高橋揆一郎が北海道の出身とは知らなかった。 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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 サーバルのマスターから聞いた、「はんかくさい」の漫画を読了。

 私よりも、二つ下。刺激された。

 自分なりに盗むところはメモ。これについては、漫画創作を通じて恩返ししたい。

 ところで、なぜか、高橋揆一郎のことを連想。亡き父と同じ年なので、きになる。

 しかも。道産子。

 「はんかくさい」、彼と、何か道産子の作品の共通項があるのか。興味深くこれまたメモ。

  たった一つの「口づけ」が作品になりうる。

   かなり昔に読んだけれど。再読。なるほどお。ふむふむ。

 

 推理小説が複雑になりすぎて、フツーの構成に戻りつつある中。世界の中でも純文学というのがあるのは日本だけ。

 あの罪と罰でさへ、ミステリーとして読まれている昨今。

 今の芥川賞など、受賞してもすぐに消えてしまう。作品の中身も、村上龍が審査員だったり、今世間をおさわがせしている島田が審査員だったり。ここも金。金にならないもの、商売になるものを嗅ぎつけて作品にしているように個人的には感じる。

 美辞麗句は誰にでも言える。

 存在自体がオーラを放つそんな作家はもういない。なんとかその他の領域に少しいるかも。

 

 ただ。

 フツーの常識人は。必死で働き汗をかき帰宅したら疲れてダウンが当たり前。私もそうだった。そんな時に、見るのは、スポーツであり、歌謡曲番組であり、笑いであると思う。 

  私はパチンコはもうやらないけど。心理学者に言わせれば、ギャンブルも一種の瞑想に近いらしい。

  納得できる。

 

 

  クタクタに、体から汗をかかない学者やインテリ層が好む番組は好まれないから、これらの芥川賞新人の作家たちはほぼ人気なし。

 いくら賞を取ってもオーラを放てない消え去る人たち。

 実に「世間」は偉大だと思う。

 疲れて、ラーメン屋に入り、そこにあるギトギトした漫画雑誌を手にとって、少ない夜のリラックスタイムを漫画とともに過ごす。

 漫画が世界的に読まれている現実。ポップスの歌詞が、それぞれの人の「元気」を取り返してくれるその事実。

 

 料理に、3つ星レストランがあり、B級ランチがあるように。

 小説にも、音楽にも、漫画にも、映画にも、それがある。

 

 私も三つ星レストランの食事に憧れた時期があったけれども。今は、もうB級ランチの作品に一番興味あり。

 五木寛之が書いているように、なぜ世界にたくさんの宗教があるのか、その事実自体が神がいる証拠かも。と書いたように。

 たくさんの人たちに愛される作品は、正しいとか正しくないとかいうよりも。その時その時の疲れをとり、元気をくれるもの。

 いわば「花火」の美意識であります。

 

 三島由紀夫は、「世間」は大したものだといった意味はそのことです。

 

 

 

 

 というわけで。

 道産子作品。亡き父と同じ年齢の作品。信じられず。再読。『伸予』。高橋揆一郎。

 

  

 この作品を読むまで。

 

 高橋揆一郎が北海道の出身とは知らなかった。歌志内の生まれで、今、生きていたら96歳と少し。亡き父と同じくらいだから、びっくりする。

 

  頑張って長生きしてもらいたかったですが、2007年に没しています。『伸予』で第79回芥川賞を受賞し、作家としての地位を確立しました。道内在住の作家では初の快挙でした。

 

 やはり映画と違い、小説はディテールが描き込めますから、深く心に沁みわたりますね。昭和53年といえば、最近の若手が、ドラマ化されることを意識して最初から小説を書いている時代でもありませんし、ブログもまだまだ、ない時代ですから、49歳の主人公「伸予」のぶよが、評論家の中村光夫氏が言うように「老年の女性の恋」を書いている」というのは、今の時代から見ると、笑えます。

 

