☆明日の天気図☆

☆明日の天気図☆

明日も晴れるといいね…。

 

 

=優しい気持ち=


ホームに入る電車を駅員が待ち構えています。電車の扉が開くと、駅員は板を渡して車椅子の乗客の下車を補助しました。乗客は笑顔で「ありがとうございます」とお礼をいい、駅員も「どうぞお気をつけて」と笑顔で応えていました。
駅でよく見る1コマですが、小さな理想郷がそこに見えています。健常者も障がいを持つ人も等しく生活しやすい環境。知らない者同士でも感謝し、挨拶し、微笑み合う世界。殺伐としたニュースが溢れる世の中にも、ちゃんとこういう世界が創られており、その輪がもっと広がればと思いました。
宮沢賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」といいます。例えば自分が健康でも家族が病気ならどうでしょう? 社会でも同じです。みんなが優しい気持ちになり支え合うことが、みんなが幸せになる道です。

◎『開目抄』日蓮聖人ご遺文
流罪となった佐渡で著され、「我身の法華経の行者にあらざるか」と自身を問い、法華経行者を自覚された書。私たちが生きるべき真の方向性を示されます。文永9年(1272)51歳 

 

=支え合い=
子どもたちの食育を支援する「こども食堂」を始めるお寺が増えました。「こども食堂」はさまざまな人によって支えられています。食事を作る人がいても、食材や資金を提供する人がいなければ成り立ちません。
仏教語の檀那は「布施をする人」、行者は「仏道修行をする人」を意味します。「こども食堂」にたとえれば「檀那」は「食材や資金を提供してくれる人」で応援者、「食事を作る人」は「行者」で実行者ともいえます。
世の中を見渡せば、このようにどんなことも支え合って成り立っているのがわかります。私たちは時には「檀那」となり誰かを応援し、時には「行者」となり直接誰かを支えるのです。またある時は「檀那」に応援され、「行者」に支えられるのです。よき檀那・行者として安穏な世の中を築いていきましょう。

◎日蓮聖人ご遺文
『曽谷殿御返事』
檀越の曽谷教信に宛てたお手紙です。日蓮聖人はご供養の品を頂くと必ずお礼状をしたため、たとえ話や説話を交えて仏さまの一番大切な教えが何であるかを説いています。弘安2年(1279)58歳

 

このやまいは仏の御はからいか


『妙心尼御前御返事』/
建治元年(1275)聖寿54歳

=病(やまい)から教えられること=

 イギリスのキャサリン妃が癌であることを公表し、ビデオメッセージを公開しました。「どんな形であれ、この病気に直面している皆さんは、どうか希望を失わないでください。あなたはひとりではありません」と癌で苦しむ世界中の人びとに温かいメッセージを届けました。
 仏教では病気を逃れられない「苦」の1つとします。一方で病気は私たちにたくさんの気づきを与えてくれます。看病をしてもらえれば、人と人との繋りのありがたさを知ることでしょう。「いのち」の尊さやこの先の「いのち」の使い道を考える時間になるかもしれません。
 私たちはいつ病になるかわかりません。生きていることが当たり前ではなく、生きていること自体が奇跡で、たいへんにありがたいことなのです。
 普段から「いのち」を見つめて心を調え、病になれば病からまた学び、実りある人生にしていきましょう。

日蓮聖人ご遺文『妙心尼御前御返事』
夫を看病中の女性に宛てたお手紙です。病に対する心構え、死への安心を心優しく示されます。
建治元年(1275)聖寿54歳

 

人身は持がたし、草の上の露 


『崇峻天皇御書』/
建治2年(1277)聖寿56歳

=心が肝心=

ハダカデバネズミは老化現象が見られない、不思議な生き物です。これこそ多くの人が望む「不老長寿」!?…かと思いますが、老化しないだけで、やがて寿命やケガで死んでしまいます。彼らの身も、私たちと同じで「草の上の朝露のように持ちがたし」なのです。
私たちは健康管理に努め、検査や人間ドックなどに通い「いのち」を長らえようとします。でも肝心なのは、「人身(身体)」とその使い方を左右する「心のあり方」がセットであるということです。憎しみ奪い合うか、それとも敬い譲り合うかで、世の中はまったく違ってきてしまいます。でもわかっていても自分だけの利益を考えてしまう。やられたら仕返しをする。心のあり方次第で、ささいなことが大きな争いになったりもします。まず自分自身が敬う心を持った人身を目指しましょう。

