☆明日の天気図☆ -2ページ目

☆明日の天気図☆

明日も晴れるといいね…。

「新興宗教信者の親をもつ2人の少女」

安倍晋三銃撃事件より端を発した宗教団体の問題が社会を揺るがしています。その中の1つに宗教2世が抱える問題がクローズアップされているのは皆さんご存知の通りでしょう。

皆さんは友人や知人、同僚がいま騒がれている新興宗教の信者だと知ったらどう思われますか?

私は最近とある新興宗教の信仰をする親をもつ、宗教2世の女性2人と出会いました。

1人は接待を伴う飲食店で、もう1人は犬の散歩道で。

とある2次会で接待を伴う飲食店に行くことになりました。何人か女性が入れ替わるのですが、その中の1人、20代半ばの女性が横に座りました。ひとしきり話をすると、私が僧侶であること、アルコールを飲んでいないことなど見ておもむろに自身の悩みを相談されました。

以前付き合っていた彼が最近自殺したことと、自殺された方に生前何かできたのではないかという自責の念。

そのご遺体の第一発見者が自身であったことによる精神的ストレス。

亡くなった人に何かしたい(供養したい)と思うが新興宗教の教えにより禁じられていること。

などの理由により苦しんでいました。

その悩みを話し終わると、少し落ち着き、私は仏教とその新興宗教の教えの違いについて、仏教での死者との関わり方などを話し、女性は熱心に聞いていました。

外見はとても綺麗なドレスで着飾っていましたが、その心象風景はまるでしくしくと泣いている少女のようでした。

そしてもう1人は、私が3歳の息子と犬の散歩をしている時に出会いました。

私の息子より1歳もしくは2歳ぐらい年上の少女がお母さんの後ろで犬に興味があるようでこちらを見ていました。

私はそういう子を見かけると大概は挨拶をし「犬を触ってみる?」と聞いています。

今回もそのように話しかけるとその少女は少し怖がりながらも
こちらに歩いてきました。犬に触るのは初めてだったようですが
優しく撫でてくれました。

そのお母さんとも少し立ち話をしているとおもむろに、自身が新興宗教の信仰をしていると話し、よろしければとQR コード付きの用紙を差し出しました。

他の信者さんらしき方も集まってきてお母さんとその少女は足早に私のもとを去りました。


私の予想ですが これから戸別訪問、布教活動をする少し前だったのかもしれません。

その日は午後から雨が降る予報でした。

後ろ姿のそのお母さんと少女に「今日は雨が降ると思いますのでお気をつけて」と伝えました。
手を振るお母さんと少女の笑顔が印象的でした。

お釈迦様や日蓮聖人が生きていられた時代、もちろん仏教という言葉も日蓮宗という言葉も当初はありませんでした。当然自分以外は違う信仰を持っている人です。
そうした中で偏見や差別を持たず、会う人会う人に幸せになってほしいと願い、教えを示してこられたのがお釈迦様と日蓮聖人お二方の生き方でした。

ニュースでは教団からの過剰な献金、親等によるネグレクトなどの虐待が報じられており、その印象から偏見や差別を生みやすい世の中となっております。

あなたの周りにもきっと宗教2世の方はいます。

お釈迦様や日蓮聖人が行われたように、眼の前の人が幸せになってほしいと願うのが、仏教徒なのです。

「避ける」ではなく「対話」が今、求められています。

「たらいの中の水」

毎週、楽しみにしているテレビ番組があります。

全国各地の隠れた名店に密着取材を行うその番組では、食を通して繰り広げられる店主や従業員、お客さんとの人情溢れる掛け合いにスポットが当てられます。

鳥取のとあるお店が紹介された時のこと。そこにはお客さんに、次から次に「食べんちゃい」と小鉢をサービスする老年の店主の姿がありました。そのあまりのサービス精神に取材班が「なんでこんなにサービスをするんですか」と問うと

「人生はたらいの中の水よ。たらいの中の水を自分の方にかき集めたら、絶対に向こうに流れてく、逃げていくのよ。ところがあんたな、水を向こうに向こうに押すと、絶対に水は自分の方へ流れてくる。世の中は、たらいの中の水なんじゃ」

