第6章 創作・随筆(第5節…創作「病院(仮題)」連載⑬) | 獏井獏山のブログ

獏井獏山のブログ

ブログの説明を入力します。

(10)

 夏の屋上は入院患者たちで賑やかである。彼等は小さな集まりを成し、屋上の彼方此方を占拠していた。6時の検温を終えた彼等は9時までの殆どをここで語り合いながら涼を楽しむ。…と、こう書けば如何にも品行方正な人間達の集まりの如く映るだろう。勿論、多くの者は涼みを目的にしているのだった。

 私や中隈君や齋藤君や守屋君でさえ、ここでは毛並みの良い青年らしく話し合う事が出来るのだ。が一方、屋上の隅々は恋人たちの語らいの場所でもあった。いずれにしても、この時間は入院者にとって最も清々しいものが漂っているのを私は感じた。夏の暑い時、ボンヤリした頭を冷やす必要に迫られ、その要求に応じるものがあるとすれば、それはこんな空気の事だろう。全く屋上を流れる涼風は、半ば狂い掛けた者たちの頭を幾らかでも正常化するのに役立っていた。

 

 610号の男が616号の可愛らしい女の子を追っ掛け回した末、やっと捉まえると、女の子はキャッキャと云ってその腕を抜け出す。私達はその女の子の事を「ロベルト」と呼んでいた。609号体制とは別に610~612号の男達で1つの集団を成していた。彼等は素麺を作ったり魚釣をしたりする時、何時も行動を共にしていた。ロベルトは彼等の中で人気者になっていた。…何時の間にかロベルトは逃げる事を止めて男達と突っ突き合っていた。その中の1人が何かを隠す真似をしたかと思うと、その手からパッと小さな物をロベルトの足元へ投げた。それは蠅のように素早く地面を這い回る脅し花火であるらしかった。折から辺りは暮色で覆われていたから堪らない。花火がプァプァと女の子の足元で暴れ出した。ロベルトは「キャーッ」と、こんどは本当に

吃驚したらしく飛び上って灯を付けた男に襲い掛かった。男は逃げ出した。逃げた男は当年31才の妻帯者である。私は面白くなって笑い出した。ロベルトをである。私は次に男の顔を見たが…笑えなかった。いい年をして余りにも他愛無いこの男を…笑うことが出来なかった。丁度その時……男が2本目の花火に点火しようとした時……大上慎吾がビールを飲みに行こうと誘いに来た。私と慎吾は天満橋の例の居酒屋へ向かった。

 

(11)

 天満橋の居酒屋に入ってビールを注文してから私は先ず、カウンターの内に居る女たちの面に目を向けた。

                                  (続く)