☆明日の天気図☆

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明日も晴れるといいね…。

 

 

我が頭は父母の頭、我が足は父母の足
『忘持経事』/
建治2年(1276)55歳

=父母の思い=
 

 「よっぽどあんたに会いたかったんだね。おっかさん」

 幼い頃、母親に置いて去られ、孤児として育った女性に、知人が語りかけました。女性はこの言葉に心を揺さぶられます。自分を置いて去った母への複雑な思いが、「産んでくれただけでありがたい」という感謝の気持ちに変化していく、あるテレビドラマの感動的なシーンです。

 産んでくれと頼んだわけではないのに、あれこれうるさくいわれ、「うっとうしい!」「いなくていい!」と、父母に対して思ったこともあるでしょう。

 でも私たちは誰しも「ようこそ」と歓迎されてこの世に産まれてくるのです。

 このドラマでは、「あなたに会いたかった」という父母の思いに気づいた時、「私の頭は父母の頭、私の足は父母の足、自分の身体はお父さんお母さんそのものなんだ」と感謝の心がわきました。境遇は違うかもしれませんが、みな同じなのです。
 

◎日蓮聖人ご遺文『忘持経事』

 下総の富木常忍が、母の遺骨を首にかけ、身延の日蓮聖人のもとに供養に訪れた帰り、経巻を忘れたために『忘持経事』と名が付きました。信仰の悦び、親子共の成仏が説かれています。

 建治2年(1276)55歳

 

 

 

我が己心を観じて十法界を見る
『観心本尊抄』/
文永10年(1273)52才

=自分の心と向き合う=

 「りくりゅうペア」をはじめ、さまざまな国の選手の活躍で盛り上がったミラノ・コルティナ2026冬季オリンピック。

 他国のライバル選手の最高の演技やメダルの獲得を、互いに心から祝福し合う光景が見られました。他人の歓びを自分の歓びとして受けとめるその姿は、多くの感動を呼びました。

 ともすると、私たちは他人を妬んだり、不幸を喜んでしまいます。これは、私たちの心のなかに他人を貶め自分のことしか考えない「地獄の心」から、他人に手を差し伸べる優しい「仏の心」まで、十段階に分かれる「十界」が存在するからです。

 身の回りの出来事に対して、今の自分はどういう心の状態なのか。静かに自分の正直な心の状態を見つめてみましょう。

 たとえそれが地獄のような心であっても、仏さまのような優しい心に変えてくれるのがお題目なのです。

◎日蓮聖人ご遺文『観心本尊抄』

 佐渡流罪中、下総中山の富木常忍に宛てられた、聖人が説かれたお題目の最も大切な教えを説き表された書。今まで誰も説かなかった内容なので、心して読むようにと指南されています。

文永10年(1273)52才

 

法華経の題目は琥珀と磁石とのごとし
『法華題目鈔』/
文永3年(1266)45歳
 

=お題目の効能=

 なんだか今日は気分が沈んでしまうな。学校に行きたくないな。会社に行きたくないな。私たちの日常には思い通りにならないことがあります。

 気がつかないうちに自分自身が繰り返してきた思考や行動が元になって、苦しみを生み出すこともあります。ひとつのことにとらわれたり、考えが一方通行になったりして、心も身も疲れ切って動けなくなってしまうこともあります。そんなときこそ、お題目「南無妙法蓮華経」を唱えてみてください。

 古来、琥珀は浄化作用があると考えられていました。磁石は鉄を引き寄せます。日蓮聖人はお題目もまた琥珀での浄化や磁石のように私たちの悩みや苦しみを吸い取ってくれると説かれ、「〝南無妙法蓮華経〟と唱えて、それを日常の習慣にしましょう」と仰っています。

 どうか気持ちを込めてお題目を唱え、心を取り戻すお題目の効能を味わってください。

◎日蓮聖人ご遺文

『法華題目鈔』

 女性信徒に宛てた書簡で、お題目を唱えることの大切さ、法華経の素晴らしさを故事や譬え話を用いて説き、法華経信仰を勧めています。  

文永3年(1266)45歳

 

 