と、目を細め語る店主の姿が胸に響きました。

仏教には「回向(えこう)」という言葉があります。
今、生きている自分が修めた善い行いの功徳を、亡き人をはじめ他者へと回し向け、その安寧を祈ることを意味します。

日蓮聖人は『種種御振舞御書』というお手紙の中で、自身が法華経に命をかけることで積まれる功徳は、亡き両親に手向けるともに、その余りはお弟子やご信者の皆さんにお配りしますと明言されています。このお言葉に倣うならば、今に生きる私たちも、日蓮聖人が積まれた功徳をいただいているのです。

たらいの中の水をかき集めているか・巡らせているか…いざ自分の振舞いを思い返すとどうでしょうか。

季節は実りの秋。功徳という実りは独り占めするのではなく、日蓮聖人のように多くの方に回し向けることで、本当の心の豊かさと人は出会うのではないでしょうか。

「雲」

青空がきれいな季節になりました。見上げると、秋らしい雲を見ることができます。刷毛(はけ)でさーっと描いたような白い繊維状の形の「すじ雲」、小さい白色の塊が群れをなし、うろこ状、または、さざ波状の形をしている「うろこ雲」や「いわし雲」、白色や灰色の塊が集まって羊の群れのように見える「ひつじ雲」。「うろこ雲」、「いわし雲」、「ひつじ雲」が空を覆っていくと雨が降るサインだそうです。
雲は水滴や氷の結晶でできており、雨を降らせ大地や動植物を潤し、はぐくんでくれます。秋になると白い花を咲かせる玉すだれは、雨が降るたび針のような葉をぐんと伸ばします。
夏真っ盛りの時、「ずっと雨が降らないから、畑の水やりが大変」と嘆いていたMさん。雨が降ると野菜や花々が元気を取り戻し、Mさんも胸をなでおろされていました。同じように私もカラカラになったのどを冷たい水で潤した時は「ぷはー、生き返った」といのちを救われた気分になります。
『妙法蓮華経薬草喩品第五』に仏さまは空を覆う雲と同じ。お釈迦様(仏様)がこの世にご出現されることは、大きな雲が空を覆うようなもので、人間の心は潤いが足りず枯れ果てているようなもの、と説かれています。いろいろな迷いによって疲れて弱り果てている私たちの心。雲から降る雨で草木が枯れないように、仏様の説かれる教えが心に潤いを与えてくれます。日々、仏様の教えで心に潤いをいただき、安らかで穏やかな生活を送っていきたいものですね。

参考資料
『法華経大講座』 小林一郎著 平凡社刊

「供養の心」

日本にはお盆やお彼岸といった先祖供養の行事が御座います。他にも年回忌といった法事も供養の場です。旅立った故人を偲び、手を合わせる文化が脈々と受け継がれ、多くの方が供養の心を持っていらっしゃる事はとても喜ばしく思います。

私事ですが先日祖母が亡くなり、まもなく百箇日忌を迎えます。祖母は長寿であり、行年99歳の長逝であったと思います。
生前は介護を必要とし、この数年間は特別養護老人ホームに入所しておりました。
体調を崩し今年の1月に病院へ移りましたが、その数か月後には逝去致しました。入院してからは、直ぐにでもお見舞いに行きたかったのですが、このコロナ禍では面会の許可もなかなか下りず、亡くなるまでには結局1度しか会うことは叶いませんでした。
祖母は私が生まれた時には足腰が悪く、一日のほとんどをベッドかソファーで過ごしておりました。昔は畑仕事等も一生懸命やっていたそうですが、晩年は出かけるといえば病院か散髪くらいで、それ以外の時は家で過ごしていました。
コロナ禍がなければもっと会いに行けたのに寂しい思いをさせてしまったな、もっと車に載せて色々なところへ連れて行ってあげられればよかったかなと、後悔の念が今になって沢山出て参ります。
祖母は足が悪い中でも毎日朝のお勤めには出てきて一緒にお経をあげていました。そして僧侶である孫の私を常に応援し支えてくれる、そんな信仰熱心で優しい人でした。
今でもふとした時、何か迷った時や困った時には心の中で祖母が励ましてくれ、まだ祖母が生きているのではないのかという錯覚さえ感じる事があります。
近しい人が亡くなるという悲しみはなかなか癒えません。しかし、残された我々がその故人を忘れなければいつまでも心の中で生き続けていくのだと思えました。
私が苦しいときには励まし、困ったときには導いてくれる祖母は仏様となって私の心の中に住み着いているのだと感じています。だからこそ、いつまでも供養の気持ちを持とうと思えるわけです。