◎日蓮聖人ご遺文『崇峻天皇御書』
法華経・日蓮聖人の教えを熱心に信仰する四条金吾に宛てたお手紙。人間社会の中で、組織の中で、どのような心構えで行動したらよいかを崇峻天皇の故事をあげ、細やかに指南します。
建治2年(1277)聖寿56歳

 


「自分を捨てて」

おはようございます。
皆様いかがお過ごしでしょうか?

私達が、毎日を幸せに暮らしていく上で大切なものがございます。
具体例をあげますと家族、友人、住まい、財産など人によって様々でございます。しかし、すべての人にとって、自分の命に勝る大切なものはありません。そんな大切なものについて仏教ではこんなお話がございます。

昔々、インドのとある国に雪山童子という男の子がおりました。彼は人々のためになることなら、どんな苦労をもいとわないで、自分自身を犠牲にして、様々な苦行をしていました。

ある日、まだ雪の残る山の方から大きな声が聞こえてきました。雪山童子は声のする方へと尋ねていくとそこには大きな鬼が仏様の教えを説いておりました。雪山童子はその教えの続きを聞こうと息を殺して待っておりましたが、鬼はそれ以上一言も発しません。

そこで雪山童子は鬼に向かって「どうか仏様の教えをお聞かせ下さい」と声をかけました。すると鬼は「腹が減っているのでこれ以上声が出ない。何か食べ物をくれ」と言いました。それを聞いた雪山童子は果物や木のみを集めて鬼に差し出しましたが、「そんなものはいらん」と突き返されてしまいました。
「では何が食べたいのですか?」と尋ねると「お前が食べたい」と鬼が答えました。

雪山童子は仏様の教えの続きを聞きたいと願うが故に自分の身体を鬼に捧げる事を約束し、鬼に教えの続きを説いてもらいました。そしてその教えを岩肌にしっかりと書き留め、目の前の高い木に登り、鬼の横の岩めがけて身を投げたのです。

ところが岩に落ちる前に、鬼は帝釈天に姿を変え雪山童子を受け止め助けたのでした。実は帝釈天が鬼の姿に変身していたのでした。
この雪山童子はお釈迦様の過去世のお姿であり、仏様の教えのために我が身を捧げたこの行為の功徳によってインドでお覚りを開かれたのであると伝わっております。

日蓮聖人は『事理供養御書』というお手紙の中で「此れ等の賢人、商人の事なれば、我等は叶いがたき事にて候。ただし仏になり候ことは、凡夫は、志と申す文字を心得て仏になり候なり」と述べられております。

自分の身体を捧げ命を惜しまないということは特別な人達には出来ても、我々のような普通の者にはなかなかできる事ではございません。
しかし、志というものをしっかりともって生きれば誰しもが仏様と同じ心持ちとなり、成仏ができるとお釈迦様、日蓮聖人はお説きになられておられます。

この志というのは仏様のお手伝いをしよう。仏様だったらこうするだろうという事を実行していく事です。個人の幸せを願うのではなく、御題目、南無妙法蓮華経を唱え、すべての人の幸せを願うことこそ、成仏への第一歩なのです。