  当時はそういう空気だったんでしょうね。今や40.50代の女性の恋など当たり前な時代から見ると少し古い感じがしますが、素直に読んで楽しめました。弘兼憲史の、黄昏流星群のさきがけ、とも言えますね。

 

  1章

 台所で伸予が自宅に遊びにくる44歳の善吉のために、海苔巻きをつくるところから始まります。酒を飲んだ夜に、動脈瘤で夫が死んでから三年目のこと。伸予は当時、戦争が終わった翌々年、女教師として赴任していたがその中学校に善吉が三年生としていたのだ。その中学三年生の美少年の善吉に女教師の伸予が惚れていたという伏線あり。

 

  ウィスキーのコマーシャルでよく紬がよく似合う熟女が、恋人の帰りを待つシーンがよく放映されますがあんな女性のイメージを想像されたし。

 少年のように可愛らしく、明るく、元気な伸予。

 

  最初は、この熟女の恋というテーマに自分が感情移入できるのか少し不安がありましたが、さすがに芥川賞作家読ませます。ぐいぐいと、次はどうなるのだ、そんな緊張とユーモアでひっぱってくれます。

 

 その二人がたった一度の伸予からの口づけだけで何があったわけではないのですが、伸予はずっとその思い出をひきずってきたと言う。善吉はうなづいて、それは「繭の中にいたふたり」だっんだ、と言うあたりはイメージが鮮烈。

 

1章はそうやって何十年ぶりに海苔巻きを食べ、ウィスキーを飲みながら、伸予という女の性格描写が続き、何かを期待させるが、善吉はきちんと挨拶をして亡き旦那の話をし、雨のなか帰ってしまう。その時に伸予は、部屋の鍵を夢中で手にもたせる、「いつきてもいいのよ」その言葉が熟女の夢と期待と哀しみを誘い、上手い。

 

 2章 

 善吉に実際に自宅で会うまでの流れを書いています。

 

 夫が死んでから、伸予は海を見てぼんやりと日々をすごしていたが、次第に自分をとりもどし油絵を通信添削で習う。謡曲もやった。一番性格にあっていたと思われる呉服と貴金属の委託販売の仕事で日常に活気がもどり、化粧をしながら仏壇に向って拝む日も増えて来た。友人から教えてもらった彫金の趣味が楽しくて伸予は生き返りつつあった。

 

 

そんなある日、委託販売で招待状を出した昔の親友が遊びにきて、善吉が今どこにいて何をしているかの情報と電話番号を聴く。伸予はもう夢中で電話をする。やっと電話に出た善吉と会う約束をして、展示会場にふらりやってきた珈琲を飲む。「こんな日を待っていたのよ」「これで私にも心の支えができたわ」そんなふうに善吉と熱く語った伸予は、こんどは自宅に来てねと約束をしたのですね。それが一章の話につながる。

 

 3章

 伸予の気持ち。

 

「正直言って自分というものを他のだれでもない善吉でもう一度試してみたい」という欲望を感じている伸予。

 

海を見ながら死んだ夫のこと、善吉のことをあれこれ考える女心が描かれる。

 自分はもうひとりなのだから、何もやましいところはないのに、善吉は昔のままでいいと言ったのはなぜか、伸予は恋心を押さえながら妄想にひたる。はやる女心を理解しない善吉が憎らしくもある。

 

わたしだって昔はもてたのだ。伸予は女教師時代に自分に言いよって来た同僚の先生の男に無理やり壁におしつけられたことを空想している。陸軍の美男子の将校からも何回かの文通で「結婚してください」とお願いされたこともあったのだから、そう伸予は昔の自分に酔う。

 

 

 善吉に鍵を渡したのに、秋が過ぎ、冬が来た。

 長男夫婦がやってきて、孫の世話で大忙し。

 

 次には、正月に長女がやってきて、妊娠している長女の世話にてんてこまい。やっと長女が出産が終わりたっぷり伸予の実家で休養して東京にもどったころには若葉の芽がでたころであった。

