どもども、Hydeです。

いきなり新シリーズです。


妄想性ゼロのコラムっぽいのを書きたくなりましたので、新ジャンルを。

Hydeではなく、秀樹の視線の物語です。


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僕の部屋に、歴代あったりもするんだけど、

「スピーカー」をいうものは、えらく扱いが悪い気がする。


生まれて初めてのスピーカーとの出会いは、


中学生の頃、

やりもしないけど、みんながもってるからと欲しがるファミコンよろしく、

音楽に興味を持った僕は、かねてからコンポなるものを、親にせがんでいたわけで、


ある日突然、両親が勝手に選んできたコンポのセットを頂くことになる。


むやみにでかくて、無骨なデザインのそれを、

僕は最後まで気に居ることはなかったのだけど、


今は離婚して全くの他人になった、

叔母の旦那さんが、絶妙な位置で取り付けをしてくれるたりして、

随分と、仰々しく僕の部屋に鎮座することになるわけで、


実を申せば、そのスピーカー。

未だに実家の部屋の壁で、ぽつんと片方だけ、天井近くの壁に、

有名ではないデザイナーの維持とばかり、ほこりをかぶって宙づりになっている。



会社に入った最初のボーナスで僕が買ったのは、

テレビと立体音響のスピーカーと、アンプしめて40万円也。


まあ、そのテレビは今も修理なく毎晩稼働中なのだけど、

うちの読者様なら、そのテレビもアンテナに接続されないのは、ご存じの通り。



或る日、アンプがうんともすんとも言わなくなり。

その日を境に、BOSEの5つあるスピーカーもサブウーファーも、


部屋の片隅に地蔵の様に放置される運びとなる。


このスピーカーは、デザインも機能も惚れぬいて買ったはずなのに、

あれ?どうしてこうも、打ち捨てられる結果になったのか。


考えてみれば、デスクトップのパソコン用にと買った、

外付けのスピーカーも、極めて不遇な扱いを受けていた気がする。



そこで、ふと考えるのは、

なぜに僕は、意識の外にスピーカー達を追いやった癖に、


後生大事に狭い部屋に、居場所を与え続けるのだろう。


まあ、僕が面倒くさがりなのを差し引いても、


何も存在しない空間に、音を作り出すという、その機能自体になにやら惹かれるものが、


あるのかもしれない。



きっと僕が婿に行くその日まで、

彼らはやはり、あの部屋の一部として、共存し続けるのかもしれない。


それが、永遠と近い意味なのは、ご愛敬。