心の師とはなるとも心を師とせざれ
日蓮聖人ご遺文『兄弟鈔』/
文永12年(1275)54歳 ※55歳説もあり

=心の指針となるもの=

 「心のおもむくままに…」「本当の自分を大切に…」――素晴らしい言葉です。人生に行き詰まり、生きるのが苦しくなったとき、このような言葉に救われた人も多いでしょう。

 しかし一方で、自分の心に翻弄され、「何が本当の自分なのかわからない」と考えてしまうこともあるでしょう。

 一体何のために生きているのか、希望も喜びも見いだせなくなってしまったときこそ、私たちには〝心の指針〟が必要です。

 コロコロと変わる自分の心を師とするよりも、心を導く指針、すなわち〝心の師〟を持つことが必要なのです。

 日蓮聖人はどんなときも、お釈迦さまの真実の教えである『法華経』を心の指針とすることが真の幸せへと至る道だと説いています。人生に迷い、生きることが辛くなったとき、どうか『法華経』の教えに触れてみてください。
 

◎日蓮聖人ご遺文『兄弟鈔』

 池上宗仲・宗長兄弟、それぞれの夫人に宛てたお手紙。信仰を異にする父は兄の宗仲を2度勘当しますが、日蓮聖人は真の孝養は法華経の信仰にありと兄弟を励まし、父もやがて法華経信仰に入ることになります。
 
文永12年(1275)54歳

※55歳説もあり

 

自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う
『観心本尊抄』/
文永10年(1273)52歳

=錨のある人生=

 お釈迦さまの悟りの功徳は、妙法蓮華経の5文字にそなわっているため、妙法蓮華経の信仰を真摯に持てば、自然と私たちにその功徳がいただける、というのがこのご遺文の趣旨です。

 私たちには仏さまになる性質「仏性」がそなわっています。あとは自分に与えられた仏さまからの使命・責任を積極的に果たしていくことで、悟りと安らぎが私たちのものになっていきます。

 信仰とは、〝いのち〟の不思議さと尊さへの感性が豊かであり、また人間を遥かに超えた大いなるものの存在への謙虚な姿勢を持つこと、…つまり、仏や法、摂理、真理を感じ、思わず合掌せずにはいられなくなることなのではないでしょうか。

 「錨ある船は嵐に耐え、錨なき船は嵐に吹き流される」。〝錨〟は信仰であり、豊かな感性と謙虚さ、また悟りと安らぎです。苦難や災難があったとしても押し流されることなく、逆に仏神の励ましと受け止められれば、前向きな生き方ができることでしょう。

日蓮聖人ご遺文『観心本尊抄』

日蓮聖人が過去20年にわたる体験・学問・思索で得られた信仰的核心の書です。

文永10年(1273)52歳

 

妙法の五字を唱えずということなし
『波木井殿御書』/
弘安5年(1282)61歳

=すべてのものは…=

掲示の「妙法の五字を唱えずということなし」の前には「吹く風も、ゆるぐ木草も、流るる水の音までも」が入ります。
これは日蓮聖人が住まわれた山梨県にある身延山の自然や四季などのなかから、さまざまなものを感得されたことを表しています。
私たちも植物の芽吹きにいのちを感じ、青々とした木草や咲き誇る花に生きる力を感じ、紅葉には不可思議な美しさと同時に儚さも思わせます。しかし、また必ず春になり、いのちが輝くことも知っています。
すべてのものは妙法・南無妙法蓮華経…、つまり宇宙の摂理・真理の顕れです。いのちが成り立つための四大(地・水・火・風)は私たち人間が作ったものではなく、天与のものです。大いなる力、働き、作用があり、この世界は支えられています。
世界のありように気づき、そのなかで生かされている私たち自身を知る。そうして謙虚に生きていきましょう。

日蓮聖人ご遺文
『波木井殿御書』
日蓮聖人が、身延山を霊山とみなすことなどを、現東京の池上で書かれたといわれています。
弘安5年(1282)61歳

 

 

 

教主釈尊の愛子なり
『法華取要抄』/
文永11年(1274)53歳

=私たちは…=

 「私なんかいてもいなくてもいい!」と思うことがあります。しかし実は私たちは、お釈迦さまから願われ、その愛し子としてこの世につかわされたかけがえのない存在です。自分の見方を転換すれば、自信と誇りと勇気を持って日々、人生を歩んでいけます。

 すべての生物の遺伝情報はDNAという4つの塩基文字によって書かれています。親から子へと伝えられ、今の自分を生きていく生命の設計図。「生き物みな兄弟」は観念ではなく科学的な事実です。

