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どう恋愛を育てる? 「出会い」

恋愛をどう育てるか? 言いかえればどうやったら恋人をつくれるのか?






恋は「出会い」から始まり、「出会いがない」から愛しの人がいないという方もいらっしゃると思います。






私も最初はそう考えていた一人です。






つまり、こういうことです。






総務省統計局を参考に、今現在の日本の人口は約1億2700(1億2500日本人)万人であり、






そのうち、男性はおよそ6200万人、女性はおよそ6500万人いて






そのうち、これはあくまで平均値(20代の方)になりますが、あなたと同期の世代の男性は65万人、女性は60万人います。






20代未満の方は-10万、30代以上の方は+10~20万で計算してもらえればいいと思います。






また、そのうちあなたが生涯出会ってきた男性、女性の数は、人によって違いますが、






だいたい500~1500人くらいでしょうか。 もちろんそこには同世代に限らず、年下・年上の人も含まれると思います。






そのうち、今現在で日々出会う異性の数は、例えば学生の私の場合、クラス、バイト、サークルで数えるとしたら、だいたい多く見積もっても一日平均50人くらいでしょうか。 






それで、これをもしすべて同世代で考えるならば、私が今出会っている異性は






全体のおよそ0,0125%  生涯で考えても0,2%が関の山。 また、さらにもっと年上の方でも1%もいけば十分ではないでしょうか。






これに異世代も人も含めるとさらに割合は低くなります。






すれ違いやテレビなどでも「出会い」はありますが、すれ違いやテレビ視聴で恋人ができたというのは






稀にあったとしてもほとんどの場合考えられません。






それらを踏まえて、今まだ出会っていない異性はあと同世代だけで考えても99.8%はいます。






そう考えれば「出会いがない」という方の言い分も分らなくはないです。






なぜならまだあなたは同世代で考えても全体のおよそ0,2%の異性にしか出会っていないからです。






しかし、ほとんどの方がそのごく少数の異性との出会いの中で恋人をつくっています。






つまり、恋愛を育てるには、たくさんの出会いの他に、別な要因があるということを指しています。






ではそれはいったいなんなのか? 後日に申し上げます。




On Love part1: proximity

今を生きる

人は言います。「前を向いて歩こう」または「時には立ち止まって後ろを振り返ろう」と。




確かに、前を向かなかれば恐くて前に進めませんし、時には後ろを振り返って自分が今までちゃんと正しい道を歩んできたか確かめなければなりません。



しかし、これだけでは不十分な気がします。




皆さんは普通歩くときにどこを見て歩きますか? 前と後ろだけですか? 




例えば。行く末、もしくは足元に、つまずくには十分な石が転がっていたとしたらどうしますか? 前を向いているから気づく。かもしれません。



しかし、その石に気づくために向けれらた目の方向は「前」だけでなく「下」も含まれています。




つまり、ここで言いたいのは皆さんが歩くときは前や後ろだけでなく、「下」つまり「足元」も見ているということです。




これを時間に例えるならば「前」が「未来」、足元が「今」、「後」が「過去」を示しています。




世間ではよく前と後を使った戒めが見受けられますが、「足元」はほとんど耳にしません。




ここで言いたいのは「足元」が斬新な発想であるということではなく、現代人が前と後ろばかり気にして「足元」つまり「今」を疎かにしているということなんです。




「今」を生きるためには「前」をみなければなりませんし、「後」をみることで「今」を確認しなければなりません。




しかし、それに固執していると、時には見落とした足元の石ころにつまずくかもしれません。




足元は死角ではありません。




「前を向いて」「時には後ろを振り返って」そして「足元にも気をつけて」歩く。




これは歩くときの基本です。

孤立と孤独の違い

「孤立」と「孤独」って同じ意味ではないのか? どこか違いがあるのか?



あります。



孤立は簡単にいえば一人でいることに不安、焦り、悲しみといった劣等感などを内外で感じることであり、



例えば「一人でいられない」「何をするにも付き添う人がいないと遣る瀬無い」



といった人はこの「孤立」になることを嫌っているわけです。




他方で「孤独」とは一人でいることに何の不安や焦りも感じず、逆に安心し満足している状態を指します。



世間では「孤独感」や「孤独死」などといって「孤独」がいかにもネガティブな要素をもっているように感じてしまい



がちですが、実際はその真逆。つまり、そういった言葉は「孤立感」や「孤立死」などと表現したほうが実は適切で



あるのです。



一人で行動している人が「孤立」なのか、「孤独」なのか?




その判断は非常に難しく、例えば学校でのいじめ問題を考えるうえでの足かせにもなっています。




「放っておく」という表現も、何かしらネガティブなイメージを持っていしまいがちですが、




その人が「孤独」であった場合、「放っておく」ということもひとつの有効かつ正しい行いとして肯定されるのです。

紫外線(私害せん)  UltraViolet rays


もうすでに真夏日どころか猛暑日となった地域もたくさんあるそうですが






なんといっても暑い!! 






