おんなとは不思議な生き物である。
ネズミの実験があり、オスネズミは足に傷をつけてほおっておくと、その傷にまいた包帯をとろうとして
必死になりへとへとになり食欲を失うのに比較して、メスネズミは包帯に最初は気をとられているが気がつくともう包帯などはほうったらかしにしてがんがん、餌に食らいつく。
これは渡辺淳一が札幌で医者のときの実体験なのでリアルな説得力がある。
私の男友達など、失恋してもう髪はぼさぼさ、髭はのびほうだい、こじきのような格好になっていく。
それと比較して女性は失恋の後遺症はほとんど残らないような気もする。
ところが不思議なのは、異性としての彼氏ではなくて、家族としての旦那を若き日に亡くすとか、自分の子供を事故により失うときは女性もまた、魂のぬけがらのようになり、さきほどのネズミの実験とはやはり人は違うなと思う。
つまりこういうことかな。
女性は男性と比較すると固体としての区別よりも、ほんやりとした群れの中で無意識に生きている傾向があり、異性の喪失にはほかの群れの友人やら親戚やら家族が入ればなんとか立ち直りがはやいのかもしれない。
しかしながら、その女性も群れの中の一員を亡くすと、自分が亡くなったようにその喪失感がやはり襲ってきて魂の抜け殻状態にもなるのかもしれない。
男性は、一個人としては群れない傾向にあり孤独感が強いはず。
その孤独を一時的にでも救ってくれた異性に対してはそれ相応の思い入れが強いと思うので、喪失感が
どばーとでるのかもしれない。
もちろん、ひとそれぞれであるので、イッパひとからげにはできないことではあるが、男と女、その間には間違いなく不思議な溝があるのである。
こんなことも考える。
蒸気機関を発明したワットは、小さなときに母親の危篤のときに、馬が足が遅いのでその死に目に会えなかったそうだ。
その悲しみから馬よりも早い車を発明したと書かれてある。
野口英世、指がすべて、くっついたままこの世に生まれてきた。あら、一部だったかな。
昨日の新聞で中国で16本指の足を持つ子供の写真を見たが、この小さなころからのコンプレックスを胸に
野口はいつか医者になり母親に恩返しをしたいと、誓ったという。
男の子の母親に対する愛情はかように、高度に結晶する可能性は高い。
それなのに今の時代は、マザコンだとか軽くてバカなレッテルを何も考えずに自分の旦那に貼り付けるあほな女性妻が増えているときく。
もともと男は馬鹿なのだ、これはもう間違いない。
だからこそ、そのバカな自分に対して愛をくれる母親・女性・その他の恩人に
男の子は異常なる興味を持つのであり、それががんばりのモチベーションにもなっていくことも多い。
今は学校でも偉人の自伝などを馬鹿にする風潮があるらしいが、日本の学校は遅れている。
サクセスストーリーほど男の子を勇気付けるものはないのに。
私は小さなころにディズニーの自伝を読んで漫画家になりたくなって、それが自分の唯一のがんばりのモチベーションだった記憶がある。
受験勉強などは強いモチベーションにはならないものだ。