まずは今日一日だけでも自分の事はあまり考えず、相手の事を考え、過ごしてみてはいいかがでしょうか。きっといつもとは違う景色が見えてくるかもしれませんよ。

「三月庭訓」

「三月庭訓(さんがつていきん)」という言葉が御座います。
昔、子供たちに教えるために寺子屋や家庭などで使用された初歩的な学習書を往来物(おうらいぶつ)といいます。その中でも代表的な「庭訓往来(ていきんおうらい)」は1年12か月の手紙を集めたものです。これらの手紙には武士から庶民に至るまでの生活上必要な言葉が使われていることから、やがて寺子屋の教科書として使われるようになりました。子供たちは「庭訓往来」を手本として字を習い、社会生活に必要な様々な言葉を学びます。
「庭訓往来」は決して易しい内容ではないそうで、これを手本に書を習う決心をしたものの正月、2月までは続いても、3月のあたりで飽きてやめてしまう事があります。この事を「三月庭訓」といい、勉学などの長続きしない事や物事をすぐに飽きてやめてしまう事の例えとして使われます。
飽きやすく長続きしないという所では「三日坊主」という言葉が似たような意味を持つでしょうか。「三日坊主」は一人前の僧侶になることを志す修行僧が、すぐに世間が恋しくなり、頭の毛が伸びるのも待たずに脱落してしまう様子からいわれるようになったとされています。
飽き性の所がある私は僧侶でありながらも、つい「三日坊主」になってしまいます。そのため、これらはなんとも耳の痛い言葉であります。家には使われなくなったダイエット器具の山。ふと本棚に目を向ければ読み掛けの本の山。なにか一つの事を継続して続けることの大変さを日々痛感しているところで御座います。
日蓮聖人は『上野殿御返事(うえのどのごへんじ)』の一節で、
「或(あるい)は火のごとく信ずる人もあり。或は水のごとく信ずる人もあり」と信仰の形をご教示下さっています。
火のごとき信仰というのは、教えを聞いたときは火が燃え立つように熱心に信仰をするが、時が経つとその熱が冷め、その気持ちを忘れてしまう事です。水のごとき信仰というのは、常に水が流れるがごとく、いつも途切れる事無く信じ続けることです。
正しい信仰の形というのは燃え尽きる事がないよう、川の水が流れるがごとく、静かに途切れずに続けるのが大切という事です。水は一滴ではなく沢山集まることで川のように流れていきます。一人ではたった一滴の水でも、共に励むものがあれば、それら他の水と合わさることで流れていく事ができます。
物事が続かない私で御座いますが、この「信仰」というものは、絶えず消えないように気を付けています。それは共に修行に励んだ僧侶の仲間や共に信仰を続ける檀信徒の方々のおかげで、有難くも成しえているのではないかと思います。一人ではなかなか続かない事も、励みになる存在があれば、自分の決意を忘れずに日々過ごす事ができるのではないでしょうか。

『疑問を受け入れる温かさ』

「光陰矢の如し」
年を重ねるごとに、月日の流れが速くなっているように感じます。
僧侶となって今年で10年が経ちました。
僧侶になったばかりの頃は、どんな場所においても最年少で、経験豊富な先輩僧から教えていただくことばかりでした。
ところが、永遠のルーキーと思いこんでいた私も、いつの間にか年下の僧侶と関わることが増え、質問を受ける機会が多くなってきました。
ご指導いただいた先輩方のようにちゃんと答えることが出来ているだろうか、もっと何か伝えられたのではないだろうかと考えることもあります。
「どんなことにも疑問をもってください。」
数年前に門を叩いた布教研修所の入所日、当時の先生から初めに言われた言葉です。
先生は自らお手本を見せるように、多くの疑問を研修員に投げかけてくれました。
「お~い。これってどういう意味やぁ?わからんかぁ。調べておいてくれやぁ。」
その恩師の影響か、あらゆることに興味がわき学ぶことの楽しさを知るようになりました。
しかし、そんな意欲も打ち砕かれそうな時があります。
「え、そんなことも知らないの?」
と無知であることを呆れられることです。
誰しも知っていることもあれば、知らないこともあります。
どんなに賢く物知りであっても、知識をひけらかし高圧的な態度をとる人に何かを尋ねようと思えるでしょうか。
多くの人を教え導かれたお釈迦様にとって、お弟子さんや信者さんからの質問の中には、他愛もないものも多くあったと思います。
しかし、法華経を拝読する限りお釈迦様がお弟子さんに対し
「そんなことも知らないのか!」
とおっしゃられるような場面は見受けられません。
法華経の『従地涌出品第十五』では、弥勒菩薩がその場にいた聴衆を代表して質問をします。
するとお釈迦様は
「善哉(ぜんざい)善哉、阿逸多(あいった)、ないし能(よ)く仏にかくのごとき大事(だいじ)を問えり。」
すばらしい!阿逸多 (弥勒菩薩)
よ!よく私に大切なことを聞いてくれた!!
と質問をした弥勒菩薩を称賛されています。
また、日蓮聖人は法華経の内容について質問をされたご信者さんへ
「先(まず)法華経につけて御不審(ごふしん)をたてて其(その)趣(おもむき)を御尋(おたず)ね候(そうろう)事(こと)ありがたき大善根(だいぜんこん)にて候」
(『妙法尼御前御返事』)
法華経について疑問を抱きその意味を尋ねられた事は、尊いことでありますよ。
とお手紙の冒頭で述べられた上で、質問に対し丁寧に教えを示されています。
知らないことを恥ずかしがることはありません。
聞くことは恥ずかしいことではありません。
「よく聞いてくれたね。それはいい質問だ。」
お釈迦様や日蓮聖人の御心のように、やさしく答えられる。
そんな人でありたいと思います。

