仮説・幻⑧ #「神が仕掛けた罠…食→見栄(欲)」 | 獏井獏山のブログ

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元々、「生活集団(国・地域・宗教など)」対「生活集団」、「人」対「人」は生きるために必要な「食糧を得ること」を目的として相争ってきた。豊かな土地を奪い合う「戦争」はその顕著な例である。…やがて、それが昂じて「見栄」と「見栄」のぶつかり合いへと争いの範疇が広がっていった。「政治権力」「出世争い」、そして「金持ち・長者」「豪邸」その他の物欲。加えて興味本位の「スポーツ」「ファッション」「技芸」等々、これらは全て「見栄の張り合い」の対象事である。…最も大きな苦と不幸を産む「戦争」を始め、争いは「苦」の元凶である。にも拘らず人間は、その「苦」を免れるための手段として「争い」を利用する外に為す術を知らないのだ。

・「争い」という「苦の世界」で、相手をより大きな苦に追い込むこと(勝ち抜くこと)によってのみ喜びを感じる生き物になってしまった。

・生まれながらに背負った「苦」の何万分の1にしか値しない「喜び」を得るために、人は積極的に戦いに向うようになった。…これこそ「神」が仕掛けた「罠」としか考えられない。

・「神」はそのための手はちゃんと打っている。肉体に潜入した「魂」はその瞬間から「すべてを見通せる万能力」を剥奪される。‟人生さえ終えれば元の万能力が復活することを想定する能力”を持たない「肉体に備わった五感」は生き続けることを人生の最大事に位置付け、生きるために食い、食うがため、勝ち抜くために争うのである。