人生③「唯一の存在…自分」 | 獏井獏山のブログ

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・(「自」と「他」は対等(11)である。「自」は「多数の中の一部の存在」ではなく、「全ての他と対峙する存在」である。「他」は「自」があって初めて存在の意義を持つ。「自」が消滅すれば「他」そのものが霧散する。)

 

・私は「自意識を持つ唯一の存在である自分」と「自分以外の全て」とは対等な立場にあると考えている。つまり自分とは「人間集団の中の単なる1人」ではなく、「自分以外のすべての存在」と全く同じ大きさで「自分の存在」があると考える。

もっと詳細にいえば、「自分」と「自分以外の人間集団の中の特定の1人」とを同価値で対比することは間違いである、と考えている。

 自分以外の人間集団(世界の人々)の中には色んな才能を持つ人間がウヨウヨしている。その中には一見、自分以上の才能を持つ者も居るだろう。しかし、その者は、「社会全体の中の1分子」に過ぎない。自分と対等の存在であるなどと過大評価する必要はない。社会の極々一部の存在でしかない1分子など、特別な評価をする必要はない。「天上天下に自分というものは唯一の存在である。」という自覚こそ尊ぶべきことである。

 

・もし、Aという1分子に向かってそんなことを言うと、Aは「お前なんか、ナンボの人間だと思っているのだ。社会的地位、実力、財力など、何処から見ても俺の方が上ではないか。お前なんか俺から見ると物の数にも入らないよ。」と言うかも知れない。が、それはAの考え、

即ちAの頭の中の働きに過ぎないのであり、私にとって粒ほどの意味もないことなのである。

・この考え方で世の中を見ると、偉そうな顔をしてはいるが、私にとっては取るに足りない人間が無数にウヨウヨしていることに気づく。

・一見偉そうに見え、自らも偉いと思って胸を反らしている人間が、私から見ると、どうして1匹の虫けらと同じくらいにしか見えないのだろう。それは、その人間はどの面から見ても寸分も「私自身ではない」ということである。

 その人間がどのような動きをしようが、また社会の中で認められようが、私が関心を持たない限り、私の意思に何の影響も与えない無意味な存在なのである。

・とはいうものの私は、この世に生きている以上、私以外の人間が構成する「社会」と交わって生きていかなければならない。その中の1分子が私に何らかの関連を持ち、何らかの影響をもたらす事も希に生じる。

その影響には事前に把握することが出来ない事柄も潜在する。このため「社会」そのものは自分と対峙する存在として認めない訳にはいかない。