歴史とは年代記のくわしきものにて万国古今の有様を詮索する物なり | パソコン修理の『ゆーもあねっと』®

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常に全力でバカをやり社会にとって唯一無二の存在になる。

と、のたまったのはあの『福沢諭吉』さん。

名著『学問のすゝめ』の一文です。

 

学問のすゝめといえば、

『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』で有名ですが、

この先、なんと述べているのか知っている人は少ないのではないでしょうか。

そして、それこそが『学問のすゝめ』なのです。

 

そこを詳しく述べるのは、また別の日にして(ひょっとして過去のブログで述べているかも)、

今日の本題は、“歴史を学ぶ意味”です。

 

ただいま、市内の中学校では定期テストの真っ最中ですが、

歴史の問題の取り扱いの雑な事。

 

ひどいものになると、一問一答問題かつ、クイズになっていたり、

教師の自己満足じゃないか、と疑われるような問題が出題されています。

 

私は、歴史を学ぶ事が好きで、

大学の時は日本近代史(昭和戦前期、石原莞爾の研究)で卒論論文を書きました。

今でも、当時使っていた資料は手元に置いてあります。

石原莞爾全集とか、自費で買いましたからね。下手な図書館より資料はそろってますよ(笑)

いずれ、時間が取れたら、また研究してみようと思って。

 

では、何故そんなに歴史が好きなのかというと、

別に歴史にロマンを感じているのではなくて、

福沢諭吉さんが言うように『万国古今の有様を詮索』することによって、

今、私達ができることは何か、そして何をしてはいけないのか、を考える事ができます。

その上で、未来を予測する事はできないけど、

少なくとも、こうなるんじゃないかと推測する事はできます。

 

ここからは、私の意見なんですがね、

今の日本の状況と、明治維新から第二次世界大戦までとよく似ていると思うんですよ。

ただイチバン違うのは、今の日本には軍隊がないだけで。

 

明治維新以降の日本は、欧米列強と肩を並べる強国をならんと奮闘したわけです。

なぜなら、お隣の清国(中国)が、旧態依然とした体制のままでいようとしたら、

アヘン戦争をきっかけに、欧米列強の食い物にされてしまったわけで。

日本の志士達は、それを知っていたからこそ、

このままでは日本も清国と同じようにされると危機感を持ち、

明治維新を成し遂げたのです。多少強引なところはあったかもしれませんが。

 

その卒業試験が、日露戦争。

第一次世界大戦では、欧米列強と並んでベルサイユ会議に参加する事ができました。

しかし、その後世界恐慌を経て、その経済状況と混乱した国内を打開すべく、

戦争に突き進んでしまったと・・・。

 

んじゃ、今は?というと、

 

戦後、焼け野原から日本は復興しました。

そこは、かつての明治維新記の日本のようですよ。

安全保障をアメリカに依存したおかげで、日本は経済復興に集中する事ができ、

気がつけば、世界第2位の経済大国にまで成長しました。

そしてバブル景気。大正期、第一次世界大戦でぼろ儲けしたかのように、

アホみたいにに儲かってしょうがなかった時代ですよ。

 

しかし、バブルがはじけます。

 

なんだろうな、日本人って、何かを目標としてシャカリキに頑張っているときは、

ものすごい力強さを発揮するのですが、それが達成してしまうと、急に腑抜けになってしまうような。

つまり、王者としての立ち振る舞いができない(苦手)っていうのかな。

 

景気は後退、世界恐慌までひどいとは言いませんが、

似たような感じじゃないですか。

そして、政界は55年体制の崩壊で、混乱期ですよ。

確かに、あのとき成立した細川連立政権に国民は期待したかもしれません。

でも結局、連立政権内の政争に終始して、バブル崩壊後の景気対策に十分対応できなかった。

結果的に、『失われた10年』とか『20年』とか言われてるワケです。

 

そして、戦前期の日本も、世界恐慌に端を発した昭和恐慌で国内はあえいでいたにもかかわらず、、

政界はそれに対して、有効な手段を打ち出す事ができず、政争に明け暮れていたわけです。

人々が政治を信じられなくなった・・・、そこで登場するのが軍部というワケですな。

人々が軍人さんにどうしてそこまで信頼を寄せていたのかは、また別の機会に話すとして、

結局、そこから日本は戦争の道へ歩んでいくわけですわ。

 

今だってそうじゃないですか。

投票率の低さとか、支持政党がないと答えてしまう国民の多さ。

自民党はイヤだけど、野党は政争(倒閣運動)に明け暮れ、与党の揚げ足取りばかりで、政策論争をしてくれない。

かといって、それらに代わるものもない・・・。

 

よー似てますわ。

これで、軍隊があったら、ひょっとしたらクーデターのひとつも起きて不思議ではないと思いますよ。

かつて三島由紀夫がやらかそうとしましたが。

 

んで、こういう風に思索ができるのも歴史を学んだからです。

古を学ぶ事によって、自分の糧とするわけですよ。

これが歴史を学ぶ意味だと思うんですがね、

学校の先生はどうもそう思ってないらしくて、とりあえず覚えろみたいなね。

 

何年に何が起きたかなんてどうでも良いんですよ。

どうして、そんな事になったのか、そしてその結果どうなったか

を勉強するのが大事なわけで。

 

その結果が、次の出来事の原因となり、そしてまた・・・

歴史は全てつながってるんです。一問一答なんてありえません。

 

『時間は螺旋の階段』と歌ったのは武田鉄矢さん。

まさしく、その通りだと思います。