『猪谷の史跡・見学ポイント』
30 江戸時代の頃の猪谷(P38)
『猪谷の史跡・見学ポイント』
29 猪谷の地名の由来(P36)
国道四十一号線沿いに人家が密集し、小さな町にやって来たという感じがする集落である。中心には、高山本線猪谷駅があり、駅前には、郵便局や商店街がある。
細入村史には、「イノシシが多く住んでいたことによる説と、『井の谷』すなわち水の得られやすい地という説などがある。」と紹介されている。
江戸時代の頃の猪谷の家並の多くは、山の斜面を登る桐谷道に沿って広がっていて、神通川に近い所を通る飛騨街道周辺には家が少なかったそうだ。人々は、急流の神通川沿いを避け、なだらかな山の斜面に生活の場を見つけて住んでいたようだ。今も、桐谷道周辺には、田畑がたくさん見られる。山の斜面を切り開いて、田畑を作っていった先人達の苦労が、棚田に積まれたたくさんの石垣から偲ばれる。
江戸時代には、猪谷に関所が設けられ、飛騨街道を行き交う人々を厳しく監視した。国道四十一号線の山下自動車整備工場前には、富山藩西猪谷関所跡の碑が建っている。
猪谷が大きく変貌するのは、昭和五年(一九三〇)に開通した飛越線の猪谷駅ができてからである。神岡鉱山専用軌道が乗り入れ、鉱山物資の搬出入が始まり、駅前には三井鉱山のおびただしい施設が作られ、駅前通りには商店街がひしめくようになったという。
昭和四十一年(一九六六)、国鉄神岡線が開通し、三井専用軌道は、役目を終えた。昭和四十二年(一九六七)、生徒数の減少により、猪谷中学校は楡原中学校と統合し、廃校となった。昭和四十九年(一九七四)、三井鉱山アパート二棟の建設があり、二百人が入居した。
平成に入り、三井鉱山の縮小、鉱山事務所、鉱山施設の撤去、神岡鉄道の廃線などが相次ぎ、猪谷の人口が急激に少なくなった。平成十五年(二〇〇三)、猪谷小学校は、楡原小学校と統合し、廃校となった。小学校跡地には、地区センターが建てられ、住民の憩いの場となっている。
「細入村史」参照
『猪谷の史跡・見学ポイント』
26 金剛山西禅寺(P33)
開基は大渕寺七世の盛厳で慶長九年(一六〇四)創建した。塼仏三体、観世音菩薩、涅槃絵像、十三仏絵像、大鑿、韋駄天像、稲荷大明神像、烏枢瑟摩明王像、曼荼羅絵、虚空蔵菩薩、三十三観音像、聖観音菩薩、地蔵尊、如来型地蔵尊がある。 「細入村史」
「猪谷集落の南の小高い森の中に、西禅寺というお寺が建っています。
この寺は、今から二百年余り前は、旧猪谷中学校跡の北側の方に建てられていました。
ある年、山津波のため、この寺は押し流され、泥や石で押しつぶされて、跡形もなくなってしまいました。集落の人たちは、崩れた土の中から、ご本尊や寺の道具を掘り出しましたが、一番大切な過去帳、即ち、お寺の歴史を書いた書類がどうしても見当たらず、西禅寺がどのようにして造られたのかが、分からなくなってしまいました。
猪谷中学校を建てる時、たくさんの卒塔婆や墓石が掘り出されました。これから察しても、大きなお寺だったことが分かります。後に、高い石段の上に、立派なお寺が再建され、今日に至っています。」
丸山博編「猪谷むかしばなし」