漫㉓「睡魔の頂点」の向こう側 | 獏井獏山のブログ

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・北方謙三の小説「水滸伝」に出てくる「死域」という言葉を見て一昔前の事を思い出した。

行政機関の業務調査を仕事にしていた頃、調査結果を取りまとめるため徹夜したことが何度もあった。一定期間の調査を終えて調査結果の取り纏めに入るのだが、電話や職員の行き来の多い職場では気が散って思考の邪魔になるので,取り纏めは殆ど自宅で行っていた。夕食を終えて、テレビを見ていた家族が就寝するのを見届けて、書斎代わりにしている部屋に入る。机上に積み上げた「調査で収集した資料」を前にして構想を練り、調査結果報告書の執筆に取り掛かるのは大概10時過ぎになる。普通の思考が働くのは2時間ぐらいである。必要な資料を選んでは文章化する作業を続けて深夜の1時頃になると物凄い睡魔が襲ってくる。椅子の背凭れに身体を預けると瞬時に眠ってしまいそうな状況だ。ここで眠っては元も子も無くなる。睡魔と戦いながら資料に目を通していると一瞬頭が真っ白になった直後、頭の中に「シィ~ン」という‟音無き音”が生じる。それこそ頭が冴え渡る瞬間に湧きおこる波動に違いない。

・頭が冴え渡り、机上に積み重なった数百枚の調査資料の、どの辺にどんな内容の資料があるかが楽に見通せ、さっさと抜き出しては文章が頭の中で出来上がってしまうのだ。それは原稿用紙に書き写すペン先が追い付かないほどの文章量である。急いで書いていくうちに指先が痺れて感覚が無くなってしまう。

 そのように冴え渡った頭の回転が朝の5時頃まで萎えることなく続くのだ。その結果、通常なら2日位は掛かる「1枚1,980字の専用用紙(B4)20枚」の報告書が一夜のうちに出来上がるのである。…20枚は報告書全体の1節に過ぎないが、一区切りついてホッとするとドッと疲れを感じる。眠気が眼の周囲に集まってくるのが分かる。

・しかし、寝転がって目を閉じても心地良い睡魔が訪れることはない。身体ごと地の底へ引き摺り込まれそうな錯覚を覚えて目を閉じ続けることが出来ないのだ。頭の中を濁流が渦巻いて気が遠くなるような恐怖に襲われるが、このような状態を堪えるしか手の施しようがない。半身を起こし、目を閉じては開いて濁流が流れ去るのを待つしかない。…考えてみると昨夜、睡魔が頂点に達した時、無理矢理それを乗り越えて頭の冴えを獲得した。濁流はその反動だった。睡魔の頂点を越えて裏側に回った頭を、逆方向に乗り越えてこちら側に戻さなければならない。その作業を終えなければ通常の眠気を得ることが出来ないのだ。

・この経験は1つの思考に打ち込む際の姿勢の有り方を示唆している。しかし、相当に重要度の高い事柄でない限り、採用する際の危険を覚悟しなければならないだろう。