今朝も、地元の氏神様『小池神社』よりおはようございます。
久々に何もない一日を過ごせそうなのですが、そういうときに限って
『休み方が分からない!』
『何をしたら良いのか分からない!!』わけで、
少々困惑しております。
っていうか、何もせずにいても良いのだろうか・・・。
という不安が何故か湧いてくるんですよねぇ。
こりゃ、完全に病気かな。
さて、この小池神社ですが、
ひとつ自慢がございます(といっても、私は関わってませんが)。
この注連縄(しめなわ)です。
地域の神社にしては、そこそこ大きい注連縄だと思います。
秋には手筒花火を奉納してくれる小池青年団の方々が、
毎年新しいモノをこしらえては、社に奉納してくれているのです。
年末が近づくと、境内には材料である稲藁が干してある光景や、
乾燥した稲藁を整える作業をよく見かけます。
話はそれますが、月に1~2回、
氏子衆が神社の清掃活動も行ってくれてます。
神社が常に清潔に保てるのも、彼らのおかげですね。
そんな注連縄ですが、本殿に掲げられているものだけではなく、
手水場にある4体の力士像に掲げてあるモノや、
祓戸大神に掲げてあるモノ、境内のご神木に巻いてあるモノも
毎年交換されているのだと思います。
こうして、新しい注連縄を掲げることで
また新たな気持ちで新年を迎えるというわけですな。
ただ、個人的にちょっと気になっているというか、
残念というのがありましてね。
この鳥居に掲げられている注連縄はそうではないんですね。
よーくみると、合成繊維でできてます。
近年、材料の不足や、作り手の不足により、合成繊維の注連縄が増えているようです。
稲藁に比べて寿命もながいですからね。
とあるサイトでは、10年保証、15年保証と謳っているそうです。
そういえば、毎年初詣に伺う五社稲荷は、
本殿に掲げてあるものですら合成繊維の注連縄でした。
それはそれで、注連縄としての役割を果たす・・・・・・・・・・・・のか?
つまり、注連縄の材料として稲藁が使われているのは何故か?
ということを考えると、ちょっとそれは違うのではないかと思います。
「 神道としては、米を収穫したあとの藁ではなく、
出穂前の青々とした稲を乾燥させたものが本来の姿である。 」(Wikipedia『注連縄』より)
だから、本当ならばそうでありたいと思うけれども、
やはり前述の理由ありましょう、カタチだけでもそれに寄り添う
みたいな感じになってしまっているのかなと思います。
小池神社の創建は、ちょっと忘れましたが、この鳥居は大正15年(1926年)4月から建っているみたいです。
5年後、それからまた100年後、この注連縄を含めて、変わらない姿を見せて欲しいなと思ってます。