自閉からの脱出 |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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自閉症と 宇宙


2005年の12月ごろの話。
自閉症の男の子が、グリム童話賞を二回連続で受賞したというのは、誰もが知っていることであるが、
その特集をみて、本人のすごさもさることながら、母親のヘレンケラーの先生であったサリバン先生並みの
愛情と工夫と情熱には頭がさがり涙さへ出た。

これらを見て考えるに、僕らはこの世界にほんとうの意味で「生み出されている」のだなあと感じた。

そのシステムと遺伝子のからくり、それらはすばらしい巧妙さを持っていることにあらためて感動する。

そして、特殊学級ではなくて自分自身が一緒になって、普通の学校に子供を行かせ、一緒に勉強し、サリバン先生が手で会話したような、キーボード手話みたいな新しいコミュニケーションのノウハウまで開発し、勉強道具はすべて手作りで、彼は精神だけはこの世に生まれでてくることになったのだ。

そして、自由に脳の中だけでこの世に存在しているかのような彼は、こう言った。

「言葉で言おうとすることが動作にならないんだ・・・」と。   

言葉と動作のリンク.つながり、まるでこのことは、言葉が脳の指示であり、無意識の意識であり、そして動作はこの世の現実に合わせて生きていくということになるだろう。

しかし、我々だって、酔うと、言葉と考えたことが、動作になかなかむすびつかず、暴れてしまうことはよく経験するだろう・・・10歳の彼はそんな状態なのだろう、そして脳という宇宙のなかに彼は閉じ込められている、まさにその意味では、「自閉」というよりも「閉鎖」性なのかもしれない。


うーん。むずかしいですね。

まあ、瞳の水晶体だって、なぜあのように細胞が変化するのかいまだにわかってはいないらしいですが。


以前、脳からある物質が出て、言葉になるのは、膀胱から尿がでるシステムと同じであるみたいな、考えかた、唯物論的な考え方がはやつたが、私は断固反対です。


小林秀雄が言うように、「自然はひとつですむことを二回なぞるような複雑なことはしない」

生きるということは必死な行為なのであるから、「なぞり」はなし、という。
これはすごい言葉だと今でも記憶しているのだ。


集中、意識、覚醒、記憶、外界からの刺激、そんなものの「総合」が、私たちを外から包み込み、プレスして、「存在」を強めているのだ。

それらが、なくなれば、私たちは、当然「恍惚」に近づいていく。

私の手だって、重力が「この手のかたち」に、外からプレスしているのだから。
存在だって、何かによって、「存在」させられている。そう考えたっていいじゃあないか。


ということで、毎日、まんきつで思索。