 

 4章

 春になり、善吉から電話がくる。

 しかも、ほんとうに再会したのは夏の七月にもなった。

 

 駅の近くの海にふたりで歩いて行き、石浜に寝そべる。伸予の膝の上にあたまを置く善吉。何時間も、中学の時の思い出が蘇る。ここで、おもしろいのは、記憶というものがいかにあてにならないかということ。

 

当時、善吉のことを好きだった初江という少女がいたが、伸予がその女学生に善吉とつきあってはいけないと言ったというのだ。このあたりは、少しサスペンスがあって楽しいところですね。「昔の繭のなかにひっそり眠るきれいな思い出話」が、次第に、「なまなましい現実の顔」に変容してくるところです。

 

 母親がいなかった善吉も、美しい年上の女教師に優しくだかれ接吻されて、おかしくならないはずがない、そう善吉は笑う。

 

「不思議なものでねボクは死にたくなりました」

 

 

 伸予をはがいじめにした男教師が善吉と伸予の仲の良さを嫉妬して、よくなぐられたりしたと善吉は言った。

 

「このやろう、女まんぺえ=教師と、ちちくりやがって」

 

 善吉は謎解きをする。

 

 伸予に手紙をおくったある教師からは朝から晩までいじめられ、同級生からは女教師と付き合っているからといって総スカン。そんな目にあってk市に働きに出て、そっと故郷に一年たってもどってくると、もう貴女は結婚していた、そう善吉はいじわるそうに言う。

 

 それは違うのよ、そういう伸予も自分のために男たちが戦いを蔭で演じていたということを聞いて悪い気はしない。

 

 部屋にもどり、二人は服を脱ぐ。

 

 身体の悦びはまだもどってはこないが、必死に善吉にしがみつく伸予。

 「わたしから誘ったんじゃないわよ」伸予の声にふらつく善吉。

 

 善吉が帰った後に、どこか嬉しく伸予は善吉の若かりし写真を見ながら彫金を彫ろうと決心する。

 できればペンダントもつくってあげたい。その裏にひっそりとふたりのイニシャルを入れて善吉をびっくりさせてやりたい。妻がいるから悶着はいやだが密やかな楽しみだ。彫金をしていてほんとうに良かった、そう伸予は思う。

 

 5章

 

 善吉からの連絡は八月になってからまったく途絶える。唯一のたよりの昔の親友に長距離電話をすると、「まさかあなた」と言われた。何もしていないわ、と笑う伸予に、親友は「あなた知らなかったの」と言う。

 

 

そこで、伸予は意外な善吉のことを初めて聞くのだった。

 

 

 五年前にすでに妻と別れてかれは今独身であること。

 子供は妻がひきとって、彼は今娘ほどの若い女と同棲していること。

 会社の金を流用したかなにかの事件で首になって今はわけのわからぬ仕事をしていて、金に困っている。

 

 善吉の電話番号はもちろん紹介したのは親友であったが、大人だから、昔から憧れていた伸予の夢を少しでもかなえてあげたいという親友の気持ちであった。そんな善吉のことも自分から聞き出してさっぱりあきらめるものだ、そう親友は思ったのでしょう。

 

 展示会に行くと、同僚から「あなたその顔どうしたの」と言われる。

 善吉のことを考えすぎていたのか、ストレスからか、顔面神経痛になっていたのだ。

 もつれ=チックが頬に見える。まったく気がつかなかった。

 ときおり、チックは耳までさけているようにも見える。ショックを隠せない伸予。

 

 病院に行くが、二ヶ月は完治するまでにかかるだろうと言う。仕事もそれではできない、伸予はますます暗くなる。

 

 何か寂しくて人恋しい秋、伸予はいたるところに電話しまくる。

 

 昔の将校の記事が出ていたので、そこにも電話したが、無縁をただ感じただけの返事が返って来て電話したことを後悔する伸予。朝からいいことが何もない。

 