「新しいことに挑戦し続ける」

昨年2023年は皆さまにとってどのような1年でしたか?
私事になりますが、私の母は昨年還暦を迎え、一つの大きな夢を叶えました。
昨年、母が僧侶となったのです。
今から3年ほど前、身延山になんてん寮という女子寮が開設され、僧道実修生の女子の受け入れが始まったと知った母は、師匠である父の後押しを貰い、半年間、憧れの身延山で修行を果たしました。10月から次の年の4月まで高校生や大学生の若者と共に過ごした日々の中で、2月の寒行は特に厳しかったようです。僧道実修生の間に僧道林を終え、秋には乙種の試験と読経試験に臨み、昨年の6月には35日間の信行道場を無事修了して教師の資格を頂きました。私の母は在家出身で、若くして父を亡くし、法華経に出会い、千葉県からお寺に嫁いで子供を授かり、何も知らない中、お寺の事と子育てを必死でこなして来たようです。
私自身も信行道場を体験していたこともあり、還暦という年齢で僧侶となるための修行はとても大変だったのではないかと想像します。しかしながら、修行を終えて帰って来た母は、とても楽しい実りのある修行ができたと表情も明るく、充実感に満ち溢れていました。
この体験を聞き、日蓮聖人が残された有名なお手紙の一説を思い出しました。
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法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかえれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫(ぼんぶ)となることを。経文には「若(も)し法(ほう)を聞くことを有(あ)らん者は、一(ひとり)として成仏せざること無し」と、とかれて候。
法華経を信ずる人は、きびしい冬の寒さにたえしのぶようなものである。しかし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりきいたことはない、見たこともない、冬が秋にかわることを。いまだ聞いたことはない、法華経を信ずる人が、仏にならずに凡夫のままでいることを。法華経の経文には、もし法  華経を聞いたことのあるものは、ひとりとして仏にならないものはない、と説かれている。(『日蓮宗信行教典』より)
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母はお寺に嫁ぎ、初めて身延山の御廟参はお参りした時に、ご草庵跡の前で日蓮聖人はここにおられると全身で感じて涙が溢れたそうです。振り返るとその時から僧侶を目指そうという心が芽生えていたのかもしれないと申しておりました。私も母のように幾つになっても新しいことに挑戦をしつつ、法華経、南無妙法蓮華経を弘めること、悩みを抱えた多くの方々に必ず春は訪れますよとお伝えして参ります。
皆様も寒さの厳しい冬に耐え、必ず来る春を信じ、新しいことへの挑戦を続けていただけたらと思います。

「新興宗教信者の親をもつ2人の少女」

安倍晋三銃撃事件より端を発した宗教団体の問題が社会を揺るがしています。その中の1つに宗教2世が抱える問題がクローズアップされているのは皆さんご存知の通りでしょう。

皆さんは友人や知人、同僚がいま騒がれている新興宗教の信者だと知ったらどう思われますか?

