☆明日の天気図☆

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明日も晴れるといいね…。

 

 

妙法の五字を唱えずということなし
『波木井殿御書』/
弘安5年(1282)61歳

=すべてのものは…=

掲示の「妙法の五字を唱えずということなし」の前には「吹く風も、ゆるぐ木草も、流るる水の音までも」が入ります。
これは日蓮聖人が住まわれた山梨県にある身延山の自然や四季などのなかから、さまざまなものを感得されたことを表しています。
私たちも植物の芽吹きにいのちを感じ、青々とした木草や咲き誇る花に生きる力を感じ、紅葉には不可思議な美しさと同時に儚さも思わせます。しかし、また必ず春になり、いのちが輝くことも知っています。
すべてのものは妙法・南無妙法蓮華経…、つまり宇宙の摂理・真理の顕れです。いのちが成り立つための四大(地・水・火・風)は私たち人間が作ったものではなく、天与のものです。大いなる力、働き、作用があり、この世界は支えられています。
世界のありように気づき、そのなかで生かされている私たち自身を知る。そうして謙虚に生きていきましょう。

日蓮聖人ご遺文
『波木井殿御書』
日蓮聖人が、身延山を霊山とみなすことなどを、現東京の池上で書かれたといわれています。
弘安5年(1282)61歳

 

 

 

教主釈尊の愛子なり
『法華取要抄』/
文永11年(1274)53歳

=私たちは…=

 「私なんかいてもいなくてもいい!」と思うことがあります。しかし実は私たちは、お釈迦さまから願われ、その愛し子としてこの世につかわされたかけがえのない存在です。自分の見方を転換すれば、自信と誇りと勇気を持って日々、人生を歩んでいけます。

 すべての生物の遺伝情報はDNAという4つの塩基文字によって書かれています。親から子へと伝えられ、今の自分を生きていく生命の設計図。「生き物みな兄弟」は観念ではなく科学的な事実です。

 分子生物学者のある人はこういった奇跡を「サムシング・グレート(偉大なる何者か)」と呼んでいます。私たち仏教者でいうと「仏神のお働き」です。まさに私たちは教主釈尊の愛子です。いのちの神秘、いのちの不思議を感じ、合掌せずにはいられません。

 日蓮聖人ご遺文 『法華取要抄』

 

 佐渡在島中にご草案を書かれ、身延山ご入山後、早々に発表されたと考えられています。聖人5大部に次ぐ重要書とされ、題号も自ら付けられています。

文永11年(1274)53歳

 

 

一切衆生 悉有仏性
『爾前二乗菩薩不作仏事』/
正元元年(1259)38才(※)35才説もあり

=人、みなそれぞれに美しき花あり=

 涅槃経からの一節ですが、同経は法華経の落穂拾いのお経といわれているので、法華経の教えの一環として考えられます。この教えは、すべての生きとし生けるものは悉く仏性、すなわちそれぞれにかけがえのないいのち(個性、持ち味)を持っているということです。

 皆、それぞれにかけがえのないいのちを天=仏神から授かってこの世に何らかの使命・役割(個性・持ち味・特質・長所)を持って生まれてきたという存在です。そして私たち個々は比較できない、代理のきかない存在でもあります。

「人、みなそれぞれに美しき花あり」。これが、法華経の示す大事な教えです。

「もともと特別なオンリー1」と歌にありましたが、まさに私たちには順番などがないため、比べることは意味がないのです。

 日蓮聖人ご遺文『爾前二乗菩薩不作仏事』

 二乗(声聞・縁覚)が仏になれないのならば、法華経以前のお経では菩薩も仏になれないとおっしゃられ、真の十界成仏の教えは、法華経であるとしています。

 

仏教をきわめて仏になり、恩ある人もたすけんと思う
『佐渡御勘気鈔』/
文永8年(1271)50歳

=恩ある人を助ける=

「恩ある人」は必ずしも親類知人に限らず、生きとし生けるものすべて、はたまた生き物の生存を可能にしている地球環境まで含まれたものと理解してよいでしょう。
私たちはこの世に生命工学的にいえば250兆分の1の確率でいのちを授かっています。これを単なる偶然と受けとめるか、何か大いなるモノの計らいと受けとめるかでその生き方は大きく異なります。
そう考えると〝私〟や〝すべて〟は、何らかの使命をもらってこの世に生まれてきたと受けとめられます。それをまっとうすることが〝成仏〟です。
したがって「仏教をきわめる」とは「仏となる」ことであり、同時に「恩ある人をたすける」ことが行われます。成仏への道と救済への道とは前後に分離したものではなく、いつも一体となっているのが仏教の本質です。

