この作品は、私の大好きなアルベルト・モラヴィアの代表作です。
愛についての彼の饒舌は、日本人にはとても真似ができないほどの偏執狂的なねちっこさで、文体にも反映されいると思います。
それでも、病み付きになる文体があります
。もう手あかにまみれた「夫婦の愛」モラヴィアそして、ゴダールの「軽蔑」★なかなか今は手に入らないです★
イタリア人なので、(今このブログで書いているフランス旅記録の)フランスの作家ではありませんが、この「軽蔑」がゴダールによって映画化されています。イタリア・フランスの合作映画です。
自己主張の塊なようなフランス人であっても、男らしさやら強引な愛に女性は弱いのかもしれませんね。ロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」と同じく、ここでも、インテリの肉体的な弱さみたいなものに、モラヴィアはせまります。
そういえば、私の好きな彼のもうひとつの傑作、「夫婦の愛」でもこのテーマについて書かれています。
監督と「オデェッセイ」の話に夢中になり、妻がプロデューサーと一緒に出かけることに無頓着な作家。信頼していると言えば聞こえがいいが、女はかまってくれる男に弱いのだという真実が、この男わかっていません。
日本でもことわざ?があります。
「遠くにいる一番好きな男よりも、近くにいる二番」。
女は風船。ふらふら、男がしっかり握っていないと、どこへ飛んで行くかわかりゃあしない・・・
(もちろん女みんながそうではありませんが、モラヴィアの好きな女は皆そういうタイプなのです)
この小説がゴダールによって非常に美しく視覚化された「軽蔑」シネマ版。
フランス人の感覚が生かされてます。
敬愛する淀川長治氏は、「ゴダールは映画を壊した」と言っているとうり、彼の映画は意味のない理屈だらけのつまらないものも多いですが、視覚的な才能はたいしたものです。
そして、この映画を成功に導いたのはもちろんフランスナンバーワンの女優と言われたブリジット・バルドーです。「私は夜を憎む」という名作があって、私は中学生の頃に、母親のいない時を狙ってテレビでこの作品を隠れて見た記憶があります。
彼女が川で、裸で泳ぐシーンがあるんですね。
そのお尻の美しいこと。
その秘密の匂いに、 13歳の私は、魅了されたのでした。
それ以来、彼女のシネマはほとんど見ていますが、この「軽蔑」が一番かっこ良くて、キレイですね。
今は毛皮反対にも熱を入れているようで、彼女は日本のウノが、毛皮ブランドを出した時にも、抗議文を直接におくりつけていますし、江沢民にも、媚薬のためにサイやら虎やらが殺されていることに抗議して、手紙を贈っています。
マリリン・モンローを尊敬するたいした女優ですよ。
「ローマの女」
◎資料
この「ローマの女」はかつて売り払ってしまいました。また買うつもりです。
一九三五年、ファシスト時代のローマでのことである。貧しいアドリアーナ(ジーナ・ロロブリジーダ)はモデル女としてアトリエに通ううち、金持のお抱え運転手ジーノ(フランコ・ファブリッツィ)と恋に陥った。ある日曜日、モデル友達のジゼラ(セニア・ヴァルデーリ)にドライブを誘われたアドリアーナが、内務省の大物アスタリータ(レイモン・ペルグラン)に体を許したのは、酒に前後を忘れたからだった。彼女は数日後、アスタリータからジーノには妻子があると聞かされた。絶望したアドリアーナはそれ以来、男から男へ、行きあたりばったりの愛情に生きる女になった。そのうち、ミーノ(ダニエル・ジェラン)と知り合ったが、彼は今迄に会ったどの男ともちがっていた。一方ジーノの友人で宝石商殺しの犯人だと自称するソンゾーニョは、ミラノへ逃げて世帯を持とうといい寄るが、彼女は相手にしなかった。ある日、思いがけなくミーノが現れて、反政府用のビラの包みを預けにきた。彼は政治運動をやっていた。警察の手を逃れた二人はアドリアーナの田舎で一緒に楽しい日を送った。アドリアーナは生れて初めて味わった幸福の日々であった。やがて、ローマに帰った彼女は、ミーノが警察につかまったことを知って、アスタリータにミーノの釈放を願うが、帰ってきたミーノは別人のように変っていた。同志を裏切って、アスタリータの訊問にすべてを告白したというのだ。その調書さえなければミーノの心の傷が癒えると考たアドリアーナは、アスタリータを電話で呼び、ミーノを心から愛していること、そしてやがてミーノの子供が生まれることを打明けた。だが、事務所に帰る途中、アスタリータはソンゾーニョに襲われて殺された。その騒ぎの中にミーノは失踪した。幾日か過ぎてアドリアーナはミーノから遺書を受取った。同志を裏切った自責からミーノは死を選んだのである。死体公示所に出頭したアドリアーナはミーノの遺骸にすがって泣き崩れるのだった。家に帰る道すがら、彼女は生れて来る子供のことを考えた。そして、もし男の子であったらミーノという名をつけ、もし女の子であったなら、自分に恵まれなかった幸福な生涯を送るようにレティツィア(歓び)と名づけようと決心した。...