日蓮聖人は『報恩抄(ほうおんじょう)』で次のように御教示されています。
「花は根にかへり 真味(しんみ)は土にとどまる」

この一節は日蓮聖人の師である道善房(どうぜんぼう)への追善としてあてられた御遺文です。
花が咲き終わったら、その栄養が土の中の根に戻り残るように、法華経の功徳は亡くなった道善房の身に集まる。自らを育んでくれた恩人に対し、感謝の心をもち、報恩の心で供養する大切について説かれています。
私たちの命は、両親から祖父母、そしてご先祖様からいただいた命であります。
先祖供養はよく一本の木に例えられます。即ち先祖は木の幹や根であり、子孫はその枝葉です。根にしっかりと栄養を与えなければ枝葉が栄える事ありません。また枝葉から取り込んだ養分も根に蓄えられ、さらに木全体が大きく成長します。
ご先祖様と子孫は切っても切れない関係であり、私達の命は脈々と受け継がれて来たご先祖様からの命のリレーによるものです。ご先祖様の存在なくして私たちの存在はあり得ません。多くの人から恩を受けて、育まれてきた命であることは忘れてはいけません。感謝と報恩の気持ちで供養をしていきたいものです。

「今が人生で1番若い」

「人間、今が一番若いんだよ。
明日より今日の方が若いんだから。
いつだって、その人にとって今が一番若いんだよ。」

国民的ヒット曲『上を向いて歩こう』の作詞をつとめた事でも知られる、永六輔さんのベストセラー『大往生』に綴られている言葉です。
この言葉がいま胸に響いたのは、私自身が30代を迎え肉体の変化を身に染みて感じるようになったからかも知れません。
肩こり、腰痛、体の冷え、ポッコリしたお腹。
これまで気にもしなかった体の不調をここ数年で感じるようになりました。

命あるものは年老いて、病気になり、やがて死を迎える。「生老病死」「四苦八苦」は誰一人逃れることの出来ない苦しみであると、お釈迦様はお説きになられました。

年齢を重ねて「あの頃は良かった」「あの時ああすれば良かった」とついつい振り返ってしまうことがあります。一方、逃れたいことがあると「明日やればいいだろう」「また次があるだろう」と後回しにしながらも、未来に不安を感じる事もあります。

「過去を振り返ってはならない。
未来を追い求めてはならない。
過去、それはすでに捨て去られたものであり、
未来はまだ得られていないものである〔からである〕。
だから、ただの今、現在しているもの、そのひとつひとつについて〔よく〕観察し、
支配されることなく、動揺することなく、そのことを覚知して、〔仏道を〕修行せよ。
今日なすべきことのみに心を傾けよ。
誰が明日の死を知ることができようか。
なぜなら、死魔(しま)(死神)の大軍勢、
彼らと〔いつまでも〕戦わない〔で済む〕者などいないのだから。
このように住し勤(いそ)しみ励むもの、
昼夜に常精進する者、
その者こそ、“吉祥なる(賢い)一夜における、
寂静に到達した聖者(しょうじゃ)“であるといわれる」

(鈴木隆泰著:『本当の仏教 第5巻』より引用)
『マッジマ・ニカーヤ(中部経典)』第3巻所収の

『吉祥なる一夜(一夜賢者)経』に説かれた教えです。

過ぎ去ったことでいつまでも、後悔するのは止めましょう。
来てもいない未来に過剰に期待を寄せたり、不安になったりするのは止めましょう。
そんなことをしている間に、今というかけがえのない時間は過ぎ去っていきますよ。
ただひたすらに、この一瞬一瞬に目をむけて生きることが大切ですよ。
とお釈迦様はお説きになられております。

当たり前のように明日が来るという保証はどこにもありません。
「今」という一瞬も「今」と感じた瞬間に消えて無くなってしまいます。そう考えるとこれから過ごしていく一瞬一瞬はとても尊いものに感じられるのではないでしょうか。

これからの人生で1番若いのが「今」です。
「今」という瞬間を意識し、与えられた有限なる命を輝かせていきましょう。

参考書類
『本当の仏教 第5巻』 鈴木隆泰 著
『大往生』        永六輔  著
 

『後悔のない日々を』

私にとって、昨年の5月頃から特にここ1年ほどは大きな変化が沢山ある年だと実感しました。私は今年の4月、約7年ぶりに岡山の最上稲荷山荒行堂の門を再びたたく事となりました。期間は21日間。今回は前回と全く違う立場、そして日本語が通じない海外の方々との修行。この修行を通じて、前回は修行をすることに精一杯の私でしたが、今回は教える立場も体験。沢山の方に日々支えられていることはもちろんのこと、相手に分かりやすく伝えることの難しさ、様々な言葉、身振り手振り、そして行動で相手に伝え、伝えたいことが通じたときの喜び、逆に伝えたいことが伝わらず苦しい思いも体験、経験。とても21日の間に起きた出来事だとは思えぬほど内容の濃い修行でした。その修行を終えた今、私の中の意識が少しずつではあるが変化しているように感じました。