日蓮聖人ご遺文
『佐渡御勘気鈔』

聖人が学問の意義について述べたものです。仏教(法華経)という教えを学んで真理を承知し、それをもって恩ある人びとを救うのだという自らの生きる姿勢を明確に表明されました。
文永8年(1271)50歳

 

思い合わぬ人を祈るは、〜空に家をつくるなり
『弁殿御消息』/
建治2年(1276)55歳

=思いを成就するには=

「空に家をつくる」ってどういうこと? と思われるでしょうが、実現が難しいことの喩えで日蓮聖人はこう言われました。「こちらが真剣に祈っているのに、今まで験がないのは、あなたの信心が本物ではなく、思いが通じ合っていないのだ」と。
皆さんはお寺で祈祷や祈願を頼んだことはありますか? その時のあなたの望みは叶えられたでしょうか? 実はその願いが成就するか否かは、あなた次第なのです。修行を積んだ僧侶がいくら一生懸命に祈祷をして気力を捧げても、受け取る側に信仰心がなければ、通じ合えません。また信仰面だけではなく、あなたがきちんと徳を積んでいないと、仏神の守護はないのです。わざと生活がだらしなく、いつも誰かに迷惑を掛けている人の願いごとは仏神も応じてくれません。そのような人は周りの人間も離れていくことと思います。それと同じです。

日蓮聖人ご遺文
『弁殿御消息』
鎌倉の弟子日昭上人に宛てられたお手紙。檀越の中で退転する者が出てきたことを愁いて、皆に強い信仰を勧められ、困難なことがあっても、その先に功徳の験があると述べられます。
建治2年(1276)55歳

 

 

八葉の心蓮華の内におはします
『日女御前御返事』/
弘安元年(1278)57歳

=「世法」ではなく「妙法」で=
蓮の特徴は泥に染まらず、茎が真っすぐに伸びて花を咲かせます。1つの茎に1つの花。花と実は同時にできて、花1つから実はたくさんなります。蓮華はこの世で人間が歩む道の大切さを表す仏教の象徴の花なのです。
近年は政治の混乱を含め、さまざまな事件や事故、異常気象に食料危機、戦争や災害など、非常に暗い報道が多い世の中です。これらの事象には人間の心の中にある三毒と呼ばれる怒りや欲望、愚かさに起因しているものがあります。
しかし妙法蓮華経というお経は、この困難な苦しみの多い泥の世に染まらずに、花を咲かせる教えが説かれています。
私たちは時代で変わる「世法」ではなく、「妙法」に生きるのです。泥の中に埋もれている正しい思想や栄養を吸収し、蓮根のように世界が1つに繋がって、1人ひとりの人間性を高めていく社会をみんなで作るのです。

日蓮聖人ご遺文『日女御前御返事』
日女御前から供養を受け、法華経後半部の大意を述べられている書。志を讃えられ、とくにお曼荼羅の世界が日女御前の胸の中にあると述べられた行。八葉は仏さまの台座の花弁です。
弘安元年(1278)57歳

 

ちりし花もまたさきぬ をちし菓もまたなりぬ
日蓮聖人御遺文『千日尼御返事』/
弘安3年(1280)59歳

=追善供養を=

人は皆、死にます。致死率は100パーセントです。あなたも大切な人を亡くしていると思います。私たちは日々、暮らしていくなかで家族や友人など、愛する人との死の別れが必ずやってきます。
そういった人に「去年散った桜が今年も咲きました。去年落ちた果実が今年もなりました。自然はそのように巡りくるというのに、どうして死んだあなたの命だけが消え去って元に戻ることがないのでしょうか。天も恨めしく、地も歎かわしいことです」と日蓮聖人は優しく寄り添われました。
仏教の教えは、死んで〝無〟になるのではなく、来世があると説きます。ご先祖さまだけでなくお釈迦さまの命も続いています。
塔婆を建てて供養して下さい。死者に追善供養ができるのは生きている私たちだけです。今、平和で幸せに暮らせるのは先に亡くなられた人たちのお陰です。その想いは必ずあの世へ届きます。

