懐⑤「小品…疎開3」(2の続き) | 獏井獏山のブログ

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その日の午後、行雄は貴一郎に命じられて、畑に出て薩摩芋を掘ることになり、多恵が同行することになった。薩摩芋掘りは蔓を切って畝を掘り返せば、後は芋を拾って畚(ふご:モッコの一種)などの容器に入れるだけの単純作業が多く含まれているので、畑作業に離れていない多恵でも出来るということで同行することになったのである。行雄が畚2つと鎌などを積んだリヤカーを引いて家を出、多恵がその後を付いて歩いた。村を出た所で行雄が立ち止まって振り向きながら多恵に「おばちゃん、リヤカーに乗って。」と声を掛けた。多恵は苦笑いをして「私、そんなに年取ってないわよ。」と云った。「それは分かってるけど、リャカーで揺られたら気持ええよ。一回乗ってみて。」もう一度勧められて「そう、じゃぁ。」と照れそうに、しかし明るい笑顔を見せて畚の上に腰を下ろした。行雄は引き綱を肩にかけ、舵棒を小脇に抱えるようにして軽々と野道を進んだ。村を出て直ぐの辺りは黄金の海が広がり、緩やかな風に稲穂が波打っていた。5分も歩いて大きな「高田池」の堤防を過ぎた辺りから畑地が続き、その一帯は薩摩芋と玉蜀黍が植わっていた。…(:この地では、水田を作る農地を「田圃」と云い、薩摩芋などを植える砂混じりのサラサラした土の農地を「畑(はたけ)」と呼んでいた。)…それらは丁度実りの時期を迎えていたが、人の姿は無かった。大沢家の畑は農道から灌漑水路(溝)に添った畦道を20メートル程入った場所にあった。リヤカーを農道に止め、2人は畚を1つづつ担いで畦道を歩き芋畑に入った。畑は青々とした芋蔓でびっしり覆われていた。行雄は鎌を使って蔓を刈り取り、鍬で土を掘り返して行く。多恵は土の中から顔を出した薩摩芋を拾って畚に入れていく。こんな形で作業は淡々と進んだ。芋が2つの畚に満杯になるまで作業は続けられるのであるが、1つ目の畚が概ね一杯になった所で多恵が「困ったわ。」と云って立ち上がった。行雄も手を止めて額の汗を拭きながら「どないしたん?」と聞いた。「オシッコを催したの。芋はまだ半分しか掘ってないのに、どうしよう。」それを聞いた行雄は“なぁんだ”という顔付で「何や、そんなことか。気にせんとそこらでしたらええねん。」と云って隣の畑を指差した。そこには育ちの悪い玉蜀黍が疎らに植わっている。「まさか。」と云って多恵は頭を横に振った。「恥ずかしがることないよ。皆そうしてるし、今日は誰も居れへんみたいやし。」それでも多恵は両手で前を抑えて動こうとしないので、行雄は畑の周囲を探し歩いていたが、「こっちに来て。」と畦道の上で手招きして「ここやったら見えへんわ。」と水路を示した。そこは灌漑水路と云っても幅が2メートル足らずで、10メートル程先の上流の1ヶ所が崩れた土で埋もれて水が流れて来ない状態になっている。そのため底の方が干上がって芯の硬い草が生えていた。多恵は已む無しと覚悟を決めた物腰で溝に飛び降りると「誰も来ないか見張っててね。」と云ってから行雄に背を向け、モンペの紐を解いてしゃがんだ。丁度、多恵のすぐ前に、堰板を2~3枚溝に渡して作った橋があり、それが物陰の役目を果たしているので少しは心を安んじる事ができる。しかし都会で育った多恵が青空の下、何一つ遮る物もない畑のさ中で、しかも子供とはいえ人前で肌の一部を丸出しにして放尿することなど、あり得べき事ではなかった。監視役を務める行雄は、しゃがんだ多恵の真後ろの溝に立って放尿の音を聞いた。そして、その音よりも何倍も大きな音を背後に聞いたのは、用を済ませた多恵がホッとしてモンペを上げた直後だった。振りむくと箒で塵を払うようにして夕立が近付いてくるところだった。夕立は忽ち2人に覆い被さってきた。2人は慌てて橋の下に避難した。しかし幅2メートル足らずの溝に、幅30センチの堰板を2~3枚並べたような橋の下は2人が入るには狭すぎる。しかも溝と橋との高低差は60センチ前後しかない。ただ、橋の下の溝の底は、過去に誰かが避難した経験があるのか窪みが出来ていたため、2人が座って漸く頭が擦れる程度の高さがあった。2人は自ずから身体を寄せ合って夕立が過ぎるのを待った。が、雨は中々止まなかった。