人生というのは、毎日が楽しいことばかりではありません。時にはどうして私だけがこんな苦しい思いをしなければいけないのかと疑問に思うときもあります。

私達僧侶はこの苦しみを取り除くこと、御題目を通じて分かりやすく伝えること、それが僧侶の役目であると今回の荒行を通じて改めて感じることが出来ました。昨年9月も教えることの大変さをあるところで教わり、その時教えて頂いた言葉を思いだしました。

「心が変われば行動が変わる、行動が変われば、習慣が変わる、習慣が変われば運命が変わる。」

今回の修行を終えて、自分の心が変化し、それによって行動に移していくことができ、それが習慣化しつつあると実感しています。

日蓮聖人は『富木殿御書』というお手紙の中に次のように説かれています。

「我門家(わがもんけ)は夜は眠(ねむ)りを断(た)ち、昼は暇(いとま)を止(とど)めて之を案ぜよ。一生空(むな)しく過(すご)して万歳悔(ばんざいく)ゆる事勿(なか)れ。」

現代語訳すると「
我が一門の人々は、夜は眠る時間を惜しみ、昼間は少しの暇間(ひま)な時間であっても無駄にせず、この問題について充分に学び考えるべきである。そして一生を空しく考えることもせずにすごしてしまって、あとで悔いを万歳にまで残すようなことがあってはならない。」と云う意味です。

(渡邉宝陽氏・小松邦彰氏編:『日蓮聖人全集』

全7巻より引用)

 

私達は、お釈迦様、日蓮聖人の弟子です。自分の役割をしっかりと果たし、生かされている命を後悔することのないよう全うしなければなりません。

「旅先からの便り」

私が小学生だった頃、学校の遠足は私たちにとって大きなイベントだった。300円までという制約の中で、どの菓子を買っておやつに持っていくか。母親の作ってくれる弁当が何なのか。前日から多くの楽しみと期待に満ちていた。

先生に連れられて在来線に乗り込みクラスの友達と知らない場所に行く。
ただそれだけで楽しい。
冒険が始まり大いにはしゃぎ、お弁当という宝箱を開ける楽しさも、厳選したとっておきの布陣のお菓子も披露し終わり、冒険も終わり。
行きと同じく先生に連れられて帰り道の在来線に乗り込んだ私は疲れて眠ってしまった。

在来線で眠り込んでしまった私が目を覚ました時、知っている人は誰もおらず、知らない駅名と見たこともない景色が車窓を流れているだけだった。

2、3駅そのまま車窓を眺めながら、ふと

「帰えらなきゃ 帰らなきゃ」

と軽くなったリュックを強く握りしめ強く思っていた。

立ち上がり電車を降り反対のホームの電車に乗ってからも

「帰えらなきゃ 帰えらなきゃ」

と一心に思っていた。

そこからは必死だったのかあまり覚えていないが、帰った先は自宅ではなく学校だった。

学校が近づくと

「帰えらなきゃ 帰えらなきゃ」

の呪文は消えて、

「叱られるよな」

と不安がよぎる。

一人とぼとぼ学校へ向かい、校門が見えてくると先生たちは勢ぞろいしていた。

意外にもいつも叱る先生たちからは

「よく帰ってきた よく帰ってきた」

と声を掛けられて、全く叱られることはなかったが、その代わり両親からはこっぴどく叱られた。

挙句の果てには母に泣かれてしまい、私としては苦い思い出だ。

迷子になった時点で電話の1本でも入れておけば違った結果だったかもしれない。

そんな幼い時のしまっておきたい苦い思い出を思い出す機会があった。

750年前に日蓮聖人が富木常忍さんに宛てた手紙「富木殿御書」を拝見した時だ。

日蓮聖人が鎌倉から身延に着かれた時に書かれたお手紙で、身延山の様子や無事着いたこと、それが手短に一枚の紙に書かれている。

拝見した時は5月17日。そのお手紙が書かれてからちょうど750年後、身延山久遠寺では日蓮聖人が身延に着かれた事を記念し、ご入山の法要が営まれ、私はその法要に参加をした。