 分子生物学者のある人はこういった奇跡を「サムシング・グレート(偉大なる何者か)」と呼んでいます。私たち仏教者でいうと「仏神のお働き」です。まさに私たちは教主釈尊の愛子です。いのちの神秘、いのちの不思議を感じ、合掌せずにはいられません。

 日蓮聖人ご遺文 『法華取要抄』

 

 佐渡在島中にご草案を書かれ、身延山ご入山後、早々に発表されたと考えられています。聖人5大部に次ぐ重要書とされ、題号も自ら付けられています。

文永11年(1274)53歳

 

 

一切衆生 悉有仏性
『爾前二乗菩薩不作仏事』/
正元元年(1259)38才(※)35才説もあり

=人、みなそれぞれに美しき花あり=

 涅槃経からの一節ですが、同経は法華経の落穂拾いのお経といわれているので、法華経の教えの一環として考えられます。この教えは、すべての生きとし生けるものは悉く仏性、すなわちそれぞれにかけがえのないいのち(個性、持ち味)を持っているということです。

 皆、それぞれにかけがえのないいのちを天=仏神から授かってこの世に何らかの使命・役割(個性・持ち味・特質・長所)を持って生まれてきたという存在です。そして私たち個々は比較できない、代理のきかない存在でもあります。

「人、みなそれぞれに美しき花あり」。これが、法華経の示す大事な教えです。

「もともと特別なオンリー1」と歌にありましたが、まさに私たちには順番などがないため、比べることは意味がないのです。

 日蓮聖人ご遺文『爾前二乗菩薩不作仏事』

 二乗(声聞・縁覚)が仏になれないのならば、法華経以前のお経では菩薩も仏になれないとおっしゃられ、真の十界成仏の教えは、法華経であるとしています。

 

仏教をきわめて仏になり、恩ある人もたすけんと思う
『佐渡御勘気鈔』/
文永8年(1271)50歳

=恩ある人を助ける=

「恩ある人」は必ずしも親類知人に限らず、生きとし生けるものすべて、はたまた生き物の生存を可能にしている地球環境まで含まれたものと理解してよいでしょう。
私たちはこの世に生命工学的にいえば250兆分の1の確率でいのちを授かっています。これを単なる偶然と受けとめるか、何か大いなるモノの計らいと受けとめるかでその生き方は大きく異なります。
そう考えると〝私〟や〝すべて〟は、何らかの使命をもらってこの世に生まれてきたと受けとめられます。それをまっとうすることが〝成仏〟です。
したがって「仏教をきわめる」とは「仏となる」ことであり、同時に「恩ある人をたすける」ことが行われます。成仏への道と救済への道とは前後に分離したものではなく、いつも一体となっているのが仏教の本質です。

日蓮聖人ご遺文
『佐渡御勘気鈔』

聖人が学問の意義について述べたものです。仏教(法華経)という教えを学んで真理を承知し、それをもって恩ある人びとを救うのだという自らの生きる姿勢を明確に表明されました。
文永8年(1271)50歳

 

思い合わぬ人を祈るは、〜空に家をつくるなり
『弁殿御消息』/
建治2年(1276)55歳

=思いを成就するには=

「空に家をつくる」ってどういうこと? と思われるでしょうが、実現が難しいことの喩えで日蓮聖人はこう言われました。「こちらが真剣に祈っているのに、今まで験がないのは、あなたの信心が本物ではなく、思いが通じ合っていないのだ」と。
皆さんはお寺で祈祷や祈願を頼んだことはありますか? その時のあなたの望みは叶えられたでしょうか? 実はその願いが成就するか否かは、あなた次第なのです。修行を積んだ僧侶がいくら一生懸命に祈祷をして気力を捧げても、受け取る側に信仰心がなければ、通じ合えません。また信仰面だけではなく、あなたがきちんと徳を積んでいないと、仏神の守護はないのです。わざと生活がだらしなく、いつも誰かに迷惑を掛けている人の願いごとは仏神も応じてくれません。そのような人は周りの人間も離れていくことと思います。それと同じです。

日蓮聖人ご遺文
『弁殿御消息』
鎌倉の弟子日昭上人に宛てられたお手紙。檀越の中で退転する者が出てきたことを愁いて、皆に強い信仰を勧められ、困難なことがあっても、その先に功徳の験があると述べられます。
建治2年(1276)55歳