老舗のゲームメーカー、SEGA(セガ)がアミューズメント施設(いわゆるゲームセンター)の運営から
撤退するというニュースを聞きましてね、豊橋市飯村町にあるセガワールド飯村にやってきました。
実のところ、ここでそんなに遊んだ経験はないのですが、
同じ敷地にブックオフが併設されているので、西岩田に住んでいた頃はよく伺ったものです(ブックオフへ)。
このセガワールド飯村がオープンする頃には、すでに藤沢町にセガワールド豊橋がオープンしており、
どうしてこんな辺鄙なところに作ったんだ?と思いました。
しかし、藤沢のセガワールドが、タイトーステーションとして母体を変えても、
周辺のゲームセンターが次々と消えてもなお、ここは健在。
よほど重要なお店なんだろうと思います。
しかし、セガがアミューズメント施設の運営から撤退&譲渡となると、
話は別で、ここからSEGAの名前が消えるのはもちろん、
そもそも施設がなくなるのも時間の問題かと思っています。
学生の時に、アルバイトを申し込んだこともありました(断られましたけど)が、
やはり淋しさを禁じ得ません。
そんなセガは、かつては任天堂と正面切って戦えるだけのポテンシャルがありました。
ゲームの王国としても紹介されたこともありましたね。でも、今のセガは見るも無惨です。
その一番の要因は、『夢が描ける経営者がいなくなった』ことなんじゃないかと思います。
セガが大きく飛躍した要因は、大川功&中山隼雄コンビによるものでしょう。
特に大川功さんはものすごい経営者だと思います。あまり多く取り上げられないので残念で仕方がないのですが。
いち早くコンピューターというものに目をつけ、パンチカードだった時代から、
企業のコンピューター業務のアウトソーシングを請け負う会社を立ち上げました。
それが、“コンピューター・サービス・カブシキガイシャ”すなわち、『CSK』です。
そんな大川さんは、なぜセガに注目したかというと、
CSKはB to Bが主体なので、一般消費者の動向がつかみにくい。
そこで、セガを通じて、B to Cを展開することで、それをつかみ、CSKの事業に生かしていくというものでした。
そして、大川さんには「夢」があった。
いろいろな言われ方をされたかもしれないけど、それがあったが故にいろいろな人が大川さんについてきた。
だから、CSKもセガも頑張れたし、大きくなったんだと思う。
ところが、大川さんの死後、CSKの後を受け継いだ福園さん(大川さんの鞄持ちから社長になった)は、
早々にセガを切り、大川さんが反対していた不動産に手を出した。
彼に夢はあったのだろうか。それとも、それがないが故に功を焦ったのだろうか。
結果、CSKは不動産で巨額の損失を出し、独立系を旗印にコンピューター・サービスを展開していたが、
住友商事に買われてしまった。大川さんは何を思っただろう。
そして、セガも大川さんという大人物を失ってからは、
迷走を続け、かつてのクリエイターは次々とセガを去った。
かつてのCPも、当時の輝きはもう失われたように思う(サクラ大戦が爆死したように)。
というか、ワクワクするようなゲームがないんだよね。
まだどこかで、セガならやってくれると思ったりもするのですが。
ただ、ここで共通することは、会社を維持することに一生懸命で、
かつてのような冒険をしなくなったことだと思います。
もちろん、社員全員を路頭に迷わせることになるかもしれないから、
博打みたいなことはできませんでしょうが、
それでも納得させることができるほどの夢・ビジョンを描ければどうでしょう。
今の経営者にはそれが欠けているのではないでしょうか。
特に今の日本の経営者は、いずれも同じような失敗を繰り広げているように思えます。
特に、二代目、三代目社長は・・・。




