【ラハナー兄弟2】イグナツ・ラハナー:弦楽四重奏曲 第4番 イ長調 作品74 | 室内楽の聴譜奏ノート

室内楽の聴譜奏ノート

室内楽の歴史の中で忘れられた曲、埋もれた曲を見つけるのが趣味で、聴いて、楽譜を探して、できれば奏く機会を持ちたいと思いつつメモしています。

Ignaz Lachner: String Quartet in A major, Op.74 

 果たして得体の知れない作曲家のCDに黙って2千円払えるだろうか? 私の財布はずっと冬の時代が続いている。レア曲だからといって、過去には凡作や駄作をつかまされた苦い経験を隠すつもりもない。
 ドイツ・ロマン派初期の世代に属するラハナー3兄弟の存在は音楽史上あまり大きく取り上げられることはなかった。3人とも室内楽をそこそこ作っているのだが、演奏を耳にする機会は少なかった。ミュンヘンのロダン四重奏団(Rodin Quartett)が3兄弟の弦楽四重奏曲のCDをかなり出していても、不思議なことにそれを試聴できる手立てがなく、自然と手を出しにくくなってしまっていたのだ。

 ラハナーは実際は6人兄弟姉妹で、そのうち2番目のフランツ(Franz Lachner, 1803-1890)、5番目のイグナツ(Ignaz Lachner, 1807-1895)、末っ子のヴィンツェンツ(Vinzenz Lachner, 1811-1893) が作曲家として名を残している。一番有名なのは次兄のフランツで、シューベルトと親交があり、交響曲、管弦楽曲、室内楽、宗教曲、歌曲と広範囲な作品を書いた。作風は芯の強さ、しっかりとした構成力、骨太で勢いがある。それに対し、次のイグナツは室内楽を得意とし、ウィーン古典派の伝統を基盤に、ロマン派初期のやさしさ、しなやかさ、古き良き時代の残り香を感じさせる曲が多いように思う。

Ignaz Lachner: String Quartet in A, Op.74, Rodin-Quartett

 

 イグナツ・ラハナーの弦楽四重奏曲 第4番の音源は youtubeに昨年末にアップされたばかりで、待望の一曲を身近に味わうことができた。楽譜は出版当時のライプツィヒのホフマイスター社版が IMSLP に掲載されている。

String Quartet No.4, Op.74 (Lachner, Ignaz)
https://imslp.org/wiki/String_Quartet_No.4%2C_Op.74_(Lachner%2C_Ignaz)
Leipzig: Friedrich Hofmeister, n.d.[1873


第1楽章:アレグロ・モデラート

 6/8拍子。出だしの穏やかな響きはシューベルトの中期の爽やかさを思わせる。興味深いのはこの作品がイグナツが66歳の1873年に出版されていることである。詳しい作曲年代についてはわかっていないが、彼の室内楽曲のほとんどが50代後半以降、つまり普通なら隠居生活に入る頃から作られているのだ。ラハナー3兄弟ともそろって長寿で、80代まで生きたのだが、イグナツに関しては、87歳で世を去るぎりぎりまで作品を作り続けている。
 

 主要テーマも明瞭で、ウィーン風の気品にあふれている。作曲年代からすればロマン派の感情表現も円熟期を迎えていたので、当時の音楽評論家から見れば「時代遅れ」のスタイル、あるいは「稚拙な表現」と受け取られた可能性がある。しかし現在では、作曲年代を気にすることなく、一つの作品として向き合えば、その親しみやすさにはむしろ好感度を覚えるのではないかと思う。
 

 

 第2主題はヴィオラの独奏。これはまるで当時欧州全体を席巻していたロッシーニ、ドニゼッティを始めとするロマン派初期のイタリア・オペラの影響としか思えないような、ベルカントの魅力的な一節である。イグナツは弦楽四重奏における準主役の座をチェロではなく、ヴィオラに与えている。これは彼の楽器用法の特徴でもあって、彼のピアノ三重奏曲の6曲でも、通常とは異なり、ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラという編成で、低声部をヴィオラに歌わせる妙味を出している。


第2楽章:アンダンテ


https://youtu.be/8_h9Ea3mA8Q

 ニ長調、3/4拍子。古典派の時代のセレナードの雰囲気をそのまま残した楽章になっている。
 

 ここでも途中からヴィオラの独奏の場面が出てくる。譜例にはないが、後打ちのヴァイオリンの伴奏音型が夜の庭園の噴水のささやきのように奏でて美しい。

 中間部は平行調のロ短調に転じて、何かを嘆くような息が途切れ途切れのパッセージが劇的効果を醸し出している。まさにロマン派的な展開で、第1ヴァイオリンのシンコペーションも印象的だ。


第3楽章:スケルツォ、アレグロ・モルト

 二短調、3/4拍子。メヌエットではなく、速いスケルツォ、しかも短調なので、真面目で引き締まった感じがする。

 

 中間部はニ長調に変わり、少し気が緩む。ここでもヴィオラが、続いて第1ヴァイオリンが可愛らしい表情を見せる。


第4楽章:フィナーレ、アレグロ

 イ長調、2/2拍子。簡素なリズムのモティーフの絡み合う快活な楽章。ヴィオラが出す別のモティーフも各パートに交互に受け渡される。

 リズムの掛け合いの中を第1ヴァイオリンから新しいテーマが歌い出され、フーガのように各パートに受け渡されていく。結構気が抜けないアンサンブルで、良く作られていると思う。
 

 

 

※イグナツ・ラハナー (Ignaz Lachner, 1807-1895)
 ドイツ南部バイエルン州の小都市で生まれた。父親は教会オルガニストで、6人兄弟姉妹のうちの5番目の三男坊だった。最初は教員になるためノイブルクの学寮で人文科学を学んだ。しかし彼は音楽に興味を持ち、ピアノ、オルガン、そして特にバイオリンで多くの知識と技量を習得した。14歳の時、彼は芸術文化に専念することを決意し、優れた指導者の下で音楽を学ぶためにミュンヘンに行った。翌年には王立劇場のオーケストラにヴァイオリン奏者として採用された。この仕事を4年間務めた後、兄のフランツに呼ばれて彼はウィーンに赴いた。彼は和声法と対位法を兄から学び、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトから影響を受けた。翌1827年彼は改革派教会のオルガニストの地位を兄から引き継ぎ、ヴァイオン奏者として帝国歌劇場のオーケストラに所属し、その後首席奏者となった。
 彼は1831年にシュトゥットガルトの音楽監督に任命され、4年後にはミュンヘンに移り17年間指揮者として活動した。その後、ハンブルクやストックホルムを経て、1861年からはフランクフルトの市立歌劇場の音楽監督を15年間務め、1875年に引退した。彼はハノーバーで87歳で亡くなった。
 イグナツ・ラハナーは主に指揮者として知られていたが、オペラのほか、バレエ、交響曲、管弦楽曲、劇の付帯音楽、弦楽四重奏曲、ピアノソナタ、ミサ曲、歌曲など、ほぼすべてのジャンルでかなりの量の音楽を作曲した。特に晩年になって熱心に作り続けた室内楽は、古き良きウィーン趣味の残り香を感じさせてくれる。