今回はモーツァルトの有名なピアノ協奏曲《戴冠式》を、フンメル編曲版のピアノパートでプログラミングしてみました。
オーケストラはモーツァルトのオリジナルを使用していますが、独奏ピアノはフンメルによる改変版です。これがとても面白い!
Mozart(arr. Hummel) / Piano Concerto No.26 in D, K.537 "Coronation"
VIDEO
Programed by Hummel Note
Daw&Sequencer : Dorico 5
Sounds : Note Performer 5, GARRITAN PERSONAL ORCHESTRA(Piano),
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使用パート(楽譜)と構成
原曲と管弦楽パートはモーツァルトのオリジナルスコアを使用した。
ピアノパートはJ.N.フンメル編曲版「モーツァルトのピアノ協奏曲第26番の四重奏曲編曲版,S.142」(1835年)のピアノパートを使用。
第1楽章 カデンツァ:フンメル「モーツァルトのピアノ協奏曲7曲へのカデンツァ集,Op.4(Op.46a)」より
第2楽章 アインガング:フンメル「モーツァルトのピアノ協奏曲第26番の四重奏曲編曲,S.142」より
第3楽章 第1アインガング: フンメル「モーツァルトのピアノ協奏曲第26番の四重奏曲編曲,S.142」より
第3楽章 第2アインガング:フンメル「モーツァルトのピアノ協奏曲7曲へのカデンツァ集,Op.4(Op.46a)」より
フンメル版ピアノパートの特徴
まず大きな違いは、モーツァルトが想定した 5 オクターブのフォルテピアノ から、フンメルの時代の 7 オクターブに拡張されたピアノ に合わせて音域が広げられていることです。よりモダンな響きで、迫力と華やかさが増しています。
また、フンメルはモーツァルトの弟子でもあったため、同時代の後輩演奏家たちがどのように弾いていたかを私たちに伝えてくれるような編曲になっています。
特にこの《戴冠式》の場合、モーツァルトの自筆譜は省略だらけで、即興的に弾くことを前提にしていたと考えられます。フンメルはそれらの空白を埋めるように補筆し、演奏可能な形に整えているのです。
左手がない!? モーツァルト自筆譜の不思議
《戴冠式》の自筆譜は、左手が和音記号しか書かれていない 箇所が多数あります。そのまま弾くと右手だけの演奏になってしまう部分があり、特に第 3 楽章は右手の名人芸的パッセージばかり。
フンメルはここを、両手を駆使したヴィルトゥオーゾ的なパッセージ に置き換えています。さらに第 2 楽章に至っては、ほぼ空欄だった伴奏をしっかり補筆。結果、全体としてより完成度の高い「協奏曲」として聴けるようになっています。
※第2楽章の中間部冒頭のピアノソロの左手は省略されれていましたがフンメルは補筆しています
当時は、譜面に書かれていない装飾や即興的なパッセージを演奏家が自然に加えていましたが、フンメルはそれを譜面化した形。スケールやアルペッジョを駆使し、より華やかで技巧的なピアノパートに仕上げています。
もう一人の補筆者:アンドレ版
ちなみに今日よく演奏される「戴冠式」の楽譜は、 1794 年にヨハン・アンドレ社が出版した初版を基にしています。ここでは自筆譜の空欄を簡易的に埋めており、音楽学者アインシュタインは「単純で無難だが、ときに不器用」と評しました。それでも基準版のひとつとして定着しています。
フンメル版はこれとは異なり、ピアニスティックで生き生きとした補筆が魅力です。
フンメルとモーツァルト協奏曲の編曲
フンメルはモーツァルトの協奏曲を 7 曲も室内楽版に編曲しています。編成は フルート+ヴァイオリン+チェロ+ピアノ 。 1820 年代後半から 30 年代初頭にかけて出版されました。
K.466 (第 20 番/ 1827 )カデンツァ付き
K.503 (第 25 番/ 1828 )カデンツァ付き
K.316a (第 10 番/ 1829 ) 2 台ピアノ版をソロ用に改変
K.491 (第 24 番/ 1830 )カデンツァ付き
K.537 (第 26 番「戴冠式」/ 1835 )第 2 ・ 3 楽章に Eingange
K.482 (第 22 番/ 1836 )カデンツァ付き
K.456 (第 18 番/ 1830 )
このほかにもハイドン、ベートーヴェンらの序曲などを同じ編成に編曲しましたが、やはり一番価値あるのはモーツァルト協奏曲の編曲と充実したピアノパートでしょう。
カデンツァの問題
今回の《戴冠式》について、フンメルは第 1 楽章のカデンツァを書いていません。その代わり、第 2 ・ 3 楽章に Eingange (短いつなぎ句) を残しました。
私は DTM 制作にあたり、「第 1 楽章のカデンツァをどうするか?」という問題に直面しました。モーツァルト自身はこの協奏曲にカデンツァを残していません。
そこで思い出したのが、フンメルが 10 代の頃に出版した 《モーツァルトのピアノ協奏曲 7 曲へのカデンツァ集 Op.4 》 。ここには第 26 番の第 1 楽章用カデンツァも含まれていたのです!
つまり今回の演奏は、
ピアノパートは晩年のフンメルによる完成度の高い改変版
カデンツァは 10 代後半の若きフンメルの作品
という、時代をまたいだ「フンメルづくし」の構成になっています。
おわりに
《戴冠式》はあまりにも有名な協奏曲なので、聴き慣れた方にはフンメル編曲版に違和感があるかもしれません。
しかし私は今回 DTM で作りながら、頭の中で「フンメルがウィーンの劇場で、師匠モーツァルトの協奏曲を弾いているシーン」を妄想していました。そう思うと、モーツァルト直系の弟子がどんな風に補筆し、どんな響きを思い描いたのか —— 歴史の向こう側に触れるようで、とても楽しい体験になりました。