私は最近とある新興宗教の信仰をする親をもつ、宗教2世の女性2人と出会いました。

1人は接待を伴う飲食店で、もう1人は犬の散歩道で。

とある2次会で接待を伴う飲食店に行くことになりました。何人か女性が入れ替わるのですが、その中の1人、20代半ばの女性が横に座りました。ひとしきり話をすると、私が僧侶であること、アルコールを飲んでいないことなど見ておもむろに自身の悩みを相談されました。

以前付き合っていた彼が最近自殺したことと、自殺された方に生前何かできたのではないかという自責の念。

そのご遺体の第一発見者が自身であったことによる精神的ストレス。

亡くなった人に何かしたい(供養したい)と思うが新興宗教の教えにより禁じられていること。

などの理由により苦しんでいました。

その悩みを話し終わると、少し落ち着き、私は仏教とその新興宗教の教えの違いについて、仏教での死者との関わり方などを話し、女性は熱心に聞いていました。

外見はとても綺麗なドレスで着飾っていましたが、その心象風景はまるでしくしくと泣いている少女のようでした。

そしてもう1人は、私が3歳の息子と犬の散歩をしている時に出会いました。

私の息子より1歳もしくは2歳ぐらい年上の少女がお母さんの後ろで犬に興味があるようでこちらを見ていました。

私はそういう子を見かけると大概は挨拶をし「犬を触ってみる?」と聞いています。

今回もそのように話しかけるとその少女は少し怖がりながらも
こちらに歩いてきました。犬に触るのは初めてだったようですが
優しく撫でてくれました。

そのお母さんとも少し立ち話をしているとおもむろに、自身が新興宗教の信仰をしていると話し、よろしければとQR コード付きの用紙を差し出しました。

他の信者さんらしき方も集まってきてお母さんとその少女は足早に私のもとを去りました。


私の予想ですが これから戸別訪問、布教活動をする少し前だったのかもしれません。

その日は午後から雨が降る予報でした。

後ろ姿のそのお母さんと少女に「今日は雨が降ると思いますのでお気をつけて」と伝えました。
手を振るお母さんと少女の笑顔が印象的でした。

お釈迦様や日蓮聖人が生きていられた時代、もちろん仏教という言葉も日蓮宗という言葉も当初はありませんでした。当然自分以外は違う信仰を持っている人です。
そうした中で偏見や差別を持たず、会う人会う人に幸せになってほしいと願い、教えを示してこられたのがお釈迦様と日蓮聖人お二方の生き方でした。

ニュースでは教団からの過剰な献金、親等によるネグレクトなどの虐待が報じられており、その印象から偏見や差別を生みやすい世の中となっております。

あなたの周りにもきっと宗教2世の方はいます。

お釈迦様や日蓮聖人が行われたように、眼の前の人が幸せになってほしいと願うのが、仏教徒なのです。

「避ける」ではなく「対話」が今、求められています。

「たらいの中の水」

毎週、楽しみにしているテレビ番組があります。

全国各地の隠れた名店に密着取材を行うその番組では、食を通して繰り広げられる店主や従業員、お客さんとの人情溢れる掛け合いにスポットが当てられます。

鳥取のとあるお店が紹介された時のこと。そこにはお客さんに、次から次に「食べんちゃい」と小鉢をサービスする老年の店主の姿がありました。そのあまりのサービス精神に取材班が「なんでこんなにサービスをするんですか」と問うと

「人生はたらいの中の水よ。たらいの中の水を自分の方にかき集めたら、絶対に向こうに流れてく、逃げていくのよ。ところがあんたな、水を向こうに向こうに押すと、絶対に水は自分の方へ流れてくる。世の中は、たらいの中の水なんじゃ」

と、目を細め語る店主の姿が胸に響きました。

仏教には「回向(えこう)」という言葉があります。
今、生きている自分が修めた善い行いの功徳を、亡き人をはじめ他者へと回し向け、その安寧を祈ることを意味します。

日蓮聖人は『種種御振舞御書』というお手紙の中で、自身が法華経に命をかけることで積まれる功徳は、亡き両親に手向けるともに、その余りはお弟子やご信者の皆さんにお配りしますと明言されています。このお言葉に倣うならば、今に生きる私たちも、日蓮聖人が積まれた功徳をいただいているのです。

たらいの中の水をかき集めているか・巡らせているか…いざ自分の振舞いを思い返すとどうでしょうか。

季節は実りの秋。功徳という実りは独り占めするのではなく、日蓮聖人のように多くの方に回し向けることで、本当の心の豊かさと人は出会うのではないでしょうか。