時間が少しあるからと、久遠寺の宝物館で特別展示されている「富木殿御書」を拝見しにいった。

750年前の手紙というだけで感慨深いものだが「御真筆」とは、いわゆる日蓮聖人直筆のものだ。もちろん貴重なものであるのは確かであるが、当然昔の文字、書体なのでそのままは読めない。
読めないけれどそのお手紙を拝見した時に、字の書体の柔らかさなのか全体の印象なのかは分からないが、「優しさ」を感じた。

言葉ではなかなか言い表せないが一言で言えば

「優しさ」

その優しさを感じたと同時にふと思い出したのが母の泣き顔だった。

「心配かけてごめんね もう泣かなくていいよ」

今、母が悲しんでいるわけじゃないのに小学生のあの時に急に呼び戻された気持ちになり、心の中で言っていた。

「御真筆」を拝見することができる機会は非常に少ない。文化財保護の観点から展示できる場所や期間が非常に限られるためである。

身延山は6月12日から18日までの間、開創750年の記念事業を行っている。

この機会に是非、身延山に足を運んでいただきたい。
そして「御真筆」を目の前にして感じていただきたい。

きっと心の奥底にしまい込んだ何かと出会えるきっかけになるのではないだろうか。

「文明の知恵、ほとけの智慧」

新型コロナウイルスの発生から3年あまりが経ちました。

未知の感染症と対峙したこの数年間。多くの困難がありました。
なかでも「人に会えない辛さ」を、こんなにも身に沁みて感じたことはなかったかもしれません。

遠くに暮らす家族、昔ながらの友人・知人。
家庭内感染にあっては、一緒に暮らす家族とさえ会えないこともありました。

大切な人に会いたい。けれど、会えない。
まして生死の別れを経ては、想いは募るばかりです。

この辛くてたまならい私たちの心の様子を、『法華経』では「渇仰(かつごう)」という言葉で表現しています(「如来寿量品第十六」)。
喉が渇き水を切望するかのように、大切な人を慕い想う気持ちは今も昔も同じなのです。

そうした中、コロナ禍にあってスマホやパソコンは幾度となく人と人とを繋ぎ、渇いた心を潤してくれました。スマートフォンの「スマート」には「賢い」という意味があります。
文明の知恵を活用して、たとえ直接会えずとも声を届けあい、時には顔を見ながら会話することでどれだけ励まされたことでしょう。

同じように、亡き人はもとより、お釈迦様と私たちとを繋いでくれるのが、お釈迦様の最高の智慧である『法華経』の教えです。文明の知恵も、お釈迦様の智慧も、私たちに「繋がっている」ことの心強さを教えてくれています。

ゴールデンウィークを目の前に、様々な休日の過ごし方がメディアでも紹介されています。心静かに手を合わせ、『いのちの繋がり』に想いを馳せるのもまた、贅沢な時間の使い方のひとつではないでしょうか。
 

「随喜の心」

春の気配とともにお檀家様N家のまだ冬枯れの残る庭に突然咲いた黄色い花。Nさんは種をまいたことも苗を植えたこともない花。その花は仏教の開祖、お釈迦様がお生まれになられた4月8日の誕生花(*1)である「ヒメリュウキンカ」だった。Nさんは
「なんだかありがたいですね。我が家によくぞ咲いてくれました。」
と弾んだ声で話をされていた。その声で私もなんだか嬉しくなった。Nさんのように心から喜び、ありがたく感ずることを「随喜(ずいき)」という。『法華経』にはお釈迦様の滅後、お釈迦様のいのちが永遠であり、永遠に私たちへ救いの手を差し伸べてくださっていることを信じ、随喜した時の功徳について説かれている。「『法華経』を聞き喜びを得た者がその喜びを他の人に伝え、聞いた人が喜びを得て、さらに他の人に伝えていく。そのように順々と伝わり第50人目の人が『法華経』の一句でも聞いて心から随喜すれば計り知れない福徳を得ることができる。ましてお釈迦様の面前で『法華経』を聴き、帰依する人の功徳の大きさはいうまでもない(『妙法蓮華経随喜功徳品第十八』筆者による意訳)」と説かれている。
最近新しくお檀家様になられたKさんは、お母様がご逝去されるまで、ほとんど仏教に触れる機会がなく、もちろん『法華経』も初めて見聞きした方だった。先日
「母親の祥月命日のお経をお願いできませんか」
と連絡があった。祥月命日の読経の後、Kさんが
「毎日なんだか忙しくて母のことを忘れかけていたんですが、お願いしてよかったです。お経を聞いていると心が穏やかになりますね。ありがたい気持ちになりました。今度は姉も娘も一緒にお参りさせてもらえればと思います」
そのようにおっしゃるKさんのお姿がとても尊く感じられた。
日蓮聖人は現代において初心の者が『法華経』を修行することについて「ただ一心に仏の教えを信じ南無妙法蓮華経と唱えることは、少しでも信じ理解したことの功徳であり、喜びの心を起こす功徳である。これがすなわち法華経の本意である(『四信五品鈔』筆者による意訳)」とおっしゃられている。
ひとりでも多くの人が、南無妙法蓮華経のお題目をお唱えする機会を増やしていけるよう、すでにお題目を心にたもち続けている皆さんとともに励んでいきたいと思う。

