一体何時からが深夜といって、何時からは早朝なのだろうかと考えながら、

きっと世の中は、曖昧なもので出来上がってるんだと思う。


更に言うのなら、設計した人間はいつも緻密さが半分、

いい加減さが半分でできているのだろうけど、


いつだって、その想いは他人には1/3しか伝わらないのだから、

1/6が延々と蔓延して、

きっと世の中は途方もないくらい、曖昧にできているんだと思う。


そして、そんな自分の思考回路にうんざりしながら、

買ってきたばかりのゲームを、スタートボタンを押しもせず、

オープニングだけを繰り返し見る。


僕の人生の哲学だ。


思考を止めたいなら、ゲームをするか、映画を見ればいい。


38回目くらいのループの途中、

鼻腔の奥がむずむずとした。


”あっ”と思うより早く、喉にどろりとした液体が流れ込むのを感じた。


身じろぎもしなかった僕が、いやらしくもない画像を見ながら、

何故咥内に、随分と、そう多分数年ぶりくらいに血の味を思い出すことになったのか、

僕が曖昧に出来上がってる証拠なのかもしれない。


その昔、僕の好きなマンガにあった台詞を思い出す。


”上を向くとむせるぞ”って、

そう判断するよりも前に、僕はベッドで少し顔を上に向けながら、

動画を見ていたのだから、

思考より早く、血液は僕の喉を通過した。


初めに感じたのは、温かさで、


次に感じたのは甘さだった。


自分の血液を嚥下しながら、

何故か美味しいという感覚によく似たものを感じていた僕は、


やっぱり少しおかしいのかもしれないけど。


また何年かごに、理由もなく流れる鼻血を今から少し楽しみにしているわけ。


僕が仕事帰りに、

外套もまばらな裏路地を、


コートの襟を合せながら歩いていたとき、


地元にこんなみせあったっけ?

という古びた喫茶店だか、飲食店だかを発見した。


まあ、扉や外装の傷み具合から、

だいぶ古くからここにあったのは間違いないのだけど、


僕が歩いて行く方向と、ちょうど逆側に、斜めに扉が付いているもんで、

あまり意識することのなかったお店。



ふとその扉に目をやると、


夜目にも艶の良い、黒猫が扉の取っ手を見上げて、

前足をきちんと揃えながら、その扉が開くのをずっと待っていた。



何故か僕は、その光景から目を離すことができなくて、

多分4、5分の間、吐く白い息の向こうに居る猫と扉をじっと見ていた。



すると、黒猫は突然僕を振り返り、

にゃあ、と短く鳴いた。


「わたくしは大丈夫ですから、どうぞご自宅にお戻りください。」

まるでそう言って、目を伏せたかのようだった。


ほんの少しだけ笑みを唇の端に浮かべ、

こうして僕は家路を急ぐことにする。



大晦日の夕方。

会社から帰る方向とは逆にその路地を歩いているとき、

あの時の扉が目に入った。


あの猫は、あのあと扉に招き入れられたのだろうか。



僕は、”誰も”居ない路地を通り過ぎながら、

そんなことを考えていた。


青いんだか、黒いんだか、赤いんだか、

なんとも言えない色合いの空を見上げながら。

そういえば、今月妹が嫁に行った。


だからといって、別に僕の生活が何か変わったのかといえば、

年上の旦那さんに、”義兄さん”とか言われるくらいで、

なんともくすぐったいだけのこと。


さて、スコットはといえば、

小さい頃は、あれだけ懐いていたのに、


今じゃ、家に帰ってきても素知らぬ顔で、


「ああ、そういえば、昔居たね。」

みたいな顔をしている。

スコットにしてみると、妹よりも、”義弟”のほうが遥かにお気に入りらしい。


ただまあ、この寒い時期になると、

家犬は、大体温まれる場所を確保することに奔走するわけで、


妹がいなくなったことでガランとした部屋は、

彼にとっての居場所ではなくなったらしく。


時折深夜にリビングにたばこを吸いに行くと、

どこからともなく寝息が聞こえることが多くなった次第で、


僕が明りをつけてたばこを吸っていると、

さも迷惑そうに、鼻をフンと鳴らすあたり、

きっと彼こそが、妹なきあと、リビングでの王様なのかもしれない。



「そこは寒そうだねえ、部屋にくるか?」


そう、声を掛けると、王様は眠い目のまま、

とことこ僕の後をついてくるわけで。


この年末の忙しい中、荒廃した僕の部屋のベッドに、

スコット様はとび乗れないらしく、

早くそこに乗せろとばかり、ベッドわきで無表情でこちらを見上げてる。


ま、いびきがうるさいこの犬が部屋にいると、

温度が1度くらい上がった気がして、足元は温かいのだけど、


寝ぞうの悪いこいつと夜を明かすと、


大体僕は寝不足になるわけで。



ま、明日も休みだし、そう思って僕はまたこの毛玉をベッドに持ちあげて、

今日は就寝のはこびと、あいなりましたとさ。


それではおやすみなさい。

あ、どもHydeですの。


日常文は久しぶりですの。


誰かさんたちは心配してくれたりもしますけど、

一応身も心も元気ですの。


ただ最近、

かさかさーっとしてきたなあとか、

まあ冬だしねえ、いい年だしねえ、うるおいないのも仕方ないのかもだけど、


ここんとこ、時間見つけては文章を書くことを思い出そうとしてるのだけど、


俺の場合、

なにやら呼び水があるから、文章が浮かんでくるんであって、


どーにも、

会社と家の往復では、


呼び水もない…ってわけでもなくて、

きっと日常にはゴロゴロと興味を、心を喚起する?歓喜する?

