「こころはころころかわるから、こころ」   huruhon |   心のサプリ (絵のある生活) 

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画家KIYOTOの病的記録・備忘録ブログ
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エレンベルガーの「創造的病」creative illness という言葉はもはや有名であるが、有名であるからといって、それが真に理解されているとは限らない。

人生を半分にきって、前半が、西洋的な意味あいにおいて自我を確率して、結婚をし、子育てをし、社会的な地位を得るのだとすると、人生ののこりの半分つまり、40代以後の人生においては、人は、「死について考え、自分はどこから来てどこへ行こうとするのか、を考えるようになる」らしい。

我々凡人は確かに、ユングやフロイトや夏目漱石のように、40代以後に重大なる病気をしつまり「創造的病」を経験し、その後に偉大な仕事をなしとげることはないかもしれない。

しかしながら人生とはひとりひとりの創作作品である。

普通の人であっても、真に、人生という「作品」を完成させるためにも、中年以後、特に40.50.60代にひとつの大きな山を乗り越えることがあるのかもしれないのだ。

春と夏、秋と冬、季節が順番にくるのだと考えるのは若者である。

我々50代の人間にとっては、春の中にも冬はこもっているし、秋の中にも夏があり、ひょっとすると夏の中にも、春夏秋冬がめぐりめぐることを知っている。

そして、厳しい冬の中にこそ真の春があるのだということも、理解できるような人になりたいと思う。

体が若くなんでもばりばりと仕事をこなす時はそれなりに仕事ができた人でも、ひとたび、課長だ部長だとなれば、またまったく違う次元の悩みを抱えることになる。

女性も、若くてきれいで他人からちやほやされた人ほど、第二の人生の山場で、ひどい苦労を背負うのである。他人に対する気配りもしないで年をとってしまい、だんなや友人からも相手にされなくなってはじめて自分の適応のまずさに気ずく。
もちろん人生なんていつからでもやりなおせるが。

昔ならば、三島が47歳で自決し、安吾が50歳で脳溢血で亡くなり、人生50年と安吾が記したように人は一所懸命にはたらき50歳でぽくっと死ねたのだ。

ところが、今や、現代の日本においては医学や精神医学や環境面で、圧倒的な研究がすすみ、世界で一番の寿命国になってしまう。

年金ももらえずに、年だけとるという悲惨も生まれる。
「長生きなんかしたくない」そういっていた人々が、環境に適応できずに、今や、「死にたくない」と祈っているのだから。

人のこころはころころかわるから、「こ・こ・ろ」と言うのだという説を聞いたことがある。

第二の人生が私を待っている。
私は好きなことをやってこの山を乗り切りたい。
そういう意味では、この精神の山登りは「青春のお祭り」とも言える。

河合隼雄さんが指摘したように、今の日本の現代人は、50歳まで頑張れば死ぬことができた「簡単な」人生から、まだまだ死ねない「複雑な」第二の青春・第二の人生を生きるのである。

生きる以上は楽しく生きたい。
こころのしなやかさと忍耐心をもってユーモラスに笑いながら生きて行きたいものだ。

河合さんの「中年クライシス」を読んでいて、ふと、「異人たちの夏」を思い出し、「惑星ソラリス」を思い出し、aabeさんの「鬼郷」を思い出した。
過去に黄金はたしかにある。その黄金の想いでを大切にしながら、前にすすんで現代に適応していきたいもんだ。