*1「誕生花」生まれた日にちなんで1年365日それぞれに特定の花を割り当てたもの。
参考資料 

『誰でもわかる法華経』庵谷行亨著 大法輪閣刊
『法華経・全28章講義』浜島典彦著 大法輪閣刊
『はじめての法華経』菅野日彰著  ユーキャン刊
『法華三部経 三木随法』編著 東方出版刊
『日蓮大聖人遺文大講座』小林一郎著 平凡社刊
『昭和定本 日蓮聖人遺文』

 立正大学日蓮教学研究所編 身延山久遠寺刊 

『国語辞典』旺文社           

「冬を越えて」

今冬は「10年に1度の大寒波」といわれたように全国的に寒さが強く、多くの地域が降雪に見舞われました。
この大雪は日本列島の各地に被害をもたらし、高速道路は至る所で通行止めになっておりました。普段雪の降らない地域の方々は慣れない降雪に大変な思いをされた事でしょう。処によっては何十キロにもわたって長時間の立ち往生が起きる事もあり、通行が再開し渋滞が解消するまでに丸1日~2日を費やす程の大混乱となっておりました。
そのような中、高速道路関係者の方々が雪に埋もれた車を一台一台、スコップで排雪し、ドライバーに水や食料を配布する姿がニュースで報道されていました。そのような姿には大変感銘を受けます。

私の住んでいる北海道も、地域によっては例年より雪が多く降り積もり、生活に支障が出ている所もありました。毎年の事ながら、除雪作業中の事故、雪の重みによる家屋倒壊や吹雪による遭難のニュースを見るにつけ、遺族の心中を察すると大変辛い気持ちになります。

しかし、雪も決して悪い事ばかりではありません。
北海道の米農家さんによると、冬に雪が少ないと心配になる事があるようです。冬に沢山の雪が田んぼに深く降り積もりますと、春になった時その雪が徐々に解け、田んぼが満たされていきます。この雪解け水を含んだ田んぼに田植えをするからこそ、おいしいお米が出来上がるそうです。雪は生活において少ない方が助かりますが、北海道の田畑にとっては作物の成長に必要なものになります。田畑に積もる雪が春になると潤いをもたらすように、訪れる苦難を人生の糧と出来れば喜ばしい事です。

日蓮聖人は『妙一尼御前御消息』で次のように御教示しています。
「法華経(ほけきょう)を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。」

この御遺文は、熱心な信徒である妙一尼(みょういちあま)という方にあてられたお手紙です。妙一尼は夫を亡くし苦難の中でも信心に励んでいました。
日蓮聖人は「冬はどんなに長く辛くとも必ず春を迎えます。法華経を一心に信仰しているあなたは、必ず苦難を乗り越えられます」と励まされています。
困難の渦中にあった妙一尼ですがこのお気遣いをありがたく感じ、より信仰を深められました。辛い事が大きければ、その分きっと幸せは光り輝きます。苦しみを克服する事は、すぐには難しいですが、いつかはそれを糧にできればと思います。

この季節、お檀家さんの家へお参りに行きますと必ず座布団を温めて下さっている家庭があります。仏壇のある部屋だけ暖房を利かせて下さる方もいらっしゃいます。電気代も灯油代も値上がりしている中、そのお心遣いが本当にありがたく思います。どれだけ寒くても、人の思いやりで心が温まり幸せを感じます。辛い事の中にも幸せはあり、今は苦しくとも必ず光明は差して来ます。
厳しい冬だったからこそ、それを乗り越えた先に暖かで幸せな春を迎えればいいなと思うばかりでございます。