 暫く不安そうに空を見上げていた多恵は行雄に目を移すと、そっと包むように行雄の肩に手を置いた。2人はお互いの体温を感じた。「あなた幾つになったの?」と多恵が聞いた。「16。」「そう、思春期やね。羨ましいわ。それで恋が芽生えたんやね。あなた、隣の幸ちゃんが好きなんでしょう。」いきなり多恵がそう云った。辺りが暗くなった中で行雄の顔が赤らんだのが伝わった。「見てたんよ。あなたが幸ちゃんの手を握っている所を。幸ちゃんはあなたの手を突き放して逃げて行ったけど、幸ちゃんもあなたが好きなんよ。好きでも嫁入り前の娘はああしか出来ないの。だから、あなたはあの娘を…あなた自身からもあの娘を守ってやらないといけないのよ。難しい云い方をしたけど、分かり易く云えば結婚するまでは彼女に近付き過ぎてはいけない、手を付けてはいけない、って事なの。それを守ることがあの娘を他の男から守ることにもなるんよ。あなたに許すと他の男にも許してしまうかも知れないから。」方言交じりで諭す言葉に行雄は分かったような目を多恵に向けた。「思春期を迎えたあなたが愛しい人を欲しがる気持ちは分かるけどね。」多恵はそう云って行雄の手を両手で包んだ。行雄も興奮気味にその手を強く握り返した。「暖ったかい手やね。吐く息も若い息吹で熱いわ…私の胸に皆んな出しておしまい。」「おばちゃん。」「まぁ、先っきもそう云ったわね。でも、おばちゃんは可哀想やわ。せめてお姉さん位にしといて。あなたから見れば陳(ひ)ねたお姉さんやけど。」笑顔で云ったが声はやや詰まっていた。「お姉さん!」感極まった声を出して行雄は多恵に抱き付いた。多恵は幼い坊やでも扱うように行雄の頭を撫でた。「あなたの胸の淀みの全てを私の胸に吐き出して。余計な事を考えんと私を抱くのよ。…どうせ戦争に負けるのはそう遠い事やない。アメリカ人がやってきて皆んなボロボロにされるのは目に見えてるわ。ここでの生活はのんびりしてるけど、私は大阪で空襲に合うて恐ろしさを目の当たりにして先がはっきり見えた。一時的にもこんな平穏な所で暮らせるのは天の助けや思うてるのよ。今のうちに出来ることは何でもしておかないと。あなたもそのうち兵隊にとられて何もせずに死んでしまうかも知れないわ。せめて私を抱いて女の香りを吸い込んで胸の淀みを吹き飛ばして。」多恵は両腕で行雄の身体を包んだ。…雨は中々止まなかった……(未完)

 

我が家では終戦前に同時に受け入れた2家族を含め、計3家族の疎開を受け入れた。我が家には2棟の納屋があり、どちらも約20坪程の広さだったが、両方とも納屋内の半分には床を張ってあった。土間の儘や三和土でも特に問題は無かったが、稲扱きした籾は三和土の場所に、臼引き後の玄米や、麦籾、大豆などは床張りの場所に保管するように区分して保管することにしていたのである。偶然であるが、床張りの場所は畳や茣蓙などの敷物を敷けば寝起きして一応の生活空間にすることが出来た。それが疎開の受け入れに役立ったのである。