 

そう伸予はふと玄関先を見ると、白い封筒があり、ただ鍵がひとつ入った封筒を見つけて、

彼女はふと

「あら、そう」という。

 

 伸予は、風呂場で自分の身体をまざまざと見てみる。垂れた乳房や、鋭いのこでうがったような臍、そこから薄く垂直の線がはって、黒々とした逆三角形の陰毛に達している。腰骨が突き出ている。

 そうやって鏡の前にぼんやり立っているとまるで棺のなかに立っているようにも感じる。

 

 夢を見る。能面の夢。一組の男女がおもしろおかしく踊っている夢だ。

 

 夢からめざめて、伸予は、暗い雨の降る夜ひとりで彫金を彫り始める。その時、ガスバーナーの炎を見ながら少し目眩がして、じっとしていると、誰かに後ろざまに髪の毛をつかまれて神経痛になっている頬をひきずりあげられる。

 「こっちをむきなさい」

 

 伸予は、その時に顔面の神経痛の理由が善吉だけではないことを自覚した。

 

 「かんにんしてよぉ、もうしないから」そう伸予は泣きながら、美少年の彫金をつぶしにかかった。

 

 

 備忘録で、物語の流れを自分なりにまとめてみました。実際に小説を読むのが何倍も感銘は高いのですが、記録しておくと惚け始めた、頭でも、残りますからね。自分のために書いて、それが、たまたま読んでもらえる方に少しでも刺激になれば幸いです。

 

 最後の感想としては、49歳はまだまだ若い。この描き方は少し可哀想! 

それが実感です。

 

 

高橋氏の経験と想像力の為せるイメージでしょうが、「おんな」の本性を書ききっているとはとても、思えない。

 

 そうは言っても、ぐいぐいと最後まで読者を引っ張って行く力量はさすがですね。北海道から出た初めての芥川賞作家というのも何か嬉しいものですね。

 

 道徳的な終わり方も少し味気ないのですが、やはり伸予にその頃はわたしなどすっかり感情移入していますので、伸予が、可哀想で涙がでました。

 

 

 

 

●資料

作家・高橋揆一郎(昭和3年~平成19年)

 歌志内出身の作家(本名 高橋良雄)。

 昭和53年7月、『伸予』で第79回芥川賞を受賞し、作家としての地位を確立しました。道内在住の作家では初の快挙であり、本市でも「生粋の歌志内っ子」である芥川賞作家の誕生を大いに喜び、斉藤市長(当時)が札幌の自宅を表敬訪問。同年8月16日、歌志内で盛大に祝賀会が催されました。その席上、「生まれ育ったふるさとからは抜け出せない。わたしの本質は歌志内の風土そのものだ」と語り、その後も一貫してそれらを土台に庶民の生きざまから人間の根源的な姿を追求し続けました。

 多忙な作家活動のかたわら高橋揆一郎は、ふるさと歌志内にエールを送り続け、昭和62年には自らが会長となって札幌歌志内会を設立。平成5年に市と歌志内歴史資料収集保存会により「歌志内なくして 我が文学なし」と刻んだ文学碑が建立されています。また、歌志内市民劇団のために原作を書き下ろしたり、郷土館ゆめつむぎの名誉館長に就任するなど本市振興に積極的に関わり、それらの熱心な支援と文壇での活躍に対し、市は平成9年に名誉市民の称号を贈呈しました。

 北海道に根を下ろし、最後まで質の高い作品を発表し続けた高橋揆一郎でしたが、平成19年1月31日、肺炎のため78歳の生涯を閉じました。

 平成21年、三回忌を機に、その業績とふるさとへの思いを伝えていこうと、市民有志の手によって、その時節と名作『氷かんざし』にちなみ、命日を高橋揆一郎文学忌『氷柱忌(つららき)』と定め、以後毎年揆一郎を偲ぶ集いが行われています。