「暑い」が今年の流行語にノミネートされるのではというくらいに、どこからともなく「暑い」の一言が耳に飛び込んできます。






さて、そんな中で気になるのがやはり「紫外線」。






女性の方がよく日傘を差しているのを見かけますが、無論女性にとってはかなりの厄介者に間違いない。






だがしかし!!






今日見つけた記事によれば、男性の方も紫外線をカットする必要があるようです。






紫外線を受けることによって、シミ・ソバカスの原因になるだけでなく、体の健康を守る






免疫力をも低下させてしまうらしいですが、これは男女共通です!!






今ではそれらを防ぐべく、化粧品(男性用もある)やUVカットつき傘(男性用もある!)、紫外線・赤外線を反射する「サンスクリーン」素材を使った衣服などがあるそうです。






これらの「装備」を駆使するかしないかは自己の判断。






なにせ暑さだけでに目をとられず、その陰にある、見えない「紫外線」に十分注意する必要がある、ということです。





神様のカルテ2

なんとこの小説を読んだという方がいらっしゃいました!!




26万部も売れているのでそんなに驚くことはありませんが




なにせ初コメントを頂いていささか舞い上がっている次第です。 コメントありがとうございます。




さて今回は前回の続きです。一応これで最後になります。


 


といっても抜粋するのはこの言葉だけ。




”良心に恥じぬということだけが、我々の確かな報酬である”




初耳な方も大体の意味はとれると思います。




病院の掟を破ってまでも、非常識なことをしてまでも、死の迫る患者に最後のそして至上のご褒美をプレゼントする。




これはまさに良心に恥じぬ行いのお手本です。




規律を順守する事務長と、理想に走った3人の若医者それぞれが持つ倫理のぶつかり合い。




どちらが正しく、どちらが間違っているかははっきり言ってわかりません。




しかし、個人的には理想を追い求めたい立場です。




理想がないと何も変わらない気がするからです。




ただし、それが悪心からではなく良心から生まれる理想であってほしい。




いや、そうでなければならないんです。 























神様のカルテ

今しがた読み終えた「神様のカルテ」から




ある印象に残った、考えさせられる部分を抜粋してここに示そうと思う。




読んだことのない人にとっては話の背景がわからず理解しづらい面もあろうが、ここではそれはあまり問題では

ないのでご安心を。




抜粋は 東京から遥々赴任していきた血液内科医である進藤辰也の数ある発言の中のひとつである。




「医者は、患者のために命がけで働くべきだという。この国の医療は狂っているんだ。



 医者が命を削り、家庭を捨てて患者のために働くことを美徳とする世界。



 夜も眠らずぼろぼろになるまで働くことを正義とする世界。

 


 主治医?馬鹿を言っちゃいけない。



 二十四時間受け持ち患者のために駆けずり回るなんて、おかしいことだろう。



 僕たちは人間なんだぞ。 それでもこの国の人々は、平然と中傷するんだ。



 夜に駆け付けなかった医師に対して、なぜ来なかったのかと大声をあげるんだ。・・・」




 と、こういった具合のものである。 



 うーん。 難しい。




 


 


 

 


立ち話も何なので・・・

「立ち話も何なので・・・」というセリフ。




よく耳にする方は多いと思います。




ところでこのセリフを注意深くみると、不明な点があることに気付く。




「立ち話も何なので・・・」・・・「「何なので」?・・・「何」っていったい何を示しているのか?




「なので」は原因・理由を表すものなので、何かが理由でこのように言っているものと思われます。




はてさて、この「何」は何を示しているのか?




私も今考え中ですが、分かった方がもしいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。推測でも結構です。




ではでは。








蚊が手に止まったら

最近蒸し(虫)暑く(厚く)なってきて、蚊やらなんやらがよく血を吸いに私たちの体にペタペタと張り付いてくることが多くなってきたのではないでしょうか。


蚊が手に止まったらみなさんどうしますか?



叩きますか? 吸わせてあげますか? 



女優の上戸彩さんは叩いて殺すのは嫌なので吸わせてあげるらしいですが・・・



しかし、善意で吸わせてあげても後でだんだんかゆくなってきて後悔する羽目になりかねません。



そんな悩みを解決すべく、殺すことも吸わせてあげることもしない斬新な(そうでありたい)方法を紹介します。



やり方は簡単です。 「ふぅ~」っと強く息を吹きかけてあげてください。 



蚊や嫌がって飛び立ち、殺すことなく瞬時に撃退完了。 



一度試してみてください(^-^)





The stake that sticks out will get hammered down

Following my principles, I dare to be the stake that sticks out. As long as I continue to be silence or defensive against persons of higher position than me, nothing would be changed and that will result in the typical flow of present time where the upper people control and direct the lower people with accepting no claim and resistance of them. That's not fair at all, isn't that? "no pain, no gain" could just encourage my principles, in that I would almostly be scolded, disliked, blamed, critisized whatever and whenever I raise a hand against a person with high position, which could be a very precious experience for me although I might feel unconfortable at that time. "Silence is gold" is also against my principles. Finally, this is just only my principles and nothing to do with you at all. However, you must be the stake that stick s out if you wish to change something, overturn accepted ideas.