村上龍が「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞をとり、ロッキーがあたり、電話ボックスにおかれた青酸 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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アット・ペッパーを聞きながら寝ます。

おそらく、彼の最後に3度目の妻の、ローリーは「当たり」

でした。結婚は「宝くじ」ですからね。^^

 

  アット・ペッパーは、いろいろ調べると、やはりいいですネ。レコードもかなり持っとりますが。

 聞き直すとまたまた良いです。

  五歳頃に両親が離婚しているせいか、本人もまた2回離婚しております。

  そして、最後に3度目の妻の、ローリーは当たりでした。

  jazz界ではさまざまな優秀なるプレーヤーが麻薬に浸っておりますが、もちろん、まったく麻薬をやらずに脳内麻薬だけで傑作をつくっている人もたくさんおります。

  ただ、アット・ペッパーはそれが出来ずに、麻薬で捕まり牢屋に長くはいったせいで、音楽の演奏も中断しておったのですが、77年の初来日の時、郵便貯金ホール<今のメルパルクホール>で、ひとつは、アット・ペッパーの演奏を初めて日本人が聴く興奮と、10年以上にわたり演奏ができなかったことに対する期待で、拍手が5分も鳴りやまなかったそうです。素晴らしい演奏です。↓にアップしております。

  77年というと、昭和52年頃ですから、100年に一度といわれる今の大不況と変わらないほどの不況の年で、私も大変就職に苦労しましたが、直感的に呉服屋を選びました。

 それは間違いありませんでした。

 直感は間違えませんね。

 村上龍が「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞をとり、ロッキーがあたり、電話ボックスにおかれた青酸カリ入りのコーラで2人が死んだ時代です。中島みゆきの曲もはやりました。

 そんな不思議な時代でした。

 そんな日本に、アット・ペッパーは、刑務所から10年ぶりで出て来て、日本人の聴衆の興奮にぶつかり、感激したのですね。

 三度目の妻のローリーは子供のように泣きじゃくり、皆の拍手にアット・ペッパーとともに日本の聴衆の拍手に深く感激したのです。!!!!!!!!

 資料。

「1977年に初の日本公演をおこなう。このときの日本のファンの熱狂的な歓迎にペッパー自身が非常に感動した様子が、3番目の妻ローリー・ペッパーによって筆記された自伝「ストレート・ライフ」(1980年)に記されている。それがきっかけなのか親日家であり、1980年には石黒ケイの「アドリブ」に参加した。

 彼は、1982年6月15日、脳溢血により死去。」

・・・・・・

 アット・ペッパーはその時の大成功の気持ちをこう言ったそうです。

 「あんなことは初めてだった。日本は私をうらぎらなかった。ほんとうに僕は受け入れられたのだ。やっと報われたのだろうか。たとえなんであれ、その瞬間、過去の苦労がすべて報われた。」

 酒に麻薬に女関係、彼は過去に溺れ続けたからだ。

 しかし、<村上龍は、たまに良い事を言うが>、「こころの中に異物感覚を持たない奴はだめだ」と。

 そして、アット・ペッパーの最後に日本公演の81年に彼はまたこうも言う。

 「私はそれまでの人生でいろいろと体験してきた喜びや悲しみを、ホーンを通じて、常に真剣にコミュニケートしようと心がけている」

 日本人の音楽に対する感性は世界でも有名です。

 青山に世界的に有名な、「ジャズ ブルーノート東京」というjazz bar がありますが、たまたま以前の会社の隣でした。

聞いた話では、もうアメリカのニュヨークあたりではjazzの喫茶はまったくないですし、jazzを聞いている人などはほとんどいないらしいですね。(もちろんマニアはいますし、流行っているjazzライブバーもありますが・・・)

 それなのに、日本の青山にいけば、世界のjazzの一流のアーチストに会えるなんて不思議な国ですね。

 その国、日本に、アット・ペッパーは惚れ込んだようです。

 どこの国か忘れましたが、アコーディオンのような楽器がありますが、それも日本のマニアがすべて買い集めて、日本でその楽器を演奏するカルチャーセンターがあるそうで、現地ではまったくいい楽器が手に入らないらしいですね。

 これもその国の発祥の楽器なのに、演奏する人がいないということなんですね。

 日本人はそれほど、「とりこみ」が好きだし、不思議に、その国の本来の本質的な聞き方、演出方法まで、マスターしてしまいます。

 シャンソン・カンツォーネ・クラシックピアノ・ダンス。

 確か、だいぶん昔に、ヒップホップのダンスコンテストでも日本人の青年が二位とりましたよね。

 クラシックのピアノコンクールなどは、良い時悪い時もありますが、平均すると、日本人のオンパレード。

 やはり、日本人の「芸術」に対する投資の効果はでてますね。

 歌舞伎に、能。浄瑠璃に、三味線。日本舞踊に、茶道に華道に香道、日本人はどんな「遊び」や「芸能」にでも、「道」=タオ、をつけてしまうんですね。

 だから深くなる。

 アメリカの得意の野球にまで、「道」をつけてしまい、世界1を二連覇してしまいましたことは記憶に残っております。

 三島由紀夫が、確か、こんなことを書いていることを記憶しております。

 「西洋では、年寄りはうとまれるから、川辺で日光浴しかやることがなくなる。だが、日本では、精神主義がいきわたっており、老人になっても、芸能の世界をはじめ、まだまだやることはある・・」

 本人自身が心配したように、経済優先主義で、最近の日本はこういう三島由紀夫の言っているような日本ではなくなりました。

 しかし。

 ジャズを聴き始めた方がアート・ペッパーにハマる、という楽しさ。全部集めた人、その大先輩のチャーリー・パーカーを知り、枝葉に、バップやメインストリームのSAX奏者へ、ジャッキー・マクリーン、ソニー・スティット、他、聴き広がっていく、という楽しい極致こそジャズですね。)

アット・ペッパーは普通ウェスト・コーストジャズの名手と言われていますが、私は彼のこころの深さはそのレッテルだけでは表せないものがあると見ております。

 56歳4ヶ月、彼は脳溢血で亡くなっております。