仮説・幻⑦「神が仕掛けた罠…食」 | 獏井獏山のブログ

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・前々から不思議に思っていることがある。「あらゆる生き物は食わないと生きていけない。それは「神」が仕掛けた罠ではないか。」と。

・よくよく考えてみると、人は3日食わなくても、10日食わなくても、人によっては1ヵ月近くも食わずに生きていける。水分だけ摂って1年ぐらい生きた例もあると聞く。しかし長期間の断食は苦痛を伴っている。

・どうして「神」は人が…いや、あらゆる生き物が何も飲み食いせずとも、苦しむこと無く生きていけるようにしなかったのか。この世の創造主である「神」の力を以てすれば至極簡単なことなのである。しかし、それでは「神」の目的が叶わないのだ。

・食わずとも長生き出来るとしたら、人間は苦役を怠って楽な生活しかしないに違いない。それでは態々地球を創造し、人間という肉体に「神聖天国」に浮遊する1つの魂を潜入させ、その魂の成長を図るための人生修行をさせる事が出来なくなる。それでは地球を創造した意味がない。

・「食わないと生きられない」という重荷を背負わせれば、食物を確保するため、延いては食物(五穀)を産み出すのに必要な「土地」を確保するために、人間はあらん限りの手段を講じるだろう。…つまり、生きるために必要不可欠の土地を奪い合うために人と人は戦わざるを得ない…人を殺めるという「(ごう)」を背負って生きて行くしかない。…こうして苦労に苦労を重ねて生きて行くところに初めて修行の意味が生じると「神」は判断したに違いない。

・「喰わなければ生きられない」事こそ「神」が仕掛けた罠なのだ。

・そして「食」以外にも様々な事で人と人の間には「争い」や「競争」が日常茶飯事に生じているが、これらは全て「食」を根源として派生したものである。

・派生的現象の1例としてここでは「ヤクザの抗争」を取り上げて検証してみる。

「ヤクザの世界」は将に抗争に明け暮れる人生そのものだ。縄張り争いの為に命を張り、抗争に勝ったところでそれを守るために日夜、相手の「組」の動きを警戒して気を緩める暇もない。高が渡世の意地を通す為に、だ。高が抗争と抗争との間に得られる僅かな時間、怒らせた肩で風を切って街角を居丈高に歩く喜びを味わう為に、だ。生きるために争い、命がけの争いの結果に得たものの詰まらなさを証明するような一例…ほんの一例だ。

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 ・この世が 「神」が私だけの為に映し出した幻、であるにせよ、 幻でなく、私の肉体が朽ちた後も現実にこの世が存続するにせよ、…「喰うための争いを余儀なくすること」は、魂の成長のためとはいえ、酷い仕掛けと云わざるを得ない。