その人の名は星一(ほし・はじめ)、「ショート・ショート」と呼ばれる掌編小説のジャンルを確立した作家、星新一氏の実父である。彼は若き日に渡米、苦学してコロンビア大学を卒業し、明治38年に31歳で帰国して製薬会社や薬科大学を創設。一方で後藤新平と親しかったため、後藤の政敵から仕組まれたさまざまな妨害と戦いながら、激動の時代を果敢に生き抜いた快男児である。
その彼が後藤から、第一次世界大戦に敗北したドイツの科学界が実験用のモルモット一匹を買う金にも難儀しているとの話を聞く。この時である。星はこれまでドイツ科学界から日本が受けた恩恵に報いようと、自分が援助する旨を申し出る。金額は200万マルク、この破格の支援金は横浜正金銀行を通じてドイツに送金された。
ドイツでは星の援助を有効に活用すべく、「日本委員会(星委員会)」を設立、委員長にフリッツ・ハーバー、委員にはマックス・プランクなど錚々(そうそう)たるノーベル賞受賞者が就任。かくて、風前の灯(ともしび)だったドイツ科学界は再建される。当時、世界から冷淡視されていたドイツの学者たちが東方の国からの格別の援助に感極まった様子が目に浮かぶ。
大正11年のこと、星はドイツ政府から招待を受ける。エーベルト大統領は晩餐(ばんさん)に招いて記念品を贈った。さらには星に名誉市民権を与えて謝意を表した。まさに国賓(こくひん)に準ずる待遇を受けたが、個人的な見返りは断っている。
星はさらなる援助の必要を感じ、インフレに影響されない邦貨で以後3年間にわたって追加支援した。以上、その推計総額は現在の邦貨で20億円を超える。
世界の進運に寄与する学問がいかに貴いものか。その学問の危機を国境を超えて救った日本人がいたことは、わが国の誇りとして後世に伝えたいものである。(中村学園大学教授 占部賢志)星新一ちょっと長めのショートショート〈8〉長生き競争 (星新一ちょっと長めのショートショート .../理論社
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