電車に揺られながら、
好意的な意見を述べれば、あまりかわいくない彼女を、
満員電車の中で、必死に他の男に触らせまいと頑張る、
20代前半の男を見ながら考えた。
つまるところ、僕の中には、
輪の中心に居ようとする僕と、
輪から外れたがる僕が同時に存在する。
もっとも、それは多かれ少なかれ、
誰にでもあることなのかもしれない。
でも、僕は、
嬉しそうに彼氏の腰に腕を回すかわいくはない女性を見ながら、
気がつくことになる。
そうか、
僕は中庸で居たいのかもしれない。
まだ、右に行くマージンもある。
左に転ぶマージンもある。
前に行けば、広がる景色があることも知っているし、
後ろに戻れば、楽で居られる空間も知っている。
走ることの喜びも知っていたはずだし、
立ち止まることの安易さも知っていたはずだ。
それでも、僕は、
ボールリレーで、
どっちにも動かない真ん中の鉄球のように、
左右に振れていく、自分と同じ形の鉄球を見送る。
もっとずっと若いころは、
その同じ形の鉄球に、
羨望や、さげすみを持っていたりもしたのだけど、
今の僕にとっては、持ってることも持っていないことも等価値だ。
中庸の僕が思うのは、
熱いシャワーを一刻も早く浴びたいということと、
毛布の中に、何もかもかなぐり捨てて潜り込むこと、
はたしてそのどちらのほうがより幸福なのか、
そんなことを考えていた。