神様はよくまあ、男と女と、上手につくられたものだと感心します。
以前男性しかいない星と、女性しかいない星があり、そこでのふたりの男女が宇宙のかなたに、神秘の力で、惹かれあい最後には宇宙の果てでランデブーするという物語を考えたことがありましたが、異性に対する神秘や惹かれる気持ちがなければこの世はつまらない。
むかしは、男の子は女の子を大事にしなさいと、いろいろな本や人から教えられたし、事実、デートの時には自分の一番大事なビデオカメラまで質屋にいれては、5000円ほどの金を借りて、おごってたりした学生時代。
あの八ミリビデオカメラ、最後には、流してしまったなあ。笑えます。
当時で14万ほどしたんですよ。35年前です、すごい高かった記憶があります。
女性もあの時代は、皆、もともとのお喋りな資質や気質を上手に隠しておりましたし、化粧もしている人は学生では少なかったような気がしております。
大学のキャンパスには、それぞれのファッションに身を包む女子学生が英文科を中心に闊歩しているのは、今とかわりませんが、へそだしやら、鼻輪やら、とーてんぽーるやら、くわえタバコで歩く女子大学生はさすがにいませんでしたよ。
流行は、長い腰まである黒髪にウォッシュトーンのジーンズ、白のタートルネックで胸をさりげなく強調しながら、ジャズ喫茶で原書よんでおりました。
そんな女性は素敵でしたネ。そんな女性に手料理なんか作ってもらいたいなあ、そのためには自分が金かせいでしっかりした自己を形成しないといけないとばかり、受講にも熱がはいりました。
人には十字架のような友達関係があったらいいですと、言われますね。十字架には4つの角がありますね。
その角にひとりと考える。
ひとりは、あこがれ、あんなふうになれればなあという人。
ひとりは、引越しのときに手伝いに参上してくれるような義理堅い友。
ひとりは、同性の自分の座標軸になり、気楽にはなせる友。
ひとりは、異性のおたがいの性に尊敬の気持ちを持ち、所帯をお互いに持ったあとでも、話せる友。
私は、親友とは何かと学生時代によく悩みました。
今みたいに、携帯もなければ、ネットもありません。家に帰れば、ただひとり、下宿で孤独をかみしめながら本しか楽しみがありませんでしたから。
以前、留守番電話がはやったころ、家に帰って留守録のスイッチを入れて誰からも電話の録音がないと孤独でやりきれなかった、という女性の話を印象深く聞いたことがある。
人は、どこかで、誰かにつながっていたいという本能的な孤独感を皆もっているということだろう。
ただ、人は生活があり、時とともに場所とともに人は流れる心も流れる。
友もその時その場所で初めてであった人とともに移れ変わればいいと今は思っております。
不易と流行。
ただそんななかで、さきほどの十字架の友人が四人ほどできれば、人は一時的にでも孤独から救われほのぼのとした幸福感のある時間をおくることができるでしょう。
そんなふうに思います。
そして、女性にはいつまでもいつまでも、抑える美学をもってもらいたいですね。
なぜならば、全部出してしまったり見せてしまったらそこでおしまいなんですよ。
少しずつ出してゆくところに私は知恵があり長続きする愛の秘訣があるのではと最近とみに思います。
これは私の失敗と挫折と涙からでてきた小さな結論でございます。