日蓮聖人御遺文『千日尼御返事』
佐渡の信徒・千日尼に対するお手紙。亡くなった夫・阿仏房は「法華経の信仰により成仏されています」と、安心を与えてさらには遠く身延まで墓参りに来た息子の徳を讃えられています。
弘安3年(1280)59歳

 

梅子のすき聲をきけば口に唾たまりうるをう
日蓮聖人ご遺文『法華題目鈔』/
文永3年(1266)45歳

=信じられない!=
皆さんの素朴な疑問です。「口で水、水といくら言っても、実際に飲んでみなければ喉の渇きを癒やせないですよね? それと同じことで、ただ南無妙法蓮華経とお題目だけを唱えても、その内容を理解していなければ、意味がないのではないですか?」。
日蓮聖人は驚くべき答えを仰られます。「それでは梅干し、梅干しと言って下さい。ほら、口の中に唾液が出てきて潤ったでしょ?」。一般世間のことでもこの不思議。ましてやお題目の力はもっと凄いのです。
実は私たちは、梅干しを食べた経験があるからこそ脳がすっぱいと認識するのです。人間は例外なく、心に仏界という機根を具えています。南無妙法蓮華経と唱えてみて下さい。あなたの心に種が植えられ、それを大切に育てると芽が出てきます。
すると、心が優しくなっていきますよ。

◎日蓮聖人ご遺文『法華題目鈔』

今の世に生きる私たちに日蓮聖人は、仏教の内容を理解していなくても、お題目を信じる力があれば仏智が育つと言われます。お釈迦さまの教えの肝心要が南無妙法蓮華経なのです。
文永3年(1266)45歳

 

 

 

仏法は眼前なれども機なければ顕れず
日蓮聖人ご遺文『新尼御前御返事』/
文永12年(1275)54歳

=仏神の存在=
「おかげさまで」「いただきます」「ありがたい」「ありがとう」。
このような言葉は、お世話になっている人たちに対して感謝や謙虚さを表現する美しい日本語です。もともとは仏神に対して使う仏教用語でした。
日本人は昔から、見えないものに対して畏敬の念を抱く気質を宿しています。しかし文明や科学が進歩するにつれて「仏神や先祖の霊なんて存在するわけがない」と手を合わせる人が減ってきています。
特に都市部では葬儀や法事などの仏事は簡素化されたり省略される傾向が強くなってきました。
しかし、仏神は必ずいらっしゃいます。心の底から信仰し、人としての正しい道を歩んでいるなら、必ずご守護や計らいを感じられるようになるでしょう。

◎日蓮聖人ご遺文『新尼御前御返事』
日蓮聖人が故郷・安房の新尼に送られた手紙。望郷の念を情緒的に綴られると共に絶対的な法華経信仰を勧められます。疑いを持っている人に対しては非常に厳格な態度で臨まれます。
文永12年(1275)54歳

 

天高けれども孝よりも高からず
『開目抄』/
文永9年(1272)51歳

 

=あなたの両親は健在ですか?=
親孝行したい時分に親はなし。この諺は、親がまだ生きているうちに親孝行をするべきだという教訓です。私たちは、どうしても孝行を先延ばしにしがちですが、日頃から親への感謝を忘れず、親孝行を積み重ねることが大切と教えています。
本来、僧侶は両親のもとを離れて出家するものなので、親不孝な行為かもしれません。
しかし仏さまの教えは、もっと内容が深く、「孝」よりもさらに高いものが「恩」だというのです。自分だけが救われるのではなく、他人をも救うことが大切だと言われるのです。人間は自分を導いてくれた先生や仏さまの恩、国や自然にまでもに感謝しながら日々生きていくことが大切だと説いているのです。
そして私たちは親がいなくなっても年忌法要という形で親孝行を続けることができるのです。

◎日蓮聖人ご遺文『開目抄』
日蓮聖人の代表作。儒教や仏教以外の書物も拝読され、法華経が第一であるとの結論が示されます。そして「仏弟子は必ず恩を知って、その恩に報いなければならない」と言われるのです。
文永9年(1272)51歳