ものにあふれちゃあいるんだけど、


頭の中が、割と9割仕事仕事なもんで、

人間変われば変わるのねえ、ってそんな日常なわけです。


やーでも、だめですねー、

めっきり性欲も薄くなって、

エロビデオみてても、


俺なにやってるんだろう。


そんな冷静さに襲われるのは、

やっぱり、エロの刺激に慣れすぎてしまったせいなのかなあとか。


投稿写真とかBOMBみて、

はあはあしてた頃のが幸せな気がする。

てか絶対幸せ。


よし!

せっかく長い休みになったんだ!


もう一回文章を練り直す!



前に、秋葉にいって、変なエロビデオでも探しに行こう。


うん、なんかどっきどきできそうなやつ。




ま、なんですかね。


今はもうなくなりつつある昭和な風景。

そうね、夕焼けチャイムが鳴って、カラスが啼いて、


めっきり見かけなくなった、銭湯の高い高い煙突のへりに座って、


ちょっとだけつまらなそうに口を尖らせているのだけど、

見たことのない高さから見た夕陽が、


なんだかあまりに大きくて、

気がついたら3割は怖くなって、7割はワクワクしてきてしまう。


それが今の俺の視点だったりします。



休みの間は、ちょっとは記事書けるといいなぁとか、

返事できるといいなぁとか、


自分のことなのに、願望ちっくに書くとかどうなのよって話。

きっと僕が目の前に広がる光景なんて、
視点を変えれば、誰かがそっと石を持ち上げた、
ほんの5cm四方の空間なのかもしれない。

僕がこの世で、ただひとつの真実だとか思っていた恋も、
きっと永遠に繰り返された、
過去に誰かが経験した、
もしかしたら、誰もが経験したありふれた物語だったのかも知れない。

というより、きっとそうなんだと思う。

それでも、僕には、
僕が生まれてから、見て触って聞いたものしか知らないから、

世に溢れ返ってるたくさんの物語、
その物語は、間違いなく僕の物語ではない。

だから、隣にいる誰かが笑っている理由を、
僕は知らない。
誰かが泣いている、涙の味を僕は知らない。

僕が好きなあの子が、何を考えているかだって判らないし、
もっとはっきり言えば、どこで何をしてるのかだって知らない。


知らないことばかりのこの世界で、
それでも曖昧な僕の輪郭の中で、
僕は僕を作っていく。

秋の海辺で、緩やかに海に引き込まれていく、
白い貝殻みたいな価値観ではあるのだけど。

たゆたう景色の中で、
それでも僕という白い貝殻は、
少し端っこの掛けた白い貝殻は、
深い海溝に落ちもせず、
やっぱり夕陽の中で、少しだけ桃色に染まっている。

どもども、Hydeです。

いきなり新シリーズです。


妄想性ゼロのコラムっぽいのを書きたくなりましたので、新ジャンルを。

Hydeではなく、秀樹の視線の物語です。


------------------------------------------

僕の部屋に、歴代あったりもするんだけど、

「スピーカー」をいうものは、えらく扱いが悪い気がする。


生まれて初めてのスピーカーとの出会いは、


中学生の頃、

やりもしないけど、みんながもってるからと欲しがるファミコンよろしく、

音楽に興味を持った僕は、かねてからコンポなるものを、親にせがんでいたわけで、


ある日突然、両親が勝手に選んできたコンポのセットを頂くことになる。


むやみにでかくて、無骨なデザインのそれを、

僕は最後まで気に居ることはなかったのだけど、


今は離婚して全くの他人になった、

叔母の旦那さんが、絶妙な位置で取り付けをしてくれるたりして、

随分と、仰々しく僕の部屋に鎮座することになるわけで、


実を申せば、そのスピーカー。

未だに実家の部屋の壁で、ぽつんと片方だけ、天井近くの壁に、

有名ではないデザイナーの維持とばかり、ほこりをかぶって宙づりになっている。



会社に入った最初のボーナスで僕が買ったのは、

テレビと立体音響のスピーカーと、アンプしめて40万円也。


まあ、そのテレビは今も修理なく毎晩稼働中なのだけど、

うちの読者様なら、そのテレビもアンテナに接続されないのは、ご存じの通り。



或る日、アンプがうんともすんとも言わなくなり。

その日を境に、BOSEの5つあるスピーカーもサブウーファーも、


部屋の片隅に地蔵の様に放置される運びとなる。


このスピーカーは、デザインも機能も惚れぬいて買ったはずなのに、

あれ?どうしてこうも、打ち捨てられる結果になったのか。


考えてみれば、デスクトップのパソコン用にと買った、

外付けのスピーカーも、極めて不遇な扱いを受けていた気がする。



そこで、ふと考えるのは、

なぜに僕は、意識の外にスピーカー達を追いやった癖に、


後生大事に狭い部屋に、居場所を与え続けるのだろう。


まあ、僕が面倒くさがりなのを差し引いても、


何も存在しない空間に、音を作り出すという、その機能自体になにやら惹かれるものが、


あるのかもしれない。



きっと僕が婿に行くその日まで、

彼らはやはり、あの部屋の一部として、共存し続けるのかもしれない。


それが、永遠と近い意味なのは、ご愛敬。