日本人は足のひっぱりすぎ          |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
至高体験の刻を大切に
絵のある生活 を 広めたいです !!!

エル特急でもけっこう揺れますね、新幹線と比較すると格段に揺れます。これは、マックで文章を練っていると目が疲れます。ただ、目をつぶったり、目のこりこりを解きほぐしながらのんびり、書くつもりなので、こんな時間もネット検索したり、メールしたり、音楽聞いたりできる時代というのはすごい時代になったもんだとあらためて、emobileのトップの方に感謝したいと思います。

だいたい、私は運が良かったのは、昭和29年生まれというのは、団塊の世代にも属さず、私の次の世代つまり新人類と言われた世代のど真ん中に位置することから、谷間の世代なんていう中途半端なネーミングがされたこともありましたが、要は、自然に生きていたらなんにもないポカーンとした無気力・無関心・無感動の人間になったかもしれませんネ。

人にもまれてきて、そんな職業で、良かったとあらためて思います。

思えば、学生時代自律神経失調で、生あくび、不眠、目眩、視線恐怖、対人恐怖、心臓不安まで、さまざまなこころの病気を経験して、それを克服するために今の仕事についたようなものですから。

営業の仕事は辛いですが、やりがいは、やはりありますよネ。

最初は嫌いなこのエイギョウという仕事も言葉も、先輩にもまれ、一番はお客様からいろいろ教えられました。

自分以外は皆先生だと、そんなことまで、教えてもらいました。

気がついたら、こころの病気はすべて治っておりました。というよりも、そんなふうに、「自分にかかずりあっている」暇がありませんでしたから。

そして、なんとなく、わかったような気がしました。

「自分探し」なんて、ありませんね。何かを一所懸命にやっていると「自分」が出てくるだけで、気持ちよく生きるためには、「出過ぎた自我」はむしろ邪魔なぐらいです。

今の若い人もそれでけっこう苦しんでますね。
親から大切にされ、一人っ子で、みんな、テレビやマスコミの言葉に踊らされて、会社に入ってきますからネ。

私たちの時代ならば、まずは、先輩が「頭かちわって、いちからやり直せ」と厳しく叱ってくれた先輩はどこにもひとりやふたりいました。その人たちは、ただきびしいだけで、どこかに尊敬できるところがあるだろうかと探してみましたが、何も見つからないんですネ。

でも、その人たちがいるから、みんな、学生時代の気分をかちわって、理屈ではなくて、行動なんだなということを身体でわあーと知ってくることができたのでしょうネ。

要は、自分が地球の中心で「世界はわたしのために」という妄想から抜け出ることが、大人への第一歩なのかもしれません。

子供の時の素晴らしさを、昔のヨーロッパの人達は、「黄金時代」と呼んでいました。渋沢竜彦の名著「黄金時代」を19歳の時に熱心に読んだ私はその意味を理解できないで、日々、jazz喫茶やら読書三昧の日々をおくり、「自分とは何か」とか「自己の確立」とか、そんなこむずかしいことを頭いっぱいにして、缶ピースをふかしていたものです。

なんで子供の時が「黄金時代」なんだ、子供なんか欲しくもないな、そんなふうに私は突っ張って生きていましたから。

でも、社会に入って、涙が自分の失敗やら成功の時に、出てくることを初めて知って感動したのが、36歳の時でした。

この時までは、私は社会をなめきっていて、「俺が」「俺が」と、自我の塊のごとく夢中で仕事を朝の七時から真夜中の一時ほどまで、やっておりました。狂人のごとく、でしたね。

それはそれで、今から振り返れば懐かしき思いでですが、冷や汗の出るような人間関係のおつきあいもありました。

人は不思議な存在で、あの三島由紀夫でさへ、あの孤高の仕事を「恥ずかしい」とまで書いております。作家というものは、皆が思っているような素晴らしい人間ではないとまで。

もちろん、へりくだって、書いているのではありましょうが、あの最後の自決は、壮絶でしたし、三島さんの最後の別れの歌---一句は、文人として死ぬのではなくて武士として死にたいとも書いております。

またまた、筆が飛んでしまいました。

社会のブラッド&スェット&ティアズ を経験すると、「黄金時代」つまり子供の時が一番幸福だったことを実感します。特に、家庭を持って、子供ができると、皆悟るのですね。親の苦労も理解できます。

ただ、古代ギリシャでは、「お父さんを知っている子供は偉い」ということわざがあるらしく、一度調べたのですが、手元に辞書がないので確認のしようがありませんが、まちがいなくありました。

私の想像力で書きますと、一夫一妻制などというのは、ここ100年ほどの制度ですから、太古はその諺のごとく、親父はいろいろなところに女を作り、子供を生ませると離れていくわけです。

ですので、母親の行動を見ながら、そして、自分の性格、顔つき、体型、そんなものを分析しながら、あたりの村の大勢の男達の中から自分の親父を見つけた子供は偉いということなのでしょうネ。

「子供の国日本」は今こそ「大人の国日本」に脱皮する時期なのか、それとも、
「子供の国日本」の世界に魁けての壮大なる実験をこのまま維持して世界の人々から認められる道をいくのか、そんな大問題はとうてい私の想像を超えております。

願わくば、庶民は庶民らしく、エリートはエリートらしく、お互いに必須の存在ということを忘れずにいかれんことを。

日本人は足の引っ張り過ぎ。