「生かされている自分」
今ほど「自分は生かされている」と感じた事はない。もっと正確にいうと、私を支える有形・無形の力によって「生かして貰っている」と。
前回のこの欄でも書いたが、これ全て肉親家族・親族・友人・知人に限らずこれまで接してきた数えきれない人々のお陰である。
幾多の難関を乗り越えて此処まで来れたのは皆々様のお陰である。
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…過去を振り返ると、私はこれまで幾度となく危険な目に遇い、死神と直面したことも何度かある。
・高校時代、下校時に、丘の上にある校庭から道路まで約30mある急勾配の坂を下る時、坂の途中でブレーキが利かないことに気付いた。若しこのまま下って行けば正面にある家のブロック塀に激突するとの咄嗟の判断で坂の横にあった落差約3mの田圃に突っ込んで一命を取り止めた。その時の衝撃で自転車ペタルのフレームが曲って近くの自転車屋まで押して行ったが負傷や痛みは覚えていない。
・役所の勤務を終えて、夜更けまで飲み、最寄駅から自転車の帰り途、悪戯に仄暗い駐車場に乗り入れ、侵入防止の鎖で転倒して蟀谷(こめかみ)を強打した。其処は鎖止め用の鉄杭から20センチ離れた場所で、あわやの即死を免れた。
・福井勤務の頃、市内で飲んだ上、福井電鉄を途中下車して熊谷家に寄った事が2度ある。1度は自宅まで歩いて帰る雪道で滑って倒れ火照った顔に当る冷んやりした感触が気持ちよく眠くなった時、「こんな所で寝たらアカンで。」という天国の母の声に起こされて凍死しなくて済んだ。2度目は市内で清酒5合、熊谷家でコップ2杯のウイスキーをストレートで2杯飲み、動けず泊まった真冬の夜中3時過ぎに苦しみ、掛り付けの医者が来てくれて強心剤を打って帰った。翌日、迎えの妻に連れられて行った医院で「心臓も肝臓も破裂し掛っていた。」と云われたが、1週間寝ただけで立ち直った。
・「池で行わる村の恒例行事」で、「家族旅行の鳥取砂丘海岸浅瀬」で、「職場仲間で行った友ヶ島」で、泳げない私の腕を掴んで死の淵に引っ張り込もうとした死神に直面したが無我夢中で逃れた事がある。
・年度末、今日が調査の最終日という折、駅から調査対象機関まで歩いていた後から追突されて3m程飛ばされた。腰と膝を強打して寝込んだが、1ヵ月で歩けた。(その時の後遺症として腰痛は今も続いているが…)
・現役生活これが最後という日、荷造りを終えてコンテナトラックを送り出し、愛車で和歌山宿舎を後にして阪和高速を降り、国道170号線に入って信号待ちをしている時に後から4トン貨物車に追突された。命に別状なかったが愛車セフィーロのトランクはグシャグシャに壊れ、鞭打ちで頸椎がやられ、腕や指先の神経痛と痺れが遺されたが、不具者にはならずに済んだ。(後年、手足の痺れに悩まされているのはこれが遠因になっていると考えられる。)
・地域の熟年会でグランドゴルフ大会の後、集会所で表彰式に続く懇親会で浴びるほどの酒を飲みご機嫌で家に帰ったまでは良かったが、二階に上がりパソコンで競馬の結果を見ている最中(さなか)で車輪の回転が良すぎる回転椅子が滑ったため転倒しコチコチに使い古した絨毯の上に頭から打ち付けて体の芯が歪んだようで、以後、腰痛に悩まされている……とは言え………
…とはいえ、悩んでいるばかりではない。青空文庫の小説をコピーし字を拡大したのを何十冊も読んでいるし、毎週、開催されれる地域熟年者連合会の「民謡の会」に参加して思いっきり大声を出しているし、ネット競馬もちょっぴり楽しんでいる…その他何やかやと気を紛らせることもあり マァマァ気